石井隆の映画いっぱい観たので感想書いてく(その2)

石井映画の感想その2。石井隆の映画いっぱい観たので感想書いてく(その1)に続いて『フリーズ・ミー』から先の新世紀たかし映画編。

文化人類学者の山口昌男は『文化と両義性』の中でナイジェリア・ジュクン族の社会構造(象徴世界)を分析している。なんでもこの部族は女性にめちゃくちゃ厳しい。女だけに課せられた禁忌がとにかく多く、男たちが儀式を執り行う聖空間に立ち入ってはならない、覗いてもならない、物の受け渡しに女の手を使ってはならないし、月経中には家長の食器に手を触れてもいけない、儀式を話題にすることさえ許されない。

ジュクン女性の絢爛たる受難の最たるものは次のような祭祀に見ることができる。葬礼の夜、祭祀結社の男たちは仮面を着けて死者を出した家を訪れ、その家の女たちが犯した禁忌を指摘し糾弾する。むろん女たちは反論を許されない。たとえ身に覚えがないとしても仮面の男たちの語る罪を受け入れ、相応の金品を差し出すことで許しを乞わなければならない。

ここで重要なのは、女性が実際にタブーを犯したかどうかということではない。彼女らの侵犯性を演劇的に示すことが重要なのである。こういう儀礼的威嚇によって、男たちは、女性に対するコントロールを再確認することができるばかりか、「秩序」を改めて強調することができるのである。

さてこれは。こらぁあれすね、ほとんど石井隆版『花と蛇』の解説と言ってもよいんじゃないかな。でもって『天使のはらわた 赤い眩暈』以来の石井映画の(というかメロドラマの)構造的なコアなんじゃあないか。理由もなくただただ夜の闇に堕ちていく石井映画のヒロインが、その悲劇と引き換えに明るみに出したのは昼の世界の、男たちの秩序の絶対性じゃあなかったか…。

『黒の天使 VOL.2』以降の石井映画を見ていてしばしば思うのは誰よりもそれを意識してるのは石井隆本人だろうってことですね。
結局、ポルノの枠組みで何ができるかって『天使のはらわた』とかでやってきて、フィギュアじゃないリアルな、男の他者としての女をどう描けるかとかやってきて、でもその一方でキャプションに宿命と記されたメロドラマの絵画にすべてを収めてしまう芸術家の完璧主義が、ポルノはやっぱりポルノであるしリアルじゃないフィギュアの世界であるし女は所詮、他者の人格を与えられることのない、つまりは自身が暴き出そうとしてきた抑圧の構図を自ら逆説的に再生産してしまっているとか、そういう風に石井隆は考えたんじゃないか。

20世紀たかしが極度にスタイリッシュな映像世界の構築を通して構造に殉ずる耽美的な快楽を追求していたとするならば、なんていうかいや異論はありましょうがぶっちゃけ汚ぇ全然スタイリッシュ感のねぇあの審美主義はどこへ消えたんすかみたいな画を見てる側にぶん投げることで21世紀たかしは構造の破壊と解放を志向する、の持論。
『黒天2』後の作品群というのはだから、石井隆の贖罪と自己破壊とそして再生の軌跡なんじゃないかと俺には思われるんである。

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『フリーズ・ミー』

おそろしい過去を逃れてしあわせを掴もうと頑張る井上晴美の前にクズ男どもが現れてもう大変。語尾にゲスがつかないのが不思議な漫画的卑屈の鶴見辰吾、ゲノム兵なみの視野とAIしか搭載していない竹中直人、全裸で外を徘徊しながら怪写真を撒き散らす北村一輝などなどキャラも股間も勃ち過ぎたやつらを隙を見ては業務用冷凍庫にフリーズしていく井上晴美ステルスゲーに挑むの一本(『天誅』!)

