《推定睡眠時間:0分》
あまりの衝撃映画っぷりに上映時間の半分以上は笑える映画でもないのに顔が笑ってしまっていた。信じられないような光景に遭遇すると人って笑うんですね。もう笑うしかない。
詳しいことは全然知らないが少女漫画原作の女子高生向け恋愛学園映画=キラキラ映画の新作らしいということで、キラキラ映画をバカにするつもりで何年も見続けているうちにキラキラ映画がむしろ好きになってしまった俺は仕事帰りに速攻で映画館に駆け込んだのであった(仕事帰りのキラキラ映画は格別だ)
その劇場、ユナイテッドシネマ豊洲。映画の主な舞台は偶然にも豊洲のおとなり東雲にあるマンモス団地、キャナルコート東雲だったのでなんだか得した気分になる。キャナルコート東雲というのはUberEatsで注文を受けると着くのは早く着くが広すぎてエントランスがどこだかわからずここが入り口かなと思ったら防災センターの方に回されそこから更に迂回して裏口から建物に入り業者用エレベーターで配達先のフロアまで上がるが1フロア数十戸とかあるので迷ってしまい建物着からお届けまで10分ぐらいかかってしまうがその間にGPS上の距離移動はないので配達報酬は一軒家とか防災センターのない小規模マンションと変わらないという類の面倒臭いだけで配達員メリットの一切ないタイプの建物である(※キャナルコート東雲がそうだと言っているわけではありません)
だいたい豊洲とか勝どきエリアはUberEats配達員大変なんだよ。道わかりにくいし。橋多いし。グーグルマップがそっちだって言うから行けるかなと思ったら道路工事で道塞がってたりするし。そんなとこのタワマンなんかに住んでる金持ちなら報酬の多い高いもん注文してくれればいいのに普通にマックとか吉野屋とか注文するんだもんな。やってらんねぇよ。やるけどさ。やりますよ1件400円500円の報酬のために炎天下の下寒空の下で貧乏人は!
…なんの話だ。すいません『ホットギミック』でした。えー、ともかく! そこが映画の舞台。主人公の女子高生と兄妹、幼馴染みのSっ気ガリ勉男子、また別の幼馴染みにして若手モデル有望株のイケメン男子ついでに反町隆史がキャナルコート東雲に大集結、一悶着二悶着三悶着ぐらいあるというお話が『ホットギミック』。
こう書いてみるとなんだ普通のキラキラ映画じゃん感もありますが、ところがどっこい映画が始まると目に入る東映三角マーク、ということはこの映画…東映ファンシーバイオレンスだったのだ!
東映ファンシーバイオレンスとは! 東映が配給かもしくは製作に関わってしまったがために少女漫画を原作にした普通のキラキラ映画を作るつもりがいつの間にか私刑や殴り合いや強姦未遂が横行するバイオレントな世界が現出してしまった合体事故のようなキラキラ否ギラギラ映画の俺しかそう呼んでいない総称である!
