大酩酊映画『ラ・ラ・ランド』に酔って寝る感想(ネタバレなし)

《推定睡眠時間:15分》

ジャズピアニストの夢は遠く不承不承ドサ回りの安バンドで糊口をしのいでいたセブ(ライアン・ゴズリング)が面識はあったが多くは知らない、こちらもハリウッド女優の夢に邁進中のミア(エマ・ストーン)と偶然の再会を果たした時のBGMがニューウェーブ/ポストパンク・デュオのソフト・セルによる『汚れなき愛(Tainted Love)』で、なんでもすっかり忘れ去られていたグロリア・ジョーンズの65年の曲のカバーだそうですが、世代的にはそのどちらでもなくマリリン・マンソンのカバーがファーストコンタクト。

Once I ran to you
Now I run from you
This tainted love you’ve given
I give you all a boy could give you…

パートナーに酷い目に遭わされた男の女々しい恨み節。アングラ変態的な題材を好むソフト・セルなのでこれだけ取れば普通のことしか歌ってませんがなんとなく倒錯したものを感じるしマンソンのカバーともなるともう変態を隠す気もない直球のSM退廃ソング。
これから二人の恋が始まるというのになんて不穏な…とその時は思ったが。でも最後まで観たらこれだとおもったよ。これが『ラ・ラ・ランド』なんじゃないすか。これだけが『ラ・ラ・ランド』というぐらいに。

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感想を一言で言うとすればそうだなこれは最初から魂を引っこ抜かれてしまうしそれから休む間もなくぐわんぐわん感情を揺さぶられてしまうしやべぇ面白うてすげぇやがて哀しきとんでもねぇ酩酊作用すら感じるので高揚の後には宿酔的いや宿命的な沈痛が待ち受けているが同時に鎮痛でもあるのであぁ心地よい心地よいとスヤスヤ眠りに入ってしまったのですがこんなに気持ちよく眠れた映画は最近なかったすね。目覚めてからこんなにおもしろい映画もなかったよ。

早くも二回目が観たいしもう何度でも観たいので完全に映像ドラッグ。いやなにも言葉の綾でそう言ってるんではなくてですねつまり色んなミュージカル、目配せあるのでしょうが。ジャズの造詣、あるのでしょうが。映画愛、溢れてるのでしょうが。きっとそういう映画なんでしょうが…でもおれが真っ先に連想したのはそういう真っ当な全てを押しのけてドラッグ映画『トレインスポッティング』だったんですよ。底辺の、ろくでなしの、ジャンキーどもの惨めな日々を虚ろな幻覚で塗りつぶすあの映画の冷めた興奮が『ラ・ラ・ランド』にもあったんじゃないかと。

ピストルズ再結成と同様にその企画自体が英国的自虐ネタとして機能するので汚い(そんなの絶対観たいじゃん…)『トレスポ』の続編が今年公開の偶然は奇縁としか言えないが…それはともかくこういうところ、賛否両論の所以なんじゃないすかね。
めちゃくちゃ面白い。めちゃくちゃテンション上がってしまう。でもこれはドラッグだし、それもケミカルだし、ちゃんとした大人の作ったちゃんとした映画じゃない。ここには本物と呼べるものはなにもない。殺伐とした現実しかない、みたいな。

ジャズに憧れながらシンセを鳴らして、ブロードウェイを横目に見ながらMTV向けのMVを撮るようなポストパンク的な屈折の。『トレスポ』のユアン・マクレガーにとってのドラッグとマーク・アーモンドの歌う「Once I ran to you」のyouがハリウッドの夢に置き換えられたのが『ラ・ラ・ランド』なんじゃないかなぁとおもうので、それは確かにジャズに真剣に取り組んでいるとか、ミュージカルを本気で愛しているような人なら受け入れ難いものがあるかもしれない。

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ところでマンソンのニューウェーブ・カバーというと『汚れなき愛』に先んじてユーリズミックスの『スウィート・ドリームス』がありますがマリリン・モンローとチャールズ・マンソンから半分ずつ名前を頂戴した人間が歌うわけだからメッセージは明確で、そのコンセプトがやがて三部作アルバム『アンチクライスト・スーパースター』~『ホーリーウッド』として結実するわけですが。

ホーリーウッド。映画の都はあれHolyじゃなくてHollywoodの綴りだからヒイラギの意と知ってガッカリ感半端なかったわけでたとえ誤訳だとしてもやっぱり聖林の響きがうつくしくて良い。たしか川本三郎もなんかの本で書いていた。我々の世代にとってハリウッドは聖林でなければならない、とか。
『Tainted Love』が真逆の『汚れなき愛』に翻訳される。『ラ・ラ・ランド』が超好きなのはうつくしいものは誤解であるし、誤解の中にしかうつくしいものはないとしつこく訴えかけてくるから。

こういうのは移民の眼差しなんじゃないかとおもっていて、自らが属する社会の中に自分のための席がないと感じる人の、あるいはとりあえずの席を確保しても結局は部外者でしかないことの意識に苛まれ続ける人の見る光景っていうのがこれなんじゃんないすか。
ハリウッドの夢がうつくしいのはそんなもの本当は存在しないからで、本物を僭称する作り物であるからこそこういう人たちにとっては輝いて見えたりするんじゃないか。一方でそれは現実じゃないと理解しながら他方でそれこそが現実だと強く思い込む分裂した、捻じれた認識の能動的な誤解が、本物の証明書を持たない人間にはそれとは違う特別な証明書を与えるように感じられるんじゃないだろうか、という。

『ラ・ラ・ランド』で描かれていたのはそういう切実な経験だったんじゃないかと思えばあのうら寂しいラストもそうでなければならなかったのだし、古典の意匠を借りただけのパッチワークだとしてもそうでなければ表現しえないものが表現されていたようにおもう。
これは作り物の映画で本物じゃないし(でも本物ってなんですかね)、創作というよりは批評で、移民の、外国人の、転校生の、いじめられっ子の、都会の経済的弱者の、田舎の人種的少数派の、要するによそ者の立場を余儀なくされた人間の赤裸々エッセイなのでそれはまぁハリウッド人種なんかは喜ぶに決まってるしオスカーに絡むに決まってるし移民リベラルなんかは太鼓判を押すに決まってる。

そう嫌味を言いたくなるくらいぼくにとっては汚れなき愛を捧げたい映画ではありましたね。こんなにメイド・イン・ハリウッドの文字が悲しい映画もないので。

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憧れの映画女優キャロライン・マンローを主演に据えた自主ホラー映画を撮るべくカメラ一本でカンヌ映画祭に乗り込むタクシードライバーのジョー・スピネル。これは汚れた愛(でも泣く)。

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