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わざわざ初日にネタバレありの悪口感想を書くとお前そんなにPV欲しいのかよって思われそうで嫌なのでいやPVは欲しいけれども、欲しいけれどもネタバレなし仕様で行くから。こっちは客寄せのために話題作の悪口を言いたいんじゃないんだよ。退屈はしなかったけど納得もしなかったからその思いをどうにかしたくて悪口を言うんだよ! とはいえ広告は置きますが!
あぁ、『スペシャルアクターズ』! 参ったな! どうしよう! 『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督最新作とのことですが! うーんこれは! これはかなり厳しいんじゃないかな!
確かに予告編の時点で厳しそうな予感はしていた! 正直に言えば予感なんて生やさしいものではなく確実に厳しいと思っていた! だが俺は上田監督ら三人の若手映画監督がリレー形式で監督した『イソップの思うツボ』を観ていたので! そしてそれが結構感想に困る出来だったので! まあ良くも悪くも期待値は下がっていたからそれなりに面白く観られるんじゃないかとも思っていたのだ!
認識が甘かったと反省してる。こっちを観た今ではむしろ『イソップ』の方が企画もの映画として見所があったような気がしている。『イソップ』おもしろかったんじゃないだろうか。公開時にすごく悪く書いたと思うのでなんかちょっと申し訳なくなってしまった。そんなことはさておいて。
『スペシャルアクターズ』、つまらないわけではなかったのですが何が気に食わないって端的に記号感が、これぐらいでしょ感が。むろん作ってる側はこれぐらいでしょって思って作ってるわけでは決してないと思うんです。限られた予算の中で超頑張ってるのも知ってるんです嘘知らないですが、でも想像はできますよ。なんなら低予算を逆手に取ってあえての記号感、これぐらいでしょ感を意図的に作り上げたんだろうとも思ってますよ。いろいろな狙いを込めて。
でもねー厳しいっすわー。これ厳しいっすわー。本当に全部記号なんですものー。これぐらいでしょなんですものー。緊張すると気絶しちゃう心の病を抱えた役者志望の主人公の大澤数人さん以外はー。キャラクターも小道具もセットも含めてー。
大澤数人さんの物語としては良いんですよなかなか独特の存在感のある人でねー。幼児的にツルンとした顔しててねー。重心が定まらなくてねー。シャキッとしろよこの野郎って言いたくなってしまうよねー。そんな情けな大人がひょんなことから新宗教詐欺グループ壊滅ミッションに参加することになって病を克服していくサマはちょっとイイ話感ありましたよねー。そこは良いんですよそこはねー。
いや本当そこだけなんだよ。もう、なんなんだって思いますよ。この大澤さんが戦う新宗教詐欺グループとか絶対雑すぎますよ。デフォルメじゃないですよこれは雑なんですよ。ムスビルっていう名前なんですけどまず名前に権威がないじゃないですか。新宗教詐欺で飯食おうとする人間がそんな看板掲げないですよ。なにかしらオカルトタームとかポジティブっぽいワードとか既成宗教の分派を臭わせる看板掲げますよ。
ムスビルというのは教団名でもあり同時に教団の教義に出てくる惑星の名前でもあった。曰く、超惑星ムスビルから選ばれて声と引き換えにテレパシー等々の能力を授かった教祖様が…とかそんなことらしく、多分にサイエントロジー的なものをイメージしている。教祖の霊言テレパシーを聞くことのできる教祖の父親の服装はちょっと大川隆法的。教団パンフレットはエホバの証人のパンフレットにデザインが似ている。結構。それはよいのですが。
こいつらマトモに宗教商売やる気絶対ないっすよね。やってることがてんでバラバラじゃないですか。超能力開発セミナーとか高額の教祖ブロマイドの販売とかなんの説法だかよくわからない説法とか。それを一つに結びつけようとする気がない。宗教として人から金を搾り取ろうとするんなら高額商品とか売ったりしないですよ。お布施をすると徳ポイントが溜まって教団の教えも広められてって誘導して金だけ搾り取りますよ。たとえ石ころでもモノなんかあげませんよ。
なぜならお布施で重要なのは目に見える対価が得られないということだからで、それが信者自身が自分に課した一種の試練として機能するからですよ。仮に教団が資金集めで信者にモノを売るとしたらそれは教団の教典の類いに限定するべきで、この場合でも買う方の目的はより深くその宗教を内面化することであり、モノ自体は重要ではないってのが一般的な宗教の商材観じゃないですか。
ブロマイドを売っているということは教祖を神格化したいのでしょうが、神格化するつもりなら逆にブロマイドなんて売るべきじゃないですよ。手が届かないから神なのであって。じゃああんたら創価学会の信者とか幸福の科学の信者とかが教祖のブロマイド持ってたり売ってたりするの見たことあんのかよって話です。そりゃ仏壇に写真飾ってたりする場合はあるでしょうよ。でも仏壇に飾られた宗教指導者の肖像というのは近くにあってしかし手に触れられないものとして飾られているわけで、ブロマイドの即席性はこういう指導者信仰からいちばん遠いものですよ。こんな商売持続性ないですよ。宗教で身を立てようとするやつは誰だって持続性を考えますよ普通は。
