キラリーン☆映画 『マジカル・ガール』でだいへんしーん!な感想!

こないだ観た『ロブスター』っつー映画は松本人志の映画みたいだなぁと思ったもんで、すっかり引きずられてか『マジカル・ガール』は板尾創路の『月光ノ仮面』(2011)みたいだなぁと思ってしまった。
魔法少女と永山洋子の「春はSA-RA SA-RA」が現代スペインを異化させる『マジカル・ガール』に対してドクター中松と野際陽子の「非情のライセンス」(インスト版)が戦後のスラムを異化させるのが『月光ノ仮面』であった。
以前、町山智浩と柳下殻一郎が北野武の『TAKESHIS’』(2005)を評して、これデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』(2001)と同じハナシじゃん! でも『マルホランド・ドライブ』はナオミ・ワッツのオ○ニーがあんのに『TAKESHIS’』は松村邦弘のヌードかよ! なーんて笑ってたが、なんかそんなような感じである。
…賢い人がやれブレッソンだやれブニュエルだエリセだと引き合いに出す中で『月光ノ仮面』しか頭に浮かばなかったところに映画偏差値の低さが出ているようであるが、別に偏差値の高い映画マニアとか目指してないんでいいです。

『マジカル・ガール』。あるところに白血病の少女がおり、彼女は日本のアニメ『魔法少女ユキコ』の大ファンだった。職も無い金も無い、でも娘にできるだけ幸せに生きてもらいたいなぁと思ったお父さんは彼女に『魔法少女ユキコ』のコスチュームを買ってあげようとする。そのお値段なんと日本円で90万! た、高過ぎる! でも…なんとかして買ってあげたい! つって、お父さんはちょっとした犯罪に手を染めるんであるが、そしたらなんやエライことになってしまったのだった。

つまり、イイ歳したオッサンが魔法少女なんかに執着するとロクなコトにならない。そんなありがたい教訓を得られるお話なんであった。
あと、メンヘラと付き合っちゃいけないって話でもあります。アニメとオタクとメンヘラは人を地獄に突き落とす。コワい!

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ねぇアンタ、ちょっとチュロス買ってきて、とゆーシーンがある。そんで買ってくる、チュロス。そしたらこう言われる。アレ、あたしチュロス買って来てなんて言ったっけ?
『マジカル・ガール』がどんな感じの映画かとゆーとそんな感じであり、いやなんも説明になってないじゃんと思うが、微妙な違和感の映画なのだった。
お父さんが真剣な眼差しを向けるのは魔法少女のコスチューム。今まさに人が殺されようとしてる場面で突然鳴り出す「春はSA-RA SA-RA」…と書けば違和感どころじゃなくバカっぽい映画に思えるが、あくまで超シリアスでダークなノワール映画のトーンを崩さず進行すんので引きつった笑いと違和感と居心地の悪さばかり募る。
全身傷だらけで死にそうになった人が出てくる。でもカメラはその人を映さない。なんやどんなヒドイ状態なんや…とこう、とにかくモヤモヤしっぱなしであった。

そのあたりの感覚が『月光ノ仮面』の、板尾創路のあの感じを思わせるトコだったが、一旦似てると思い込めばなんとなく繋がってきてしまう。
寄席の日取りを間違える落語家、茶碗の数を間違える女、沈まぬ満月、みたいな『月光ノ仮面』に出てくるスーパー微妙なくすぐり(全然笑えない)は例の「チュロス買ってなんて言ったっけ?」と同じようなもんであり、その違和感の蓄積が段々と世界を歪ませ溶かしていくとゆー構成において二本の映画はよく似てる。
『月光ノ仮面』とゆーぐらいだからこれは変身についての映画なんである。顔に包帯を巻いた復員兵が満月の夜に戦死したはずの人気落語家に変身するが、変身、とくれば魔法少女だ。『マジカル・ガール』の魔法少女大好きっ娘の願いは誰かに変身するコトであった。

人気落語家として高座に立つ復員兵の下にやがてもう一人の復員兵が現れる。彼こそは本当の人気落語家なんであったが、であるなら包帯の復員兵は何者なのか? しかし落語の『粗忽長屋』を談志的というか不条理劇として解釈した『月光ノ仮面』のキモは、名も無き包帯の男と死んだはずの落語家が互いが互いを鏡像として見るときに二人とも自己というものが確立できなくなってしまうとゆートコにあるのだった。偽物と本物の区別はなく、偽物であり本物でもある者として二人が一つに融合してしまうとゆーのがそのオチであった。
他方、包帯を巻いて何者だか分からなくなってしまったある登場人物と変身を遂げた魔法少女がマジカルな邂逅を果たすのが『マジカル・ガール』なんであり、鏡を割って額に血のサードアイ(チャクラ! チャクラ!)を刻印する行為が何気なく登場したりするが、要するにコレは自己とアイデンティティの破壊と何者でもないものへの変身・同化の物語と捉えるコトができるワケで、終着点は『月光ノ仮面』と同じだったんである。

