川本三郎センセの映画評論集『映画の戦後』を読んで感想書く

そういえば映画評論家の町山智浩さんと川本三郎さんのトークショーが近々あるらしい。この本、『映画の戦後』読んで思ったが、この組み合わせは面白そうだなぁ。
町山さんちゅーとホラ、明るいじゃないすか。映画を語るときに陰が無いっつーか、ストレートじゃん。対して川本さん、陰あるよね。ほんで屈折してんすよ。

それが如実に現れてるなぁと思うのがアメリカン・ニューシネマの捉え方。
(町山さんの)『映画の見方が分かる本』とこの『映画の戦後』を見比べてみるとオモロイけど、ニューシネマを大資本に挫折させられた映画革命(未遂)として熱烈に賞賛してシンパシーを寄せんのが町山さんなら、ニューシネマと距離をとって歴史と政治の文脈の上でなんとか理解しようとすんのが川本さん、みたいな。

歴史、とゆーなら町山さんの歴史は単線的で、川本さんの歴史は複線的。「より良い明日がきっと来るよ」といって行動すんのが町山さんなら「明日はイイ日かもしんないし悪い日かもしんないから、どれ、一つ歴史に照らし合わせて見てみよう」といって静観すんのが川本さんとゆーよーな、そういう違い。

世代の違いだろか。町山さん、1962年生まれ。川本さんは1944年生まれ。この本に即して言えば、戦後を引きずってるか引きずってないか、の違い。いやむしろ、引きずらなくても良かった人と、引きずらざるを得なかった人の違いか。
『映画の戦後』、文中で何度も引用されんのは「汚れちまつた悲しみに」だった。表紙に載ってるのはイーストウッドと健さんの写真。どこで二人が繋がるかといやぁ、「汚れちまつた悲しみに」なんであった。

スタローン=ロッキーを自分にとっての映画のヒーローの一人とする町山さんと、イーストウッドを映画のヒーローの一人とする川本さん。
スタローンが闘うのは「汚れちまつた世の中」だったが、イーストウッドが闘うのは「汚れちまつた己」なのだった(まぁどちらかと言えば)

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http://koushinbi-mitei.blog.so-net.ne.jp 詫びるヒーロー、高倉健。

『映画の戦後』、川本三郎さんの映画評論集。初期の仕事から最近の仕事まで、「戦後」に絡めて日本映画とアメリカ映画の評論を中心に集めてある(戦中・戦後の俳優のルポ等の書評もあり)
第一部が日本映画編。健さんとか原節子さんの俳優論、戦後から現在までの東京の変容を論じた風景論を通して戦後日本の歩みが浮かび上がらせる。
第二部はアメリカ映画編。イーストウッド論から始まって、赤狩り考、ベトナム戦争映画考、そしてニューシネマを経由して80年代アメリカ映画考、とくる。

映画の戦後、とゆーがつまりは一つの戦争について言ってんではない。日本映画にとっては太平洋戦争であり、アメリカにとってはベトナム戦争。敗戦後の映画、論。
汚れちまつた悲しみに、であり、歴史の敗者の側から、あるいは勝とうが負けようがどうあれ傷を負った人たちの側からの、レクイエムみたいな映画論なのだ。

白眉だと思ったのは赤狩り考「大衆の反乱、知識人の戦慄」。初出はこの本の中で一番古く、川本さんが映画評論を書き始めた頃のテキスト。
だからか、とても熱っぽい。本の始めの方に収められた最近のテキストにはなにか達観した感すらあるが、ココは違う。敗者の魂の叫びのよーな、なんかそんなである。
敗者ゆーが、しかし赤狩りの敗者としてのリベラルな映画人を讃えてるんじゃなかったりする。むしろ意図するトコは反対であり、赤狩りのやり玉に挙げられたリベラル映画人を徹底擁護、徹底賞賛するコトを良しとする人々に異を唱えてたりする。

こーゆーの、それこそ町山さんとは対照的だったりするが、それにしてもどーして異を唱えたりすんだろか?
赤狩り、不幸な出来事だったんじゃないの? 犠牲になった人は可哀想だし、徹底抗戦したリベラル映画人(いわゆるハリウッド・テン)は立派なんじゃないの?
そう言うコトが、何故いけないんだろか?

赤狩りに対する川本さんの姿勢について、この本の中じゃ明示的に語られてるワケじゃない。んが、つまりはソコで「映画の戦後」なんじゃないかと思う。
赤狩りの背景を大衆と知識人層の対立に求め、ハリウッド・テンの「神話」を破壊せんとする(かのようにも見える)「大衆の反乱、知識人の戦慄」で川本さんが為そうとしたのは、たぶん舞台を変えた「日本の」戦争の総括なんじゃなかろか。

今日的な観点から天災の如し凶事として戦争を捉え、抵抗者の神話ばかり語るコトで、何故我々が無謀な戦争に向かったか見えなくはならないか? とゆー風な。
軍部の暴走の一言で全てを済ませ、どのような力学がソコに働いていたか考えようともしない、そんなんでいいのか? とゆー風な。
戦争責任は我々一人一人にあったんじゃないか? と、言わんばかりの。

本は仁侠映画と健さんのハナシから始まる。ソコで川本さん、仁侠映画は学生運動に支えられていたと言われてるが、労働者階級の存在を忘れてないか、とクギを刺す。
大衆を忘れてないか、歴史が一部のエリートや知識層によって動かされてると考えてないか、であり、それは裏を返せば大衆の責任をこそ問う厳しい態度でもある。