今年の東映ファンシーバイオレンス作品は既に『L♡DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。』という快作にして怪作があるが、『ホットギミック』、超えてきたな。完璧に超えてきた。
なにせ映画の冒頭は妹の所望する茶袋に入ったブツを手にゆりかもめの豊洲駅(※市場前駅とかかもしれない)に降り立つ主人公、ちょっとした口論からブツをぶん投げてしまったところ偶然通りかかったガリ勉陰湿幼馴染み男子がそのブツをキャッチして、こいつの存在をバラされたくなきゃ俺の奴隷になりな、ほら、奴隷、俺にキスしろ…と恫喝したところでタイトルがドーンとかっこよく出るのであったがタイトルが出る前からもうカタギじゃない。さすが東映ファンシーバイオレンスである。主人公は17歳で酒を飲むし主人公の兄貴の友人DJは少女漫画原作映画のくせにハッパをやる不良性感度の高さであった。
ところでそのブツとは何かと言えばコンドームと妊娠検査薬であった。処女の主人公は不特性多数の異性とのセックスをエンジョイしてるらしい中学生の妹のためにコイツを調達してきたのだったが、それを奪取したガリ勉陰湿幼馴染み男子は主人公が使ってるものと断定、実は主人公に気があるガリ勉陰湿幼馴染み男子はお前がヤリマンだってバラしてやるぜと脅すのである。ロマンポルノとかでよくあるシチュエーションとよくいるクズ男ですね。昭和平成と生き延びて令和でもきっちりロマンポルノ的クズ男の生存確認。
惚れた女を奴隷にするクズ男の出てくるキラキラ映画といえば『ういらぶ。』もそうだったが(※『ういらぶ。』はSho-Comi、『ホットギミック』は別コミと、いずれも原作は小学館であった…)、通例こういう場合には別のイケメンがその危険な関係に割って入ってきて奴隷にされている少女に自信を与え自立を促す。
そういえば『ホットギミック』の主人公にはモデルをやっているイケメン幼馴染みもいるのだった。そうかそうかこいつがガリ勉陰湿幼馴染み男子から主人公を助けてくれるのか、と思って映画を見ていると衝撃! 主人公をパリピパーティに連れて行ったイケメン幼馴染みは彼女に飲ませるカクテルにデートドラッグを投入、反社みたいなクズ男どもと一緒に輪姦しようとするのであった! えええええええ!
いくら東映ファンシーバイオレンスといえどもまさかここまでバイオレンスに振るとは思わなんだ。恐るべし東映ファンシーバイオレンスの世界。
だが主人公の受難はそれで終わらない。いやむしろそこからがすごかった。幼馴染み二人に性的搾取され頼みの綱はいつも自分のことを守ってくれるお兄ちゃん、と思ったらお兄ちゃんは血の繋がらない養子、妹に対する劣情を今まで必死に押えてきたお兄ちゃんだったがその事実を知ると恋愛感情制限が外れてしまう。危うし主人公。
お兄ちゃんにその事実をバラしたのは主人公の輪姦には失敗したものの言葉巧みにエロ自撮りを撮らせてその動画で強請ってきたイケメン幼馴染みであった。一体なにがお前をそこまで鬼畜に…その動機は主人公の父親がイケメン幼馴染みの母親と不倫していて後にイケメン幼馴染みの母親を捨てた過去にあった。これぞまさしくリベンジポルノ! …お前は『この子の七つのお祝いに』か。もう人間関係ドロドロすぎてわけわからんぞ。
しかしここらへんから徐々に映画の狙いがわかってくる。俺としては完全100パーキラキラ映画を観るつもりで映画館に足を運んだのであまりのギラギラ展開に顔が笑うしかなかったが、『ホットギミック』、キラキラ映画じゃなかったんである。キラキラ映画のセオリーをすべてひっくり返してその男性優位の価値観に激しく揺さぶりをかける反キラキラ映画、キラキラアジテーションだったんである。
キラキラ映画みたいにあなたを守ってくれる男なんてどこにもいない。そんなやつがいるとしたら嘘つきで、あなたの身体や精神を奪うために甘言を弄すクソ野郎と考えて差し支えない。
だから自分は自分で守らなければならないが同時に、自分を守るために自分の形を定めることを推奨する物の分かった連中の声もまた信用してはいけない。自分の中にある型にはまらない衝動を押さえつけてはいけない。それは男らしさや女らしさの鋳型に人間を嵌め込もうとするキラキラスタイルのバージョン違いでしかないからだ。
家族の鎖から自分を解放しろ。空虚なセックスで着飾るな。くだらない奴らから自分だけの生を取り返せ。その混乱した性を生きよ。予定調和に逃げ込むな。安全なマンションなんか捨ててしまえ。男も女も明日なき生の、一瞬限りのろくでもない愛にすべてを懸けろ!