いろんなところにジャンルはサイコスリラーと書いてある。それはまぁたしかにガワだけ見りゃ間違いではないのですが、でもこのキャラクターと展開の飛び具合からするとダークコメディとか呼んだほうが実態に即してんじゃないか感。
濡れたムードとかおんなの情念とか言われるようなものを石井隆らしさとするならそんなものここにはないわけで、むしろそれまでの石井映画に見られたロマンティズムが男の身勝手な願望として否定される、これは石井隆の自己批評的セルフパロディなんじゃないかと思うところがあったりする。

一人殺ったら二人も三人も変わんねぇので途中から(人の味を覚えた)三毛別の殺人ヒグマと化す井上晴美。死体ひとつでうろたえていた『ヌードの夜』がうそみたいですね。
堕ちて堕ちて儚さの甘味をじゅるじゅる滲ませるのが従来型の宿命的石井ヒロインなら金髪ベリーショートの井上晴美が体現する新世紀戦闘型石井ヒロインは堕ちれば堕ちるだけ怒りとタフネスが剥き出しになっていく。
よよと泣き咽ぶメロドラマの放棄は殺し殺されの運命を自己の解放として肯定するのでいつもの悲劇的結末もなんだか妙にあっけらかんと清々しいんであった。

即物的な密室心理劇の志向は『花と蛇』以降の作品群のプロトタイプ。ケツに迷いがない北村一輝と裸体に血を浴びながら獲物をシメる井上晴美が肉食動物の美でほれぼれ。情感を捨てている分だけやたら展開の詰まった(『GONIN』で強盗を決行するまで何分かかったか考えてみてほしい)筋肉質な映画でおもしろかったなぁと思いますがあまり鑑みられることがない気がするので誰か冷蔵庫から出してあげてください凍ってます。

『TOKYO G.P.』

『フリーズ・ミー』に続くデスゲームもの第二弾はADVISORY必須のHIPHOPプロモ映画で主演ZEEBRA feet.真木蔵人の字面がそのDEEPNESSをありありと物語る石井映画の最深部。愛すればこそ共に堕ちよ、堕ちて自己を発見せよの安吾イズムが石井映画を貫く哲学であるならそれが最も過激な形で顕在化したのが俺たちの『TOKYO G.P.』だろう。

職人を自認する石井隆は他のなによりも客目を意識した映画作りを心掛けているようなのでラッパー映画とくればストリートのキッズが見たいものをカメラに収めていくというわけでかっこいいHIPHOPをサントラに公園(ストリート)のアスレチックでZEEBRAがチーマーどもをぶん殴っていったりする。
夜のTOKYOを舞台にしたストリートのお宝争奪ゲームのお話。ゲーム性を強調するために狂言回しのDJがカメラに向かって「あぶないぞZEEBRA! さぁみんなも応援してくれよな~!」とか言う。どう反応したらいいかわからないけど石井隆もわからなかったとおもいます。

たぶん“TOKYOウォリアーズ”とか“TOKYOストリート・オブ・ファイヤー”みたいなものをイメージしている。これ見るような客層の人がそのことをどう思うかは知りませんが、スモークのくゆる銃撃戦とか過剰にライトアップされた屋上決戦のむせ返るような演歌的ノワール美学、それでも斜体フォントで監督・脚本・石井隆の刻印と、やっぱりどうにも堪らなく石井映画ですよね~(?)

『花と蛇』

石井隆と杉本彩のDVD音声解説(本編よりも面白かった)を聞いていたらヤクザに誘拐された杉本彩が凌辱調教されるアブノーマル異空間がコロシアムと呼ばれており、団鬼六タームなのかもしれないがこうなると前二作と共に石井隆的デスゲーム三部作を形成するのではないか説がにわかに浮上してくる。
そこから導き出されるのはゼロ年代たかしがゲーム表象を入口に作品の再検討を始めた可能性であり、実際マジックミラー越しにモニター越しに、キャラクターとしての女を安全地帯から操作(ディレクションとも言う)しようとする男の図というのが近年まで続くゼロ年代たかし映画の基本パターンなんである。

なにこじつけだと。いやこじつけではない。断じてこじつけではない。なぜならゼロ年代たかしの出発点『フリーズ・ミー』において、井上晴美が殺すべき最大の敵は人ん家に勝手に居座ってプレステをやり続ける竹中直人だったからだ! それをこじつけと言うが。

