【涙】映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の感想【麦】

《推定睡眠時間:15分》

めっちゃ若返った北村一輝に見えたのは山田涼介だったわけだが強欲ババァから金奪っても悪いのは向こうだ的なラスコーリニコフ精神でちょいと強盗してきた帰りにポリ目を恐れた山田強盗団が身を寄せたのはメンバーによると空き屋らしいが綺麗に整いすぎて見た目全然空き屋に見えない雑貨店で不思議なことにこの雑貨店は時間にルーズなので過去から手紙が来たり未来から手紙が来たりする、ので、山田涼介が若返った北村一輝に見えてもおかしな話ではないね。

そのおかしなお店がナミヤ雑貨店、かつて名物店主・西田敏行の助言を求めて全国から複雑な現代社会のお悩みお手紙の寄せられた雑貨店というか人情駆け込み寺。
もうとっくに廃業したはずなのにその手紙を受け取る羽目になってしまった山田強盗団は、あんなこんなお悩み人間のドラマに触れたり時にはお悩みを解決したりするのであった。

探偵ナイトスクープ、待望の映画化。

いやぁこれ面白かったな。最初ざっくりした泣き系ファンタジーオムニバスかと思ったら巧みな筋運びで見せるSFストーリー。SF自警団に見つかってしまったら泣いて許しを請うしかないが、サイエンスの影も形もないのにSFストーリーに分類したくなるのは見る側に論理的思考を要求したから。
東野圭吾原作だからミステリーの趣向があって。強盗団からナミヤ探偵局の優秀な探偵に転身した山田涼介と村上虹郎と寛一郎が出所バラバラな手紙読んで思い馳せてるうちにこう、段々と、手紙と手紙がピッタンコして過去と未来が一本の線になってくる。
この時間パズル的な快感、これはあれだよクリストファー・ノーラン映画とかの快感ですね。つまりクリストファー・ノーランが監督した探偵ナイトスクープ、こう言えばイメージが伝わるに違いない。伝わってたまるか。

でもまぁボーッと見ていると置いてかれるなかなか難しい映画というのはノーラン映画と確かに近いものがあった気はしたな。難しいように見えたのは実は編集こねくり回してたせいでストーリー自体は案外単純だったというのもノーランと同じ。登場人物が多いうえ時間的にも空間的にも場面転換が激しい映画だった。
ほんでその分かりにくさに拍車を掛けるのが虚構を隠そうともしない演劇的セットとか長回しが基本の泰然とした画作りで。なんていうか、大河の如し。一応適宜テロップ出してくれますが、複数の時代が描かれるも画的には全部同じに見えるので少し気を抜くと時代が分からなくなる。どの時代どの人物も同じ大河の一滴に過ぎないつーわけです。

好ましい。大変好ましかったなこういうの。記号の極致な登場人物には個性もリアリティもへったくれもないが、芝居を捉えることに特化した長回しの中に他に代えがたい情感は宿る。どの時代も全部同じに見えるというのも寓話ムードを醸し出して良い。
このストーリーだけを見せようとする古スタイルな映画にはストーリーに殉じることがキャラクターを活き活きと生きたり舞台に光を当てることになるんだっていうあんま流行らない思想があると思ったよ。ストーリーとお芝居よりも先にリアリズムとかキャラクターが来る映画が多い中では逆説。オーソドックスなのに妙に新鮮。

文楽とかそういう世界だこれは。門脇麦が淡々と長台詞を吟じてるところなんて人形にしか見えなくてちょっと怖い。でも人形はいっぱしに生きたつもりのつまらない人間よりも生を感じさせたりもすることもあるのだ。まぁ、ぼくは『イノセンス』主義者だから…。

人形みたいでこわい門脇麦はスピリチュアル系の歌手。歌いながら感情乗ってきちゃって表情を変えずにボロボロ涙が頬を伝う依り代っぷり。やはり大袈裟なハリウッド泣き(※西田敏行を揶揄しているわけではない)より無感情な人形泣きの方が真実味というものがある、真実ではなくて真実味が。少しだけ貰い泣きするが、泣きながら門脇麦は黒沢清映画の女幽霊かイタコみたいのやったらおそろしげでいいのになぁとかおもう。
それでその歌というのは主題歌の『REBORN』で、劇中では門脇麦ほかが歌っているがエンドロールで流れるのは山下達郎のオリジナル。わざわざ曲名が台詞で出てくるぐらいだから『REBORN』推しが激しい。順序としては逆の可能性もあるがスーパータイアップ&ハイパーメディアミックスムービーなのではないかなこれは。

思い出したのは『リリィ・シュシュのすべて』で、リリィ・シュシュは映画の中にあまり出てこなかったがスピリチュアル枠の歌手としてなんとなく被る麦とシュシュ、シュシュ名義でCD出したりみたいなプロモしてたはずだ『リリィ・シュシュ』は。
そういえば『リリィ・シュシュ』も『ナミヤ雑貨店』も歌が人を繋ぐ映画だが、相互的な繋がりというのはどっちも全然ない。インターネット掲示板のやりとりをスタイリッシュに映像化したところが目新しかった『リリィ・シュシュ』は掲示板への書き込みを一方通行のコミュニケーションしか出来ない現代中学生の象徴的行為として描いていたが、そんなもの現代とかインターネットとか関係なくて手紙を介した古やりとりだって一方的なコミュニケーションに過ぎないじゃねぇかというのが『ナミヤ』なのだった。

見る者をおいてけぼりにしがちな親切じゃない作りはそういう映画と思えば正しいんだろうたぶん。会話もよく聞けばモノローグみたいでぜんぜん台詞のキャッチボールになってない。調和的な場とか関係性はどこにも出てきてくれない。が、だが物語の全体を見渡したときに、単方向の関係性とモノローグの集積は不思議と相互に補って調和を保っているんである。
そこにファンタジーを噛ませればスピリチュアルなのでキツいが、時空ゆるゆるの謎現象を論理的に詰めていくSF性がスピリチュアルの手前でこのお話を大人の映画に繋ぎ止めているように思いましたね。

【ママー!これ買ってー!】


声の網 (角川文庫)

星新一はハードボイルドを突き抜けてるとかなんとか言ったのは筒井康隆だったと思うが星新一の醒めた現実認識がこどもの読む物とされる日本大人社会の幻想ドブドブっぷりはやべぇと死ぬまでグチグチ言っていきたいが現実とはなにかといったら誰も悪人はいないのに死体だけが自動的に増えていく『ボッコちゃん』の世界でしかないじゃないか、ということがだね! まったく今の世にどれだけ必要かというわけですよ!

それはそうと元々は連作短編として構想されていたネット化された日常の不安を突くお話の数々がやがてひとつの巨大な像を結ぶSF群像劇『声の網』はインターネット人種必読の傑作なので買ってください買え。

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