映画『キングスマン』の感想やらなんやら色々吐き出す

マーク・ミラーのコミックとか読んだコトないが、なんだかんだ映画化されてるのは観てる気がした。
うだつの上がらないサラリーマンが暗殺組織に入って殺しまくる『ウォンテッド』(2008)、うだつの上がらない高校生がヒーローになって殺しまくる『キックアス』(2010)、『キングスマン』じゃうだつの上がらない貧乏青年がスパイ紳士になって…ってどんだけこじらせてるんだお前は。

こじらせ系スパイ映画『キングスマン』観てきたんで感想書く。

※2018/1/5追記
続編も見た→映画の感想『キングスマン:ゴールデン・サークル』(ネタバレなし酩酊あり)

その前に『キックアス』について思ったアレコレ

『キックアス』シリーズに続いての原作マーク・ミラー、監督マシュー・ヴォーンのコンビですが、そういえば『キックアス』、アレ苦手だったんだよなぁ。
なんか無邪気じゃん。イジメられっ子の童貞ダメ高校生がヒーローになって、悪いギャングたくさんブチ殺して、したら恋人も出来てイエーイみたいな。
色々端折ってるが、そんな感じじゃない。原作はもっと暗い情念渦巻くハナシで、ヒーローになったコトで恋人と別れるらしいが。

いやまぁソコが面白いんじゃん。楽しいじゃん。しょうもない映画だなぁと笑えばいいじゃんとも思うが…が! やっぱなんかイヤなんだよなぁ。
血みどろの映画でさぁ、極悪ギャングとはいえバンバン人殺してくワケでしょ。そういうの『スパイダーマン』(2002)とかティム・バートン版『バットマン』(1989)みたいなコミックな映画空間じゃなくて、リアルの延長上でやって。
それで、そういう悪趣味自体はイヤじゃないんですけど、その悪趣味に対する無邪気さとか、照れの無さがイヤっていうか。

同じような悪趣味で言ったら三池崇史の映画とか大好きで。『殺し屋1』(2001)みたいなシーンあったり、『極道戦国史 不動』(1996)っぽいユーモアあったり、マシュー・ヴォーンって三池さんっぽいセンスだよな。
いやそれはともかく、同じどころかもっとヒドイ悪趣味を三池さんはやるワケですが、でもソコに『キックアス』みたいなイヤな感じって俺は感じない。
それ、ちゃんと悪趣味の自覚を感じるからで。あえて悪趣味やって客を挑発してやろう、驚かせてやろうみたいな、そんな感じあって。

三池さんの映画、最近そういうのあんま無いですけど、詩情が結構あるじゃないすか。『殺し屋1』だってあんなヒドイ映画なのに、その合間合間にはやたら物悲しい情感があったりして。
ほんで根底にはちゃんと地に足の付いたウェットなドラマがあって。そういうのがあるから『殺し屋1』のバイオレンスが見世物に留まらない意味を帯びたり、『DEAD OR ARIVE 犯罪者』(1999)の、あの稀に見るウルトラ・バカ展開が映えるんであって、最初からバカと悪趣味しかやってなかったら何の感慨も湧かないじゃんと。
そういうの、『キックアス』には全部無いんだけど。

ほんで、ハナシ少し逸れるんですけど、それでふと思い出したのは90年代の悪趣味ブームを牽引した村崎百郎さんのコトで。
俺の記憶間違いでなければ、確か村崎さんは2009年のカルデロン一家騒動(フィリピン人の不法移民家族が強制送還されたヤツ)の対して、例によってレイプだのオナニーだの下品な文言をバラ撒きつつも(メシが美味いぜぇぇぇぇ!)、怒りと同情の隠しきれない発言を残していた。

90年代はとうに過ぎ、この頃にはほとんど鬼畜ライター村崎百郎としての活動が無い中での発言だったワケですが、他方でこの事件を機に勢力を伸ばした団体がいて。
それがまぁあの在特会で、カルデロン一家に同情的なマスコミへのカウンターとして行った一家の強制送還を訴える街宣(一家の家の前で)がネットで評判になってヘイト団体に変貌してくんですけれども。

なんかな、こーゆーの考えるとさぁ、村崎さん的な「あえて」の悪趣味ってもう流行らなくて、透明でストレートな悪趣味が持て囃される時代なんやなと思ったりする。
っていうか、もう悪趣味の自覚とかねーんじゃねぇの。在特会なんて実に真面目にヘイトしてらっしゃったワケだし。殺せだゴキブリだなんだ叫んどいて、それを正義として捉える人がそれなりにいたワケだし。
正義だろうがなんだろうが、悪趣味は悪趣味だろうよと思いますがね。