それで『花蛇』ですが個人的には縛る方のSMにあんまり興味がないので「こんなもんストーリー無いんだから」と石井談(すげない!)の杉本彩ほぼプライベートSMブルーフィルムは辛さの度合いで『TOKYO G.P.』と肩を並べたんですがとても売れたというから世の中なにがどうなるかわからないよね。
なんか綺麗でしたよ杉本彩。ボディ作り込んでてすごいなぁ維持するの大変そう。いや、俺にとってはそれぐらいの感慨の映画だったんですけど石井隆としてはSMを美学的にじゃなくてその構造分析として描いた野心的なポルノって面はあったんだと思うよ。そのへんマジ石井隆の誠実と知性を感じますよね。

ある意味では、「タブー」の数の多さからいって、女性はジュクン的宇宙において、女性と対極にある王に呼応する性格を備えているといえるのかもしれない。

冒頭の引用には以上のような前置きがあるが、まぁなんかそういう話でしたよ。汚されて貶められて拘束されて、母なる女王として再誕した杉本彩が老いた王たる石橋蓮司を包み込むように、食う…。

『TOKYO G.P.』の狂言回しDJキャラを引き継いだヤクザMC伊藤洋三郎の全力怪演が怪しいかがやき。石井隆、コメンタリーで大絶賛(ちょうたのしそう)。杉本彩が連れてきたとかいう未向つー眼差し強めの女優さんは啖呵を切る姿がかっこよく彩さんとの絡みもエロくてよかったが石井隆曰く「騙された!」。だそうです。

『花と蛇2 パリ/静子』

前作より遥かに好きの印象があったもののぶっちゃけどんな内容か忘れてしまっていたので見直してみたら、いやいやこれはおもしろいぞおもしろいなおもしろいよ! ゼロ年代の石井映画でいちばんおもしろいじゃん! ていうぐらいにひとり盛り上がったゼロ年代石井映画最大のカルト。

メタファーとアナロジーを駆使してモチーフと描かれたもの、鏡のあちらとこちら、コピーとオリジナル…みたいな二項対立の図式を形を変えて次々提示してはその境目を攪乱。死のイメージの反復、インモラルな性的ファンタジーの交錯に持ち込んでどこまで夢でどこまで現実か不明瞭な謎々白昼夢ワールドこんにちは。
美術評論家(宍戸錠)の夫の意向でパリ在住の画家(遠藤憲一)を訪れた杉本彩/静子だったが…的なストーリーは一応あるが。表面的なもので。そもそも本当にパリに行ったのかどうかすら定かではないから生半可な謎映画ではない。

なんか不条理劇ぽいですが石井隆のシナリオがロジカルでなかったことは無いのでこれも答えが見えないというだけで精緻に構造化された理知的なミステリーなんじゃないかが持論。
冒頭に置かれた“アイコラ”とラストの“モデル”の話は対応するように思われるし、宍戸錠の見つめる遺影と杉本彩が見るオフィーリア(がイメージの源泉だろうと思いますが)、何故か伊藤洋三郎付きでパリに移転してきているコロシアム…などなどが騙し絵的にひとつの像を構成するが視点を変えるとまた別の像に変わってしまうので永遠に一人では解けない愛のパズルだ。
ゲームゲーム言ってるが、だとするならマルチプレイ対応、マルチエンドを採用した初の石井ゲーと言えるだろう。なんかSFCからPSにプラットフォームが移行した感じである。

成すすべもなく沈んでゆくメロドラマのムードが久々に濃厚。闇の官能的な撮影と安川サウンドの効果絶大(このサントラはほしい)。そのへん含めて次作『人が人を愛することのどうしようもなさ』の『インランド・エンパイア』と通ずるデヴィッド・リンチぽさに繋がる。

※以降、気が向いたら順次タイトル追加

【ママー!これ買ってー!】


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気持ちよいぬるま湯に安住してはいけないというのが21世紀たかしが自身に課した戒律である。さもなければ宿命的悲劇の連鎖は止められない。石井隆は本気である。ならばファンも本気で向き合うべきである。
みんなで見よう『TOKYO G.P.』。いまアマゾンのマーケットプレイス見たら中古で3円でした。

↓その他のヤツ

フリーズ・ミー [DVD]
花と蛇 [DVD]
花と蛇2 パリ / 静子 [DVD]
文化と両義性 (岩波現代文庫)

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