そもそも、魔法少女に対して『月光ノ仮面』である。劇中の魔法少女ユキコは『魔法少女まどかマギカ』と共に『美少女戦士セーラームーン』をモチーフにしてると聞けば二つの映画は満月の下の異世界で完全に接続され、これはもう月に変わってお仕置きするしかないんである!

…バカなのかな? とみなさんお思いかもしれませんが、何事にも答えを出さないモヤモヤ映画が『マジカル・ガール』なので、どう解釈しようとそんなの自由なのです。
いや別に俺だって板尾とこの映画にいかなる関連があるとも思わないが、頭ん中で色々くっつけてボヤボヤと遊べる映画が『マジカル・ガール』とゆーワケで、なんかハードな見た目に反してオモチャみたいな楽しい映画と、まぁそんなワケです(妄想評論家の滝本誠がコメントを寄せてんのも納得)。

ラストには美輪明宏『黒蜥蜴の唄』(カバー)が流れるが、そのノワール感とストーリーの上での悲惨さに反しての妙な幸福感からなんとなく『母なる証明』(2009)のラストとか想像してまった。謎の車椅子の男は『マルホランド・ドライブ』に出てくるハリウッド・ギャングのボスとか『ロスト・ハイウェイ』(1997)の「死んだはずの男」ディック・ロラントになんとなく(ココ強調)繋がる。
最近の映画しか出てこないのは俺が最近の人だから。年増のシネフィル野郎とかが見れば全然違う古い映画が出てくるだろうが、鏡が重要っぽい(しかしそれすら明らかではない)アイテムになるこの映画なので観た人間が何を連想するかどう捉えるかでその人間がなんとなく見えてきます。ロールシャッハ映画だなこれは(段々とお父さん役の役者さんが橋爪功に見えてきた俺の脳内にはなにがあるのか?)。

たぶんなんも知らん状態で観た方が面白い映画なので、脱線ばっかしてほとんど内容の感想書いてない。ちょっとだけ書く。
映画は三つのエピソードを繋いでいて、徐々にストーリーの全体像が明らかに、そんで最後にスタート地点に戻ってくるっつー面白いもの。バラバラなようでいて対称性を持つ相補的なこの三つのエピソードは全て名前がなく誰でもないが一人の少女に関する物語だ。ペドロ・アルモドバル絶賛。へぇ、なるほど。フィメール・トラブルの映画。とくれば、ジョン・ウォーターズとディバインの変態世界にも狂った人なら繋げちゃいそうである。

エグイ場面とか別にないがお話的にはドス黒いキツい映画ではあった。別に悲惨とかそーゆーコトでなく(いや悲惨だけど)、倫理を揺さぶりにかかってくるよーなトコがある。つまり、女は被虐と被支配を極限まで推し進めることで名を失い個を失い逆に誰でも無いが全ての女として(月にでもなるんだろか? 月は無慈悲な夜の女王と言うし…)解放され支配は逆転するのだとゆー風に見れるってワケで、偉そうな人がブニュエルを引き合いに出したりすんのはその倫理的な逆説においてなんだと思われる。
そのようなお話と見ればコレは随分と恐ろしい映画に思えるが、しかしそう感じさせないあたりマジカルな映画であり、っていうかそもそも意味なんかあんま無いかもしんないが、観てるコッチには色々と想像させていらんコト長々と語らせてしまう、そのあたり確かにマジカルな映画ではあった。

なんだかフラフラボヤボヤしっぱなしで何一つ具体的な映画の感想書いてないが、書けない映画なんで観てない人は察してください。
えーとね、とりあえず…笑えてドキドキしてマジカルして、かなり面白かったぞ『マジカル・ガール』! キラリーン!

(文・さわだきんたま)

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あのな、お前ら俺がふざけて板尾板尾言ってると思ってんだろ! 違うから! ホントに『月光ノ仮面』は『マジカル・ガール』みたいな映画なんだよ!
面白いから騙されたと思って観ろ! いや仮に単品だとつまんないとしても『マジカル・ガール』と一緒に観れば面白いから! 知らねぇけどな!

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