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『タクシードライバー』の脚本家ポール・シュレイダーの新作はイーサン・ホーク演じる何か思い詰めた系の孤独な牧師が手記を書くところから始まった。そういえば『タクシードライバー』のトラヴィスも日記を書いていたな。
町山智宏の『映画の見方がわかる本』にはその元ネタはドフトエフスキーの『地下室の手記』だと書いてあった(※これはたぶん記憶違いで、『地下室の手記』は引き合いに出していただけだったかもしれない)のでー、じゃあと本棚から引っ張り出して読んでみると、なんだか不可解なこの映画が主に何を描いていたのか、最初の1頁だけでわりと腑に落ちてしまった。ドフエフの冗長文体のせいでかなり長くなるが引用したい。
ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなど、ぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いのかも正確には知らない。
(…)
ぼくが医者にかからぬのは、憎らしいからなのだ。といっても、ここのところは、おそらく、諸君のご理解をいただけぬ点だろう。まあいい、ぼくにはわかっているのだから。むろん、ぼくにしても、この場合、では、だれに向かって憎悪をぶちまけているのだといわれたら、説明に窮するだろう。
ぼくが医者にかからぬからといって、すこしも医者を《困らせる》ことにならぬくらい、わかりすぎるほどわかっているし、こんなことをやらかしても、傷つくのはぼくひとりきりで、ほかのだれでもないことも、先刻ご承知だからである。
けれども、やはり、ぼくが医者にかからないのは、まさしく憎らしいからなのだ。肝臓が悪いなら、いっそ思いきりそいつをこじらせてやれ!
新潮文庫『地下室の手記』江川 卓 訳
牧師イーサンが手記を書き始めたのは何か死に至る重篤な心身の異常を意識し始めたからなのだったが、イーサンは医者にかからない。物語も終盤になってようやく検査の予約を取りに行ったりはしたが実際に検査を受けるシーンはなかったし、仮に受けていたとしてもその結果は観客には知らされない。
思い返してみれば映画の中に出てきたイーサンの病の徴候といえば血尿とか咳とか身体のだるさとかでしかない。果たして牧師イーサンはガチのやべぇ病に冒されていたんだろうか? ぼんやりと映画を観ている間はガンなのかなぁと思っていたが、上の引用部分を読んだ今はたぶん違うだろう方向に傾いている。
病に罹ってるんじゃなくて病に罹りたかったんじゃないすかねぇイーサン。それこそが信仰の証とでもいうようにして。膨大な世の中の不幸から目を逸らしてのうのうと生きている自分への罰として。罰があるなら神がいるはずだというようにして。受難を通したイエスとの一体化として。イーサンにとっての病は救済としての緩慢な自殺だったんである、みたいな。
牧師イーサンは『罪と罰』のソーニャのような敬虔で献身的な若い女(アマンダ・セイフライド)から相談を持ちかけられる。妊娠したが夫は堕ろしてほしいと言ってる。でも自分は生みたい。説得してはくれないか。
早速イーサンがその夫に会いに行くと陰気だが優しそうな人。妻の話でも暴力を振るったりとかはないらしいから悪い人ではないっぽい。
問題はかなり強固に自分の世界に閉じこもっていることだった。ネットで知った(らしい)種々の情報から地球環境の未来を悲観した彼は環境保護活動に傾倒、しかしいくら活動したところで目立った成果は上がらないということで、こんな絶望の世で自分の子供に苦しんでほしくない…鬱期に入ってしまった。
イーサンも賢明に希望を持たせようと説得するのだがこういう人に付ける薬は慎重に選ぶ必要がある。「牧師さんは殉教を信じますか?」「聖人のこと? まぁ、信じるかな」。あくる日、その男の妻から緊急連絡を受けたイーサンはガレージに男が自作した自爆ジャケットを発見するのだった。
たぶんこれは『タクシードライバー』から半無差別銃乱射犯トラヴィスを救い出そうとする映画だったんだろうな。トラヴィスにしたって腐った世の中から売春少女を救うってな口実はあったわけである。環境保護活動と銃乱射を一緒にするなよという気もするが、問題の核心が社会の方にではなく『地下室の手記』の書き手が自己分析したようにパーソナルな感情の部分にあるという点ではそんなに大きな違いもないだろう。
この人たちは実際に社会をどう方向付けて調整していくかというところには目が向かない。現実社会は決してそう綺麗に割り切れたりはしない救いか破滅かの二者択一に問題を矮小化して、そのことで自らを無力な存在に貶めてしまうのだ。社会の問題に個人の問題の処方箋は通用しない。かくして社会のリアリティから切り離された彼らはローンウルフ型テロリストとなっていく。
そして環境保護活動家を救い出そうとした牧師イーサンもまた、まさにそのことによって信仰としての環境保護活動をプロテスタント信仰へと変換しつつ同じ道を辿るのだった。自己の破滅を世界の破滅と直結させて。そこからの脱出を病に託して。
この前段に当たるポール・シュレイダー作品としてニコラス・ケイジがイスラム過激派テロリストへの復讐に燃える認知症のCIA局員を演じた『ラスト・リベンジ』がある。こっちはもう何年も前の映画だから普通にネタバレしてしまうがラスト・リベンジといいつつニコケイ、件のテロリストと対峙しながらも復讐をしない。で、認知症だから復讐のことを忘れてしまうのだ。病による救済のモチーフはここでも顔を出す。
『ラスト・リベンジ』はイイ話だったが『魂のゆくえ』は静謐な映像の中に破滅の予感と狂気が見え隠れするベルイマン型の陰鬱サスペンスで、牧師としてひとり溜め込んで溜め込んで溜め込んだ末にメンタルと欲望が爆発してしまうイーサン・ホークの爆演の凄み、生理的嫌悪を煽る液体の描写や突発的な幻覚の異様さ、神経を逆なでするブライアン・ウィリアムズ(ラストモード名義)のダークアンビエントに嫌な汗しか出ない。エンディングとか嫌がらせみたいな感じである。
なんだか客に祈りと表裏の呪いをかけているような映画だ。俺はこれだけ悩んでいるんだ、お前らも一緒に悩むがいい…とでも言わんばかり。ポルシュレの本気っぷりがなんだか怖くなってしまうが、まぁ昔から本気っぷりが怖い人だったという気もしなくはない(三島由紀夫に傾倒していたし)。
たいへんおそろしい映画だったが、ただ彷徨える牧師イーサンとポルシュレのために言ってあげたいのだが、俺もイーサンみたいに昨日下血しちゃってちゃんと検査するべきかどうか迷っていたところで、とにかく今は金がないから先延ばしにしようかとも思ったが、映画に出てきた医者が場合によってはガンの可能性もあるからと検査を勧めていたのでやっぱ病気怖いし医者行くことにしました。
イーサンあなた人の命を救いましたよ。ありがとうイーサン。そしてポルシュレ。『魂のゆくえ』は健康増進映画です。です?
【ママー!これ買ってー!】
物語も演出のトーンもわりと似ていたベルイマン映画。
↓その他のヤツ
やっぱ『タクシードライバー』見ないといかんよねえ…ってお医者にはかかられたんですかっ?
今見ると「あぁこういう人いるよねぇ」みたいな感じでわりと普通の映画っぽく見えるかもしれませんが面白いと思います、タクシードライバー。医者は行きましたが検査一ヶ月待ちでした…
ええー…!早くかかってくださいね。
お大事にしてください。
(ご返信無用)