《推定睡眠時間:40分》
お話がよくわからなかったというのは冒頭から40分も寝ていればそらそうだろうなのですが、ジャンルとして好きではあってもその独特の論理や空気、つまりお約束が肌に染みこんでる世代ではないので、という事情もやはりあったのではないかと思う。
わからない。ストーリーもわからないしキャラクターもわからない。それは何を考えているかわからないというよりは…存在自体がわからない。こういう風景にはこういう人がいる、こういう世界ではこういうのが粋、という世界観の必然性のようなものがわかっていない。
物語の必然性、主人公がこう行動したことに対して主人公とは性格が反対の人がこう反応する、というような必然性なら多少寝ても映画を画面を見ていればわかる。でも世界観の必然性は体験に深く根ざしたものであるから画面を見ているだけではわからない。世代的にその体験をしていない俺には諸々、わからない映画だったんである。
西部開拓時代の終わりと世代交代を描いた映画というが、アウトオブ世代にわからなかったということはそれが完璧なレベルで成功しているということだろう。『シェーン』みたいなものは面白く見れるし『怒りの荒野』みたいなものもアンソニー・マンの西部劇も面白く見れる。それは普遍的・抽象的な物語を志しているからで、そうしたいつまでも語り継がれるような物語の反対を、語られることなく時代に殉じる映画をセルジオ・レオーネは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』で語ろうとしたんじゃなかろうか。
『サッドヒルを掘り返せ』じゃないが、とはいえそれを掘り返してなんとかもう一度陽の目を…という人たちの愛と熱意のおかげでこうして現代に蘇ったわけで、率直に言って俺にはそこまで面白いとは感じられない映画だったが(鉄道敷設中の町のパノラマは美しいがどこかテーマパークじみて見えてしまう。それは俳優の顔もそうだ)、今の世にこれがシネコンでリバイバル上映されたことにはやはり心を動かされてしまう。
かっこいいけれどもこのかっこよさは俺向きではなかったし、美しいけれどもこの美しさは俺にはわからない、クラウディア・カルディナーレの顔を見ながらゾンビに襲われて目を見開き汗だくになる光景を想像し(※そんな映画には出ていない人なのだが…)、ヘンリー・フォンダの省エネ感のある悪役っぷりを見ながらちょっと芝居の手ぇ抜いてないかとか、顔面アップの多用はそれが言外のドラマを饒舌に語るとしても一本調子に過ぎるだろうとか思ってしまうが、逆説的にそれが、演歌映画としての『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』の価値なんだろう、とおもう。
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あとぼくレオーネよりフルチ派なので…フルチのシュルレアリスティックな画作り最高なんですよ…。