映画『光りの墓』で覚醒しろ!いや眠れ!いややっぱ覚醒しろ!…的な感想

《推定睡眠時間:0分》

屋台村のシーンでスーパーマンのTシャツを着たエキストラが通りかかる。主人公のババァと青年はそこでダラダラと会話をしてんのであるが、霧に包まれた俺の記憶が正しければスーパーマンがなんとかと言っていた。

タイの変態(この場合の変態はアブノーマルではなくトランスフォームの方である)映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンくんの『光りの墓』とゆー映画、なかなかストーリーが要約しにくいが、ざっくり原因不明の奇病“眠り病”にかかった兵士たちとそれを取り巻く色んな人たちのハナシであった。
“タイ”と“兵士”と“眠り病”、この三つのキーワードから我々は次のように思考を変態させるコトができるだろう。

『光りの墓』と同日公開の『仮面ライダー1号』は年老いた元祖ライダー藤岡弘、がタイで孤独な戦いを続けているところから始まり、そしてライダーの天敵であるショッカーは長い昏睡状態にある首領・地獄大使の復活を待ちわびているといったハナシであった。
一つの事実をそこに付け加えるコトができる。藤岡弘、の侍としての代表作『SFソードキル』は戦いの果てに冷凍保存されていた侍・藤岡弘、が現代のニューヨークで目覚めるという映画である。
戦い傷つき、そして終わりなき眠りに陥った“兵士”たちの、その覚醒を演じ続けるのが藤岡弘、である。つまり『光りの墓』が描くのは藤岡弘、であると、我々は思考を変態し得るんである。

だが夢と睡眠の無時間的な流れにおいて始原も終極もありはしない。無指向性の目的なきイメージの変容だけがそこにある。
『仮面ライダー1号』は初代ライダーと現役ライダー・仮面ライダーゴーストのクロスオーバーものヒーロー映画である。
やはり同日公開の『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』がDCコミックのクロスオーバーものヒーロー映画であったコトは言を待たない。
そもそもヒーロー映画とは変態についての映画であろう。先に書いた屋台村のシーンでのスーパーマンの言及を思い起せば、『光りの墓』は容易に『バットマンVSスーパーマン』のサイドストーリーとさえ化すんである。

かくして眠りの中で線条的時間と物理的制約から解放された『光りの墓』は睡眠/覚醒の絶えざるイメージの変容を通して観る者に思考の変態を促す。
そのような映画が『光りの墓』であったとバカバカしくも断言してしまおう!

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ところでダラダラとしょうもないコト書いてたのは実はあんま字幕を追えてなかったんで詳しいストーリーとかよくわからんかったからなのだった。
なんでもアピチャッポンの個人的な記憶とタイ現代史を交錯させた映画、とどっかの誰かが言っていた。同じ映画館(渋谷のイメージフォーラム)でやってるアートアニメ『父を探して』もそんなような映画だったんで併せて論じる人もおる。
ぶっちゃけ、そんなの全然わかんなかったとココに明言する。なんせタイ知識がない上にあんま字幕見てないんだから当たり前である。
しかし同時にそんなの全然わかんなかったが超おもしろかったともココに明言する。むしろ凝り固まった思考にピップエレキバンを貼るような映画なんで、なんや生半可な知識とつまらん常識で理解した気にならんでわからないままその映画空間にただ身を委ねた方がおもしろい映画なんじゃないかとすら思うのだ。
かように思考を変態さしめあらゆる意味で遠く隔たったハリウッド大作と藤岡弘、の個人映画を一つのスクリーンの中で同時に召喚し融合させてしまう、そんな映画と映画体験はなかなかあるもんじゃなかろう。

『光りの墓』を見てこりゃよく似てるなと思ったのはなによりジャック・タチの『プレイタイム』(1967)だった。シンメトリックでモダンな空間を基調にしつつ様々な奇怪オブジェクトや色彩を画面の至るトコに配置して遊ぶとゆー画面構成もそうであるし、ノイズへの偏愛とかエキストラの多用っぷりがよく似てんのだ。
ボケボケと半睡眠状態で『光りの墓』がどーゆー映画か考えるに、なんかそんなよーな映画なんじゃないかと思う。コレは根っこの部分ではとても都会的な、スノッブな遊びの映画なんじゃなかろかと。