超能力セミナーをやろうがインチキ販売をしようがともかくそれが一つの宗教的世界観の中で有機的に結びついていればなにも問題はないわけで、むしろ宗教というのはそれ絶対結びつかないやろ的な雑多な要素を独自の教義で強引に結びつけることで常識的な世界観のオルタナティブを提供して、そのオルタナ世界観で常識で把握されるそれとは別に世界を把握しようとするものじゃないですか。その新たな世界の開けが悩みや不安を抱えた人には自分を救う答えになるわけで。
でそのためには諸要素を結びつけるための太い軸がないといけない。これは教祖のカリスマ1本の場合もまぁなくはないでしょうが、普通は既に評価の定まった先行する宗教団体とか哲学とかから引いてくるじゃないですか。幸福の科学だってGLAパクって仏教入れてるんだから大川隆法の独創でやってるわけじゃないですよ。創価学会だって日蓮正宗の分派ですよ。サイエントロジーでさえいかにトンデモに見えようがその理論と実践はユング心理学とかアドラー心理学をベースにしているんだからその点では突飛な宗教ではないわけで、こういう新宗教はだからこそ決して少なくない信者を集められている。
ムスビルの背景にこういう結びつきがあるかといったら何もないじゃないですか。こんな宗教売れるわけないんですよ。胡散臭いとか臭くないとか関係ないんですよ。設定が雑すぎるんですよ。宗教を舐めすぎですよ絶対。宗教行為もろくに描かれないし。
そりゃ信仰も様々な幅広い客層を想定するのならあんま具体的に新宗教を作り込まない方がいいみたいな判断はあったのかもしれないけれども。それで結果としてただふざけてるだけの集団にしか見えなくなっちゃったら本末転倒じゃないですか。
この映画の一応の悪役はムスビルなわけじゃないですか。だったらムスビルがコメディタッチを採用するにしても本当に怖い悪い邪教集団に見えなかったらダメだと思うんですよ。それは金をかけるかけないの話じゃないくてどこまで設定を作り込むかって話ですよ。ちゃんと作ろうとしたら宗教商売と悪徳商法を安易にミックスなんかしないですよ。宗教に入るやつには宗教に入る理由があるのであって、悪徳商法にやられるやつには悪徳商法にやられる理由があるのであって、その二つは重なる地点があるとしても根本的に別物なんですよ。
宗教とかオカルト人種が徹底的に血の通わない記号でしかない。その薄っぺらい宗教観は俺が『スペアク』に感じた気に食わなさの大部分ではあるけれど、それ以外の部分でたとえば大澤数人が子供の頃から大好きでずっと見てる『レスキューマン』という洋画(?)、これがまた意味がわからない。
とにかく安い。あまりに安いスーパーマンのパロディで、映画の中で映し出されるその一場面は廃工場にやって来たレスキューマンが気功的なパワーを駆使して悪党と戦うというものですが、これなんなんですかね。トロマ? でもトロマだったらもうちょっと血とか内臓とかゲロが出るだろ。素人撮影の週末ビデオ映画? 内容からすればそれが妥当に思えるが、でもこれ吹き替え版なのでそんな映画の吹き替え版ビデオメーカー出すかなぁ? と疑問の嵐。
大澤数人はこの映画を一人暮らしのアパートではビデオ鑑賞してるのでまだVHSデッキ現役。どうかねこれも、そんな使ってたらヘッドとかダメになってるんじゃないすかね。でそのテープがパッケージされたやつじゃなくて空テープに自分で録画したやつなんです。ってことはデッキ二台繋いでダビングしたのでない限りこの映画テレビで放映されたんですよ。テレビ放映なら深夜以外は吹き替えがデフォだろうから吹き替えの謎も解決。問題はこんな映画を買う局があるんだろうかという…そもそもカメラワーク等、ルックがビデオ時代の映画にまったく見えないというのも大いに問題だろうけれど。
『レスキューマン』の中には囚われの美女(?)が出てくる。レスキューマンは彼女を助けてジ・エンド。大澤数人はレスキューマンと自分を重ねて教団壊滅ミッションに挑むので、中で知り合った女性信者に例の囚われの美女の面影を見る。それだけじゃないがそれもあって大澤数人は奮闘するのですが、この女性信者と囚われの美女が一ミリも似ていないのでどうして大澤数人がそこに囚われの美女の面影を見たのか、シナリオの要請以外の理由が見出せない。
大澤数人を特殊詐欺ならぬ特殊サクラ軍団スペシャルアクターズに誘ったのは弟の河野宏紀で、どこかの陸橋で立哨していた警備員バイトの大澤数人と偶然出会ったことから話は転がって行くが、最初かなりはっきり河野宏紀の声を聞いているのに大澤数人はそれが弟の声だと気付かない。何年も会ってないとセリフで説明されるとはいえ、気付くんじゃないすかね、さすがに。そんなにはっきり声聞いたら。ていうか陸橋の立哨ってどういう現場なのそれは。
ようするにですよ、ようするに。雑なんだよ。もう本当に雑。決してそうではないとは思いますが、でもプロットを回すことだけしか考えていない映画に見えてしまったんだよ俺には、その他のすべての映画要素を犠牲にして。
俺はそういう映画が嫌いなので、悪いところばかりではなかったとしても、ふざけんなよって思ってしまうんです。あくまで俺にとってはそれが『スペシャルアクターズ』でした。以上。
あとオープニングタイトルのセンスは普通にダサいと思った。
【ママー!これ買ってー!】
ここだけはみたいな拘りがあってもいいじゃないですか。拘りがないと宗教ネタなんて面白くないじゃないですか。『トリック』の映画版が面白いかどうかは別の話ではあるが!
予算5000万円だそうです。邦画は商業映画でも2000万円くらいが普通なので割と多い方だと思いますよ。
あ、想像してたより全然多かったんですね。5000万かぁ・・・