で、『キックアス』の悪趣味って別に在特会みたいに真面目な悪趣味じゃなくて、単なる悪ノリの悪趣味だろうと思いますが、あの主人公も在特会同様ネットを介してヒーローとして認知されるワケで、そういう意味で言えばやっぱ同時代的な映画だなぁと。
やっぱ透明な感じあって。「あえて」が無くてストレートに「面白いでしょ?」って提示してる感あって。

乾いた悪趣味はタランティーノとかガイ・リッチーとかの流れかなぁと思い、ダメ人間の空想的なヒーロー願望の肯定は『マトリックス』(1999)と同じもんだと思うが、そーゆーのより遥かに脱臭されていてオモロないし、だいたい気持悪いんだよ、こーゆーの。
(そもそもタランティーノも『マトリックス』も好きじゃないが)

そしてようやく『キングスマン』の感想書く

ほんで『キングスマン』なんですが、面白かったっすよ。っていうかソレ言ったら『キックアス』だって結局は面白かったんだけど。

なんかね、スパイ映画とかあんま観ないんでオマージュがどうとかは分からないんですが(ロジャー・ムーア時代の『007』との類似性を指摘される方もいるが、一番好きなボンドはロジャー・ムーアの俺はそう思わなかった)、チャカチャカしててさ、色んなワクワクするガジェット出てきて楽しい。
ベテラン紳士スパイのコリン・ファース、カッコイイねぇ! 「マナーが人を作る」ってのがこの人の決めゼリフなんですが、説得力ハンパないぜ。

紳士スパイのボスがマイケル・ケイン、紳士スパイの教官がマーク・ストロング。いやコレも渋い渋い。
とくマーク・ストロングが良かったな。こう、父性感じますよ、その佇まいに。
っていうかマーク・ストロング、いつもコリン・ファースと一緒に出てる気がするが、セット販売なんだろか。今年やった『リピーテッド』も競演だったぞ。

ほんで悪の親玉のIT富豪はサミュエル・L・ジャクソンなんですが、この人は自身コミック・マニアなせいか、こーゆーコミックな映画ホント似合うよな。
あのナリして血を見るのが嫌いなヘナチョコって設定で面白いが、その設定がラストに華を添える。いや、しょうもない映画ですよ(イイ意味で)
そういえばヘナチョコなのに悪の親玉って、『アンブレイカブル』(2000)でもやってたな。『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)でも白人迎合の情けない執事を怪演してて面白かったが、「世界一マザファッカが上手い」(どんな称号だ)武闘派俳優と見えて、そーゆーの率先してやるからイイ人です。

なにやらエキゾチックな魅力振りまく「ブレードランナー」のソフィア・ブテラ、表情一つ変えずにバシバシ人殺してって、萌え。
途中まで大人しい映画だなぁと思わせといて、終盤一気に爆発する悪趣味とバトルの連続には、燃え。
そして最後は花火からのアナルに爆笑と拍手である。
いやなに言ってんだですが、そういう映画なんだからしょうがない。

しょうもないが、コレはオモロイ!

上の方でさんざ『キックアス』ディスってるが、アッチに感じたほどイヤな感じは『キングスマン』には別に無かったな。
もうちょっとシニカルな感じあって、引いた感じ。
悪趣味悪趣味ったってかなりポップで血糊抑えた描写なんで、一応R指定になってるが、人を選ぶような感じもない。
誰でも楽しめる愉快な映画だな、コレ。素晴しい。

…とは思うが、アレなんだよ、コレでいいのかよみたいなトコもやっぱあって。
だから、コレ『ピクセル』と一緒に観て、ソッチでも思ったんだけど、小ネタ集的なというか、YOUTUBE的というか。
面白いんですよ、『キングスマン』。メッチャ面白いの。教会での大乱戦、秘密基地でのしっちゃかめっちゃか、こんなんサイコーじゃん。
でもそういう、派手な場面場面の合間をスパイ映画のクリシェで繋ぐだけみたいな作りになってる気がして、楽しいけど…みたいな。

いやたとえばさ、コレ主人公は紳士スパイ候補生のタロン・エガートンなのに、コリン・ファースがカッコイイからってソレばっか追うんですよ。
それで良いのかって思うし、『キングスマン』はこの二人の擬似親子関係のハナシでもあるんですが、そういう物語の中核になる大事な部分は軽視されていて、バカバカしくて楽しいラストの中で擬似親子のドラマはどっか行っちゃうから、物語として成立してねぇじゃんと。
スパイ映画のパロディのつもりであえてそうしたのかなとも思ったが、でもコレって『キックアス』と同じ構造で。
アレも「現実世界でヒーローになるってどういうコトなの?」っていうハナシなのに、ご機嫌なハッピーエンドがソレを台無しにしちゃってる気すんだよ。