なんというアクチュアルな闘争宣言。なんという解放の志向。さすが東映ファンシーバイオレンス、アナーキーである。エリート進学校の糞男子生徒たちの「あいつらバカだからすぐ股開くんだよ!」「バカだから身体でお勉強してるんだろ!」、イケメン糞野郎幼馴染みのマネージャーが放つ「そんな素人…ヤりたいなら言って、女なら私がいくらでも手配するから」等々、うろ覚えだが台詞もたいへん仁義がなく東映的であった。
まったくもって衝撃的な(反)キラキラ映画だったが、衝撃を受けたのはアジテーショナルなシナリオだけではない。っていうかまずそこが普通のキラキラ映画と違い過ぎてスーパーびっくりしたのだが、なにこの映像。
もうなんかすごい。カットを割る割る。トニー・スコットのアクション映画よりカット数多いんじゃないすか。ただ突っ立って会話してるだけの2分くらいのシーンでも足撮ったり影撮ったり植木撮ったり背景の子供のショットを挟んだり秒単位の切り返しをやったりして数十ぐらいにカットを割るし、しかもその会話をジャンプカット的に切り詰めて膨大な台詞で畳みかける。カメラが俳優の周りをぐるーっと回ったりとかしながら。
しかもそこに画素数の少ないノイジーなスマホカメラ? だかのフレームサイズの異なる映像が主観的に挿入されたりする、これもフレームサイズの異なるスチル的な画像がサブリミナル的に入ってくる、執拗にインサートされるドローン撮影のキャナルコート東雲が言いようのない不穏と閉塞感を醸し出し、かと思えば唐突に色調をいじったスプリット・スクリーンだ。
ロマンティックな(偽)ラブシーンでは被写体とカメラの間に薄地のカーテンというか垂らした布を配置してソフトフォーカス的な効果で虚構性を演出するが、これなんか石井隆の映画みたいである(『死んでもいい』とか)。ネオン的なライティングはニコラス・ウィンディング・レフンの影響とかかもしれない。
江東湾岸エリアのやかましい工事ノイズ、空気を無視してシーンを横断するイージーリスニング的な劇伴に喧嘩を売るラップ。撮影といい、照明といい、編集といい、サントラといい、ロケーションといい…めちゃくちゃ尖っているな。衝撃ですよ、本当に。
こんな衝撃作をぶっ込んできたのはどこの変態だと思ったら山戸結希監督でした。ああ! これがあの山戸結希だったのか! 名前ばっかり推されるのがなんとなくいけ好かないから映画一本も観たことなかったがこういう映画を撮る人だったのね! それは天才って言われるよ。だって日本映画の最前線だもん。今まで観てなくてすいませんでした。
そのことを知ったのはエンドロールの最後だったので、途中まで俺は勝手にキラキラ映画界きっての技巧派にして性愛派のベテラン廣木隆一が監督だとおもってました。
ということはそういう香りはちょっとあったのかもしれない。この強烈な映像世界は前衛としての前衛を意識させて、シナリオの主題のアクチュアリティとは裏腹にあまり観客の方を向いてない観がある。ようするに業界保守的である。
そのシナリオは現代的な台詞回しはおもしろかったがあまりシーンとシーンに有機的な繋がりがなく、演出でかなりごまかしているようなところがある。
これがデジタル世代の感覚っすからとでも言われたらはぁそうなんすかぁとしか言えないが、演出任せのストーリーテリングはシナリオの持つ生きにくい子どもたちのリアリティであるとか、現代的な意義を結構損なってしまってるんじゃないかと嫌味を言いつつ、でも結局、ラスト、『幻の湖』のごとく男女の本気の追いかけっこを長々とカメラが追い続け、そして主人公が「私の身体は私のもの!」と、男の方が「だからナマでヤらせろ!」と叫ぶ場面の爆発的なエモーションに、目頭のホットギミックは作動してしまうのだった。
【ママー!これ買ってー!】
クライマックスで『幻の湖』にオマージュを捧げている(※要出典)となれば『幻の湖』保全委員会の一員としてはアフィリンクを貼らないわけにはいかない。奪われる女の自立の話という意味では同じですしね。大雑把に言って。きわめて大雑把に言って。
↓原作