おもしろかった場面その1。眠ってる兵士を看護士さんやなんかが周りを囲んでジーっと見つめてたら、兵士のアソコが勃起した。触ってみるとバネみたいにビヨンビヨ~ンとする。看護士さんたちはそれを見て笑う。
おもしろかった場面その2。一人の男が町医者に行った。「病気なんすかね」と男が聞くと、「ここじゃ分からないんで病院行ってください」と医者。「え、だから病院来たんじゃないすか」と男が困惑しる横を、カルガモ親子かなんかがのんびりと通り過ぎる。
おもしろかった場面3。眠り病を治すべく、アメリカでも実績がある機械なんですよと言って医療器具会社の男が治療機械を持ってくる。どんな機械か。なんか大きなサイリウムみたいなヤツで、それを眠り病患者に取り付けて傍らに置く。するとサイリウムは青から赤へ、赤から緑へと発光しながら色を変えてくのだ。
おもしろかった場面その4。映画館のシーンでタイの古いエログロホラー映画が流れる。ナイスバディの魔女みたいのがビヨーって腕とか舌とか伸ばして男どもを喰い漁る。なにこれ。めちゃくちゃ気になる。

なんか書いてても全然おもしろそうな気がしないが、とにかくまぁすっとぼけたユーモアは一級品、ジャック・タチの映画がおもしろい(そういえばあれも睡眠誘発映画である)とゆー人なら死ぬほどおもしろいと思われる。
完璧に作りこまれた画もポップで笑えてついでにとっても美しい。画面の隅々まで配慮が行き届いてて、ボーっと背景のエキストラなんか見てるだけでも全然飽きない。エキストラの動きとゆーのも素晴しくて、公園でジョギングするオッサンたちも良かったが、MVPは暇そうに屋台の番をしてるババァ。とても名演なんで、これから観る人は見逃さないよーに。

それにしても色んな映画がアタマに去来する映画だなぁ。眠り病にかかって眠ったままの兵士の意識と交信する超能力少女/少年が出てくるが、そう聞くと昏睡状態の殺人鬼と交信する超能力少女がでてくる『ヘルブレイン 血塗られた頭脳』(1989)なんて極めてどうでもいいホラー映画まで思い出されてまう。あの映画の監督は死ぬほど眠い『断絶』(1971)の天才睡眠系映画監督モンテ・ヘルマンなんで、なるほどと膝を打ちたくもなる。
あるいは、戦地のベトナムで突如として精神に異常を来たして山奥の城に収容された病める兵士たちが「覚醒」するまでを描いたウィリアム・ピーター・ブラッティの『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』(1980)とも接続し得るだろか?
ブラッティといえば『エクソシスト』(1973)の原作者であるから、悪魔憑きや狂気のカタチを取った人間の変態がテーマらしいが…。

こんな連想ゲームはどこまでも終わんないだろう。眠りの中であらゆるものは接続され変容する。『光りの墓』はんな夢のような体験を可能にする映画だったが、いつかは覚醒をしなけりゃいけない、または眠りたくても覚醒したままの人もいて困ったナァ、とゆーのが(たぶん)そのお話であった。
こんな風にあの映画に似てるなこの映画にも似てるなと言ってボケボケ遊んでないで「この映画はアピチャッポンの個人的な記憶とタイ現代史を交錯させた…」などとさも分かったかのようなクソつまらん解釈を社会批判政治批判と共に垂れなきゃいけないんである。それが大人とゆーもの。それが覚醒とゆーもの。

眠りは癒しである。眠りは抵抗である。眠りは世界の解放でカオスである。そして遊びである。
しかしいずれは覚醒して世界の秩序を取り戻さないといけないんである。プレイタイムもやがては終わる。…再び眠りに就くまでは。
遊びと真面目、子供と大人、男と女、秩序とカオスの間を行ったり来たりしながら宙ぶらりんのままなんの答えも出そうとしない映画が『光りの墓』であった。
あぁ面白かった。なんかまた色々思うところはあるが俺もいい加減に覚醒して仕事に行こう…。

(文・さわだきんたま)

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こんな面白い映画はそうそう無い。『プレイタイム』だったらランタイム10時間ぐらいあっても一向に構わない。つかむしろそれ観たい。
いや、もちろん途中で3時間ぐらい寝るけど、寝ても全然面白いとゆー映画なのだ。

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