映画『ミケランジェロ・プロジェクト』を見て特に感想ないけれど感想書く

おもしろいと言うほどではないが、おもしろくないと言うほどでもない映画だった。
言い換えれば、ほめようと思えばほめれるし、けなしたければいくらでもけなせるということだ。
しかし、きっとどちらもしないだろう。なぜなら、そこまでの労力を使ってまで話題にしてもしょうがないからだ。
と書くと悪口のように見えるだろうが、決してそうではない。俺はこの映画に対して、なんらかの感情を持っていないのだ。

映画が始まるとすぐにジョージ・クルーニーが映画の目的を台詞で言ってくれる。ナチスが略奪した美術品を取り返すのだと。何故ならば戦争が終わると彼らは壊したり燃やしたりしてしまうから。確か2回くらい言っていた。
なんの前情報もなく見た映画なので、こういうのはとても助かる。プロの気配りというやつだ。ジョージ・クルーニーは本作の監督でもあるので、役柄の台詞だから言っているというわけではない。心を込めて言っているのだ。

あれほど男前で気配りができるのだから、そりゃあモテるだろう。かつてケビン・コスナーは「黙って座っているだけでモテる男の第一人者」と俺に評されたが、ジョージ・クルーニーにもそれは可能だろう。しかし、そうはしないのだ。全てを受け入れる優しい笑顔をたたえ、気配りを欠かさない。
ケビン・コスナーとジョージ・クルーニー、いったいどうしてこの2人を比較しているのか。ケビン・コスナーは『ミケランジェロ・プロジェクト』となんの関係もない。まったくいい迷惑である。

せっかくだから余談を続けるが、高校の頃、顔の作りは悪くないものの、サイズがやや大きい友人がいた。あるとき彼を男前に入れるかどうかを決める会議が開かれ、俺は顔が大きさを理由に反対した。男前であることの必須条件に顔が小さいことがあるとの信念を持っていたからだ。
しかし、男前派はジョージ・クルーニーを引き合いに出し反論してきた。ジョージは顔が大きいのに男前じゃないかと言うのだ。確かにそうだ。ジョージ・クルーニーが男前であることは疑いようがない。顔でかいのに。
だが、それはジョージ・クルーニーほどの容姿を持って初めて起こせる奇跡であって、中の上くらいの友人では俺の信念を曲げることはできなかった。

結局その友人は男前に入ることはなかった。彼は非常に悔しがり、卒業後も十年近く、顔を合わせる度に俺を責めた。
そのうち彼とは疎遠になった。今でも彼は俺を恨んでいるのだろうか。もし恨んでいるとしたら、ちょっとしつこいんじゃないかと思う。

https://www.youtube.com/
https://www.youtube.com/ この笑顔! 顔のでかさは重要ではないのだ。

『ミケランジェロ・プロジェクト』というのは邦題で、原題は『The Monuments Men』。The Monuments Menとはナチから美術品を取り戻しに行くチームの名前である。邦題はそのまま『モニュメンツ・メン』でも良かったのではないかと思うが、どっちもどっちかもしれない。
映画の序盤はそのモニュメンツ・メンを集めることになる。マット・デイモン、ビル・マーレイ(俺の子供の頃はマーレー表記だった)、ジョン・グッドマンなど個性的な顔ぶれである。期待が膨らむ。

しかし、俳優の個性はあるのに、役柄に個性がない。一人一人の背景や価値観、特技、性格すら明確には示されなかった。つまり、ビル・マーレイとジョン・グッドマンが役を交換しても問題なく進行できる程度におざなりなのだ。主役のジョージ・クルーニーでさえ、他のどの俳優と役を交換しても問題なかったように思える。
その後、戦場に行くので新兵訓練の場面になり、ユーモラスなエピソードとして提供しようとしてくるのだが、そこでも登場人物の個性を見せるような台詞ひとつ言われないので関心を持ち続けられず、とうとう俺は何度か眠ってしまうことになる。

眠気に襲われるのではなく、唐突に眠ってしまうというちょっと怖い感じの眠りかたっだった。気絶に近いものだ。まばたきで目を閉じるタイミングで眠ってしまったんじゃないかと思う。
そんな風に急激に眠りに落ちるなんて滅多にあることじゃない。座席の背もたれが首筋を圧迫していることが関係しているのだろうか。圧迫によって血液が止まっているということなら、この状態でいることが脳に過度な負担をかけることになりはしないだろうか。

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http://movieposters.ie/ このメンバーが無個性なのだ。信じられるか? 眠ってて個性を示すエピソードを見逃しただけかもしれないが!

そんな感じで睡眠と恐怖に神経をすり減らしていた俺の元に、救いの女神が現れる。
ケイト・ブランシェットである。
彼女は本作においても実に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれ、一気に目が覚めた。目が覚めた、ということは眠りと首筋の圧迫は関係なく、単に映画が退屈だから眠っていただけだったのだ。眠気と一緒に、恐怖も去った。

ケイト・ブランシェットの演技によって、俺はその人物の背景、過去、価値観などを容易に知ることができた。なので俺は彼女の演じる人物を好きになれたし、映画への集中力を取り戻すことができた。
ケイト・ブランシェットの登場時間は映画全体からすれば短いものだったが、それで充分だった。本物の演技が持つ力とは、それほどであるのだ。

しかし、ケイト・ブランシェットの力でさえ、この映画をおもしろかった思わせることはできなかった。いかに俳優が優れていようと、そこまではできないのだ。
また、撮影や美術も良い仕事をしていた。それでも、映画をおもしろいと思わせる決定的な力たりえないのだ。
映画とは、そういうものである。

(文・宮本亮)

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ケビン・コスナー監督作。
俺はこの映画が好きだ。雨が降ったら街に川ができる、そんな映画だ。

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