佐村河内氏騒動の真相が!?映画『FAKE』衝撃のネタバレ感想文!?

《推定睡眠時間:0分》

「病気だと見せかける者は寝つくだけで病気だと信じ込ませる。病気を擬態する者はいくつかの病気の徴候を自分で決める…シミュレーションは真と偽、実在と空想の差異をなし崩しにしてしまう。《真》の病気の徴候をつくってしまうのだから仮病を使う人は病気なのか、それとも病気でないのか。客観的に彼を病人とも病人でないとも位置づけられない」

あぁそういえばそんなこと書いてあったなとふと思い出しずっと前に『マトリックス』(1999)関連かなんかで買って押入れに積んであったボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』出してきて引用してみたが、何が言いたいのかはまったく分からないのだった。
いや、昔は俺も頑張って読みましたよ。理解しようとしましたよ。でもありゃあかんっすよ。衒学ポエムっすよ。回りくどい例え話がダラダラ続くだけでなにがなんだか…この野郎せめてタイトルにもなってんだからシミュラークルとシミュレーションとやらの語意ぐらいは明確に書けよ!

しかしあれだな、ボードリヤールにあの本に書いてあることはどういう意味なんですかと聞いても絶対にちゃんと答えてくれないばかりかもはや意味は消滅したのだぐらいなこと言いそうな感じあるが、『FAKE』がどういう映画であったかといえばやっぱそんな感じののらりくらりとしたケムマキ映画だった気がするんで思いつきというのは意外と侮れないなぁと思う一方、こんな風に偉そうな名前のついた警句じみたものでハクを付けようとするよな輩の言うことを真面目に受け取ってはいけないとそのような映画でもあったと思うのだ。

つまり大いに視聴者のリテラシーの問われる、知性と良識の試される踏み絵のよな映画がゴッチこと佐村河内の今をドキュメンタリーは嘘をつくな森達也が追った『FAKE』だったのだ。

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…と思って観てしまったので俺はまだまだ甘いねと反省したね。そらもう大いに反省したよ。だってこんなの生活ギャグ映画じゃないですか…! 笑っちゃうじゃないすか…! ことの真相とかどうでもよくなっちゃうじゃないすか…!
あの、あれだなこれはもう半分ネタバレなんじゃないか。つまりなにか、期待して観に行く人もいると思うのだ。真実はなにか的なことを追究するスタンスで臨む人もいると思うのだ。そんなものはしかし全くないのだった…(記事タイトルに騙された人も反省しような!)

いやもうこれは汚い。面白すぎるよゴッチ。カミさんが食事作っても全然食べないんですよゴッチ。そんでメシを前にして沈んだ表情で豆乳ばっか飲んでる。あれなんか落ち込んでるのかなって思うじゃないすか。だから森達也は聞くんですよ、なんでご飯食べないんすかって。そしたらゴッチ言うわけです。「豆乳大好きなんで」。

カミさん+ネコと静かな日々を送ってるゴッチですがテレビの出演依頼は引きも切らない。まぁ散々ネタ扱い詐欺師扱いされたんでゴッチ怒ってるわけです。もちろんガッキーにも怒ってる。だからゴッチ、局の人間が出演交渉に来るたびにこみ上げる怒りを抑えながら毎回見せるんです。あなたたち私をこうするつもりじゃないですかっつって、週刊誌でコスプレして笑顔を浮かべるガッキーの写真を。

ゴッチの評判は海外にも及んでるらしい。今日はなんちゃらリパブリック誌の人が取材に来た。通訳の人が佐村河内だ新垣だと呼び捨てにして失礼な感じだがゴッチは穏やかな人なので意に介さない。だがロジカルかつ厳しい追求にさしものゴッチも怯んでしまった。
「あなた、自分で作曲すればいいじゃないですか」
「キーボード捨てちゃったので」
「なんで捨てたんですか」
「…家が狭かったので」

あれだな、とりあえずゴッチの一挙一動に場内爆笑だったとだけ言っておく。

映画秘宝に載ってた森達也と町山智浩の対談読んだら俺は鬼畜なんすよねと森達也が言っていた。これは確かに鬼畜。森達也の自虐ネタともとれる部分もあるが、人から笑い者にされることを恐れてるらしいゴッチを撮ってるのに明らかに笑わせにかかってる。
ラディカルなドミュメンタリーなんて被写体に愛着がない人じゃないと撮れないのでこれでええんだろ。それ観て笑ってる俺も同罪。笑いとはマジョリティが社会に適応できない人間に屈辱を与えて矯正しようとする残酷な行為なのだ、とはベルクソンの弁。笑いは有用だが善良ではない。

しかし虚実皮膜というかなにが真実だか分からないとこが面白いなぁ。聞こえる聞こえないはどうでもいいがあれゴッチって自分は天才だと信じちゃってる系のちょっとアレな人なんじゃねむしろガッキーを利用してるつもりが逆にその誇大妄想っぷりを体よく利用されてたんじゃねと見えなくもないが、果たしてそれが演じられたものかどうかは誰かが知ってるかもしんないしガッキーもゴッチ本人も含めて誰も知らないかもしんないんである。
だから何よりおもしろいのは鬼面だったり能面だったりひょっとこだったりな色んな仮面のあわいで揺らめくゴッチの日常生活の方であって、衝撃のラスト12分などというがそちらの方は作為が見え透いてしまって別にどうということはないのだ(あ、ちなみに作為ってヤラセって意味じゃないです)

あれだな、単純な二分法は良くないですねなどと説教めいたことを対談で語ってた森さん町山さんだったが、そんな分かりきったことは映画をつまんなくするだけじゃないかと思う。
夢っすよこれは、夢。そこそこのマンションに住んで優しいカミさんと一緒にケーキ食べてコーヒー飲んで猫と遊んでテレビ観ながらダラダラ過ごす。どこまでが自分の意志でなにが本音なのかは自分でもよくわからないが別にそれで構わない。だって夢の中だもん。だいたいあのラストが夢じゃなかったらなんなんすか。

笑いと夢の論理は似ているともベルクソン。全ての答えは猫だけが知る。そして押入れからボードリヤール出すときに気付いたが、こちらもずっと前に買ってそれきり全然触ってなかったシンセが押入れで埃を被ってたのだ。
そのうち引っ張り出していじってみよかなと、なんかそんなことを思ったはぐらかしドリーム映画だったのでこちらもはぐらかして終わる。ニャー!

(文・さわだきんたま)

【ママー!これ買ってー!】


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笑う映画だとか言って茶化してますが本当の『FAKE』は『砂の器』(1974)みたいな感動巨編でした。

↓その他のヤツ

交響曲第一番
ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌
魂の旋律-佐村河内守
音楽という<真実>

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FAKE

あの外国記者の人、佐村河内さんに取材する前に新垣さんに作曲について取材しているのです。的確な質問が出来るだけのネタはその時仕入れているので、あのインタビューシーンは「新垣vs佐村河内」の間接対決と見ることが出来る訳です。ちなみに、インタビューシーンの撮影は2015年2月でラストシーンの撮影が2016年1月なので、あの作曲までに1年近い時間があるのです。

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