一寸の虫にも五分の魂、三文ルポルタージュにも一抹の真実。なんだかまたえらいドキュメンタリー映画を観てしまった。これはなんと表現すればよいのだろう…俺の中ではハードボイルド武闘派ジャーナリスト落合信彦の陰謀ルポの実写映画版みたいな感じなのだが、それも人によってイメージするものがだいぶ違うと思うので…つまり落合信彦のルポなんてどうせヨタ話なんだからと笑い飛ばす人もいるだろうし、逆にいやあれは真実で真実だからこそ大手メディアは黙殺するのだとか考える人もいるだろうと思うのですが、そうと割り切ってしまうと落合信彦は面白く読めないというか、基本的には疑いの目で呆れながら読むけれど、でもその中にときおり何かしらの真実の欠片が混ざっていたりするのが面白いというのが俺にとっての落合信彦ルポで、この映画もそういうタイプの面白さだった。
誰がハマーショルドを殺したか。結論から言ってしまうと映画の内容とは無関係にそんなもん(今のところ)わからないし、そもそも本当に事故だったのかどうかが(今のところ)わからないのと同じように本当に暗殺だったのかもわからない。フェイクとファクトの混在が常態化した今のネット社会でもまだ落合信彦を純度の高いファクトとして読む人もいるので、なんか公式サイトとか見ると「これが真実!」みたいに煽ってますし、それもプロレス的ギミックとして楽しむ映画ではあるわけですが、その点は若干白けさせることにはなるが一応強調しておこう。それをわかって観れば非常に面白い映画。そう注意書きを入れた方がいいくらい精神毒性の強い映画。
ハマーショルドというのは第二代国連事務総長のダグ・ハマーショルドのこと。全然知りませんが在任中に死んだ唯一の国連事務総長と信頼できないウィキペディアには書いてある。映画の冒頭、なぜか(理由は観ていればわかる)監督本人とアシスタント役の黒人女性による台本アリのお芝居でこれから始まる物語の大体が語られる。ハマーショルドは航空機事故で死んだと言われるがあれはハマーショルドがアフリカに和平をもたらそうとして邪魔者扱いされた末の暗殺だったのだ。そしてその背後には全身白ずくめの狂気に満ちた悪者がいたのだ。これは真実だろうか? それとも呆れる陰謀論だろうか?
もうこの時点でいかがわしさがトップギア。なんと人を食った映画だろう。真相究明のために現場に埋められちゃった事故機の破片掘り返そうぜっつって金属探知機とシャベルとご褒美用の葉巻を用意するところなんか完全にふざけているね。まったく笑わせるぜ! 落合信彦の空手無双()と同じくらいな! だがニヤニヤしながら観ているとなんだかまったく笑えなくなってくる。それは暴かれる真実(?)が笑えないくらいおぞましいものだったからではない。なにが真実だかサッパリわからない世界でこれこそが真実と語り信じる人間たちの織りなす虚々実々と、その背後に透けて見える政治的思惑が笑えないのだ。
落居信彦の主著にしてラスト・バタリオン幻想の供給源ともなった怪著『20世紀最後の真実』は南米に逃れたナチスの残党がUFOを作っているというトンデモ譚をベースにヒトラー生存説とナチス超兵器解説、更にはナチの残党三人を相手に得意の空手を披露し見事やっつけた()落合の武勇伝などを盛り込んだものだが、落合信彦の著作がどの程度事実に基づくものなのかを検証した落合ルポ『落合信彦・最後の真実』によれば、『20世紀最後の真実』がかくも奇怪な内容になったのはいくつかの種本を剽窃パッチワークしたこの本のメイン種本となったのがカナダのホロコースト否定論者エルンスト・ツンデルの著した『UFOs: Nazi Secret Weapon?』で、そもそもその本がアングラ・ベストセラーにもなったトンデモ本だからということらしい。
重要なのはなぜカナダのホロコースト否定論者がトンデモ本を書いたかということだ。『UFOs: Nazi Secret Weapon?』は矢追純一のUFO特番『ナチスがUFOを造っていた』のネタ元にもなって、この番組にはツンデル本人も出演しているが、どうもツンデルの関心はUFOそのものではなく(本当にナチUFO作ってた説を信じていた可能性もなくはないが)ホロコースト否定論に人々の耳目を集めるにはなにが必要かという点にあったようだ。