そして健さんやイーストウッドの「汚れちまつた悲しみに」対する屈折した憧憬とゆーのは、その責任を「汚れ」として一人で背負い込んだ、名も無き庶民に対するモノなんじゃないかとゆー風にオレには思われるんである。

http://themovieblog.blog.fc2.com
http://themovieblog.blog.fc2.com 『イージー☆ライダー』(1969)を自由の挫折の映画、ではなく自滅と贖罪の映画として見る川本センセ。このあたり世間一般の映画マニアどもにケンカ売る気マンマンに思えるのです。

件の「大衆の反乱、知識人の戦慄」は73年に執筆されたもんであり、舌鋒鋭く「『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970)は少しも面白くない」とか言ってる。
色んな評論が集まってる本だから、読み比べると楽しい。今の川本さんだったらこんなストレートな悪口は言わないだろう!

実際、森田芳光監督について書かれた2012年執筆の「通り過ぎる者の目で見た風景」では森田監督の軽ーい映画群が実にサラリと語られる。
いやでも政治を語らなければならなかった(かのような)、熱っぽく訴えかけなけりゃならなかった(かのような)「大衆の反乱、知識人の戦慄」と比べるとドエライ変わりようであるが、今となっちゃそう語る必要も無くなったんだろう。

この本だったか別の本だったか覚えてないが、最近は色んな映画がDVDで観れるようになってイイなぁ、ぐらいなノンビリしたコト言っていた。
戦争は遠くなりにけり。大衆とそして映画に責任を問わなきゃならん熱い時代は、少なくともこの人ん中じゃ終わったらしいんであった。
「大衆の反乱、知識人の戦慄」とか読むに、なにか、たった一人自分だけで責任を背負い込もうとしてた気配もあるが、まぁ今はそんな時代でもないしぃと、肩の荷を降ろしたのかもしんない。

するとこの本、戦後の「汚れ」を背負った一人の人間が戦後にどうケリを付けたか、とゆー本だって風に言えるかもしんない。
「大衆の反乱、知識人の戦慄」の後は「エドワード・ドミトリク」「異邦人の裏切り エリア・カザンと赤狩り」とゆー二人の赤狩り犠牲監督の論考が続く。
前者は2001年、後者は1984年と開きはあるが、どちらも赤狩りに際して仲間の業界人を共産主義者として(事実は少し違うが)チクった「裏切り者」の監督の名誉回復をしてやろう、とゆーもの。
翻って現代といえば、二人ともドシドシとその監督作が発掘、「隠れた名作!」とかなんとか言って次々とDVD化されてたりするくらいなのだった。

もうやるべきコトはやった、自分の使命は果たしたし、望みも叶った。後は余生をノンビリ楽しく過ごそう…とか今の川本さんは思ってんのかもしんない。
最近は色んな映画がDVDで観れるようになってイイなぁ、である。

http://www.flickeringmyth.com
http://www.flickeringmyth.com 『十二人の怒れる男』、コレすげー大好きなんですが、差別丸出しのオッサンたちの扱いが残酷すぎやしないかとモヤってた。赤狩りに絡めてこの映画を論じる川本センセの手つきはマコト鋭く、また腑に落ちるトコ多々ある。

本は「家に帰りたい 80年代アメリカ映画の内向き志向」と題された論考をもって結ばれる。映画の戦後は80年代で終わったのだ。
ソコでふと思い出した。町山さんの、なんの本だったか忘れたが、たしか父との和解をテーマに現代アメリカ映画を論考した本があった。
通過儀礼をキーワードに映画を読み解く町山さんなので、アメリカ映画の歴史もまた一人の男の子の成長史として描き出される。
幸せな幼年期の50年代、旅立ちと反抗の60~70年代と、挫折と帰還の80年代。それから現代、冒険を通して男になった男の子は父との和解に入んのだ。

親世代の川本さんと息子世代の町山さんちゅーのは、並べてみるとやっぱオモロイ。
映画も続くが、映画評論もこうやって続く、みたいな。

まぁなんでもいいが、とにかく『映画の戦後』、映画と一緒に戦後日本を生きた人の記録である。
出版は今年の5月とかだが、昨年に健さんが亡くなり、不幸な偶然だが本で取り上げられていた原節子さんもつい先日亡くなってしまった。映画の戦後はもう終わったんだなぁと強く思わせられるトコである。

戦後の終わった今になってその、戦後世代目線での映画評論ちゅーのを読むと、しかし意外な発見がある。
それこそ「大衆の反乱、知識人の戦慄」でのニューシネマの扱い、コレ今の観点からはまず出てこない見方。
法廷ドラマのケッ作的なルメット『十二人の怒れる男』(1957)に対して違和感を表明してるとゆーのも貴重なトコ。
もはや古典となりつつあるこの映画に対してのこの感覚、今じゃ中々出てこないんじゃなかろか。

そんなこんなで面白い本だと思いますよ、コレ。

(文・さわだきんたま)

【ママー!これ買ってー!】


映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)

コレは一緒に読みたい。ネガとポジが合わさる感じで、ちょうどイイんじゃないの。
単体で読んでも熱い感じで面白いっすよ。コレ町山さん泣きながら書いてるだろう、みたいな箇所いっぱいあって。

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