それで、「マナーが人を作る」っていうコリン・ファースのセリフあるじゃない。
タロン・エガートンは素行不良のマナーもへったくれも無い人だから、この人がマナー身につけて成長してくのかなと思ったら、あんまそんなコトも無いという。
じゃあなんの為のセリフだったんだろうと。なんの為の紳士スパイ設定だったんだろうと。単にカッコ良かったから?
いやさ、コレもたぶん原作とか脚本だともっとその部分、階級社会だなんだとか強調されてんのかもしんないけど、でも映画の中じゃ装飾程度にしか感じなくて…なんかさ、物語を放棄して快楽だけで成り立ってような映画なんだよ。観てる人に一切苦痛を感じさせないような。

もう分かんねぇな、それが悪いコトなのか良いコトなのか。
映画マニアの人とか、よく日本のテレビ映画批判するじゃん。でも俺はこの映画とそういうテレビ映画の作りにおいて、そらまぁ予算の違いとか俳優さんの質とか色々差異を考慮すれば単純に比較はできないのは分かってますけど、その設計思想にさして違いがあるようには思えない。
快楽原作に忠実に。不快なトコ退屈なトコは全部抜いて、一本筋の通った物語をシッカリ語るよりもシーン単位カット単位での快楽を優先する。
その思想を貫徹しちゃってるんで、かつてのイタリアとか香港なんかのジャンル映画に顕著な、物語とシーンの乖離してるような歪なトコはあんま無い。

面白いシーンたくさん集めたら面白いに決まってるじゃんよ。
でもそれなら、もう映画じゃなくていいじゃんって思うトコもある。YOUTUBE動画でいいじゃんって。
アレさ、ジョン・カーペンターがさ、「あなたは映画でなにを伝えたいんですか?」って質問に答えてこう言ってたんだよ。
「ストーリーだ」。

そら色んな映画あって然るべきで、物語性の無い実験映画だってたくさんあるワケじゃん。
どだい映画の歴史を考えれば初期はマジックのステージ撮ったり観光名所撮ったりしてた見世物なワケで、物語性とか芸術性なんざ所詮後付けじゃないすか。
だから物語が映画の本質だなんて言えないしさぁ、だいたい本質が云々とか胡散臭いコト言うヤツなんか全員嫌いだけどさぁ、でもさぁ…。

なんつーか、よくネットで言う脊髄反射ってヤツ。『キングスマン』って脊髄反射の映画だと思う。
よく考えたら色々おかしいと思うんだけど、でも観てる間は楽しくてそんなの考えないっていう。
その物語においても語り口においても迂回や多義性は全く価値を持たないっていう。
それがむしろ、素朴さや衒いの無さを感じさせて、美徳にすら思えるっていう。

そういや距離と時間の経過を全く感じさせないフラットでタイトな編集もそう感じる所以で、このあたり時間経過の伴う移動が舞台の変化と差異を強調してそれ自体ドラマを生んでいたり、物語の中の余白がリアルとの接点を作っていたような『007』とは全然違う作りに思えるので一緒に並べたくないが、しかしもうどうでもええか。
その結果オモロイんだからなんも問題ナシ。

コレはたぶんトーキー以前の映画のカタチに近く、映画を取り巻く技術の進歩の末の選択的退化に思えるが、だからなんだ。
別に『キングスマン』に限らずとも、シネコンでかかる類の映画なんぞ全部そんな作りじゃないか。それで何が悪いのよ?

脊髄反射の感じる映画、万々歳だ。

メディア論のマーシャル・マクルーハンが「メディアがメッセージである」とかなんとか言ったのはもう遠い昔なのだった。
曰く、テレビが我々を部族的な社会に回帰させる、云々。中心と周縁から成る文字と視覚の時代は終わり、これからは中心を持たない聴覚・触覚の時代だ、云々。
理性なんぞも所詮は視覚文化の遺物である。この人が考えるところによれば。
なんだか、映画が辿ってる道も似たようなもんじゃないかと思えてしまう。

映画草創期の短編『列車の到着』を観た観客が、動く画に驚いて映画館から逃げた、とかいう都市伝説。
一方今では映画館の座席自体が動いたり水がピューっと出たりして驚くが、考えてみれば技術の発展してるワリにはやたらと古臭い手法であり、3D元年と『アバター』で持て囃された際には別の意味で驚いた。
あの手この手の新しい仕掛けの目指すところは映画の新機軸なんかでなく、『列車の到着』に驚いた観客の、あのフィルムとの一体感なのだった。

今の映画は身体で感じる。
考えるな、感じろ!
(意外と、開発途上国の未成熟な映画なんかの方が真摯に物語を語ろうとするんじゃなかろか)

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匿名さん
匿名さん
2017年7月4日 12:10 AM

キングスマンを見て感じた「いや全部いいっちゃいいんだけど、何かモヤモヤする…」を言語化してくれた感想です。ありがとうございます。キックアスに関しても同感です。