その目論見はまんまと成功したと言え、『20世紀最後の真実』にもきっちりホロコースト否定論は(しょせん剽窃本なので)組み込まれているし、ナチの高官を名乗る匿名の人物やツンデルの影響を受けてかUFO=ナチの乗り物説を提唱する元チリ外交官にしてナチ・シンパの神秘主義者とかいう肩書きが混沌とし過ぎている〈謎の男〉ミゲール・セラノもこの本には登場してヨタ話に黒々とした彩りを添えており、要は落合信彦はこれら第三帝国の再興を夢見る面々にまんまと利用されたか、もしくはそのホロコースト否定論に同調したんである。
木を隠すには森というがナチUFO作ってた説なんて大ボラの前ではホロコースト否定論は多少なりとも信憑性のある現実的な話に思えてしまう。そのバカバカしさからネタとして本を手に取った人の中にはUFOは信じなくともホロコースト否定論に関しては一考の余地ありと受け取る人もいたかもしれない。
全然そんなこと書いてませんでしたがトンデモ展開にびっくりする映画ゆえ密かに『誰がハマーショルドを殺したか』の内容にはここでは極力触れないことにしていたので『20世紀最後の真実』の話で誤魔化したわけですが、つまり、なにが言いたいかというとですね、一見そんなアホなと思えるような話でもその裏には黒い思惑があったりするし、エルンスト・ツンデルがどこまで本気でナチUFO作ってる説を信じているのかわからないように、「真実」の証言にも個人の願望や妄想や思い込みが混ざっていることもあるというか、むしろ混ざっていて当たり前、それが十年も二十年もあるいはもっと昔のことなら尚更だ。
『誰がハマーショルドを殺したか』の終盤はそんなわけのわからなさをあえてわけのわからないまま観客に突きつけようとしていたように俺には見えた。撮影期間を六年も取っているのだからこれを直線的なストーリーに編集しようとすれば簡単かどうかはともかくできないことではない。でもそういう作りにはなっていないわけで、あちこちで撮ったインタビューは断片的で、次々と掘り起こされる証言の仔細な検証があるわけでもなく、その証言から浮上した謎や新事実(?)をまた次のインタビューに繋げていく…という芋づる式の構成になっているので映画が進むにつれて謎は深まるばかり。
その情報の洪水を浴びて、観ている人間はやはりこう感じたりするんじゃないだろうか。あれとかあれはさすがに突飛だから嘘っぽいけど、でもハマーショルドが事故死じゃなくて暗殺っていうのは本当っぽいな…。事実、俺も多少そっちに傾きかけているが、最初の方でも書いたように暗殺の直接的な証拠(もしくは証拠の信憑性)は今のところ出てきていないので、この映画から分かる「真実」なんか本当は一つも無いのだ。
情報の洪水を浴びてわけがわからなくなると人間はそこに合理的な筋道をつけようとするが、その過程で常識的な判断基準が少しズレてしまって、けれども筋道をつけることでいっぱいいっぱいになっているから受信した大量の情報によって自分の判断基準が変わったことに気付かないということは往々にしてある。
『誰がハマーショルドを殺したか』の中盤に仕込まれたメタ仕掛けは観客にその自覚を促して終盤の情報洪水の備えさせるものであったかもしれない。あるいは逆に、意図的に仕掛けられた情報洪水の免罪符(私たちはちゃんと注意しましたが?)があのメタ仕掛けだったのかもしれない。
それさえもわからないのだからとにかく何もわからない映画である。ここに何らかの真実があるとすればそれはわからないものに直面したときの人間心理だろう。なんとも疲れる映画だがおもしろかった。落合文学みたいな感じでね!
【ママー!これ買ってー!】
20世紀最後の真実 いまも戦いつづけるナチスの残党 (集英社文庫)
どちらかと言えばタイトルは『20世紀、真実の最後』の方が内容に合っている。