映画『HELLO WORLD』感想文(もう見た人向け)

《推定睡眠時間:0分》

アラフォーぐらいの世代の人ならあったあったとダークなノスタルジーを覚えるかもしれませんがオウム真理教が開発した数々の怪装置の中にヘッドギアの通称で知られる(らしい)PSI〈パーフェクト・サーベイション・イニシエーション〉というものがあり、その概略は以下の通り。

この装置は、信者の頭にかぶせて数ボルトの電流を流し、脳波を操作するものであり、これによって麻原の脳波をコピーし、心理のデータがインストールできると謳われた。実際にこれを使用した信者は激しい頭痛や頭皮の火傷に苦しんだだけであり、実質的な効果は何もなかったと思われる
太田俊寛『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義』

『HELLO WORLD』の中盤、主人公の前に現れた未来の主人公の目論見が明らかになった時にこれじゃんって思ったよね。未来の主人公、量子コンピューターが記録・生成した完璧なる過去の仮想世界で現実では落雷事故により植物状態になってしまった恋人の意識データを培養して現実の彼女にコピーしようとしていたわけですが、その脳データ移植に使う装着型器具の実験で背中に重い火傷を負って片足は動かなくなってしまった。

脳データ培養のためには仮想世界での彼女を現実のそれと同じような状態に持っていく必要がある。そのために未来の主人公は仮想世界の主人公に強く頭に思い描くことでなんでも作ることのできるドラえもん的な手袋をプレゼントする。その際に「脳のように構造の複雑なものは作ることが難しいが」とか言うのはちょっとした伏線だったがそんなことはともかく、この手袋を使って仮想世界の主人公は恋人を守るためにミニブラックホールを作っていたが、ブラックホールといえば(といえばとはなんだ)サリンプラントやAK-74プラントの建造を指揮しPSIを開発したオウムのナンバー2にしてなんでも科学者の村井秀夫も、麻原にブラックホール作れないかと言われ開発を真剣に検討していたのだった。

いや別に『HELLO WORLD』がオウムっぽいと言いたいんじゃなくてですね、なにが言いたいかというとですね、オウムというのはこういうオタク的な想像力を解放して、それで現実と虚構の壁を壊してしまった集団だったんだなぁという…いいか、変に気を遣わなくて。俺のブログだし。

オウムっぽいって思ったよ『HELLO WORLD』。そこが俺には面白かったから悪い意味じゃないですけどオウムっぽいとは思ったよ。PSI的な意識移植装置もそうだし仮想世界の主人公が魔法の手でなんでも作れるように想像力の修行するところもそうだしこの世界はまやかしの世界でその外の世界も実はまやかしの世界でという出口がない無限曼荼羅世界からの解脱を目指すところ、とかもそうだし。

でも繰り返しになりますがたぶん意識的にそうしてるんじゃないです。なんかサイバーパンクっぽい面白いことをやろうとしてオタク的想像力を解放するとSF作家の大半はそのへんに行き着くんですきっと。
おもしろいよねその想像力の焦土感。みんながこぞって個性的な服を着ようとしたらみんな結局同じ服を着ちゃってたみたいな。

このお話を書いた人はオウムは意識していなかったでしょうがオウムが早々にまざまざと見せつけてしまったそのオタク的想像力の限界は意識していたと思うな。俺にはこの映画がオタクの敗北についての映画に見えましたよ。そこが、おもしろいところで。

ヴァーチャル過去に出てくるキャラクターはどいつもこいつも学園アニメ的紋切り型。そこで繰り広げられる恋愛模様も萌えノベルゲー的紋切り型ならそこを出てからの展開もサイバーパンク的紋切り型。未来の主人公の介入で量子コンピューターが制御不能になって「宇宙が生まれる!」とかなんとか博士が言うのだからまた『AKIRA』展開かというジャパニメーション紋切り型。

最後の最後になってどうもその紋切り型大放出の理由はポスト・ヒューマンとかサイバーパンク系のSFが主食の本オタクの主人公が植物状態で見ていた夢だからっぽいことが明かされる。想像力でなんでも作れちゃう手袋は文学を創作することの比喩として理解することができる。

ということはその夢の中では落雷の形で表現されるなんらかの事故で植物状態になったのは恋人ではなくて主人公だったんだろう。彼は逆に科学者の恋人の尽力でその悪夢から抜け出して現実世界に帰還する。別の見方もできるがいずれにしても重要なのは男性が女性のパートナーに虚構の世界から現実世界に連れ出してもらう、ってとこでしょう。あるいは男が命懸けで女を助け女が人生を捨てて男を助け、という共助の関係。

物分かりのいい映画だなぁと思った。オタク的紋切り型を一通りやっといて最後は現実の恋愛を祝福。よくできてますね。二人で来てくれたほうがお金儲かるからカップルで観に来て下さいね恋愛要素ちゃんとありますから、あでもオタクが一人で来てもおもしろいですからオタクも全員来て下さいねって感じです。こういうよくできた映画を観るとなぜか心が寒くなる。

昨今の劇場用アニメをざっくり概観して(恋愛脳の女を叩く)オタクが一番恋愛脳じゃねぇかと柳下毅一郎が腐していたが、そんなにお前ら恋愛がしたいのかとは確かに言いたくなるし、なんだかんだ言ってそんなに現実が恋しいのかとも言いたくなる。
それはオタクの問題ではなくてオタクな作り手の問題かもしれないけれども、結局、虚構に現実を捨てる程にのめり込むのではなく虚構を虚構として冷めた態度で消費するのが当世風のオタクというもので、予定調和のカタストロフの先に待ち受ける予定調和の恋愛救済が食えればそれで文句なんかないんだろう。

結構なことです。平和でよろしい。恋愛もしないで現実よりも虚構を選んでしまうとオウムのようになってしまわないとも限らないですからね。『HELLO WORLD』はプログラミング学習で最初に出力してみる言葉。さあ同じ事をループしているだけのプログラムされたオタク妄想に閉じこもってないで新しい世界に飛びだそう!

そんな道徳教材みたいな映画のなにが楽しいんだまったく。いやおもしろかったけどね。おもしろかったけれどもさ。でも、もっと破綻したっていいじゃん。もっと欲望を出したらいいじゃん。内容にそぐわない趣味とかねじ込んだらいいじゃん。もっと反社会的でもいいじゃん。オタク的想像力の可能性をそんな簡単に諦めないでもいいじゃん。せっかくの映画なんだから…って俺は思うのですが。

【ママー!これ買ってー!】


ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

壊れた世界と女による救済というのは妄想の巨匠ディックもよくやるパターンですがディックは貧乏人の生活臭が図らずも行間から滲み出てしまう人なので救済の希求が迫真性を帯びてエモくなるわけです。

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