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言うまでもなくショウ化された映画賞の戴冠というものが単純に上手い下手で決まるものではなくその時々の時流や業界力学で決まるものということぐらいはわかっているし殊にアメリカではその傾向が顕著だとか言いますがそれにしたってこの映画のトム・ハンクス、ゴールデン・グローブ賞助演男優賞ノミネート、アカデミー賞助演男優賞ノミネート、放送映画批評家協会賞助演男優賞ノミネート、しかしそのすべてで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のブラッド・ピットにトロフィーを奪われているってそれは! それはどうなの!
まず『幸せへのまわり道』のトム・ハンクスは助演なのかっていう疑問があるしそれは別にどっちでもいいとしても『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のブラピにトロフィーあげすぎだろアメリカお前! おもしろい映画ですよね『ワンハリ』! かっこよかったですねブラピ! でも賞かな! 賞あげたい感じだったかなあの映画のブラピ! それお前あれだろちょっと功労賞的な意味合いが強すぎないですか! いやいいけどね! 別に賞とか見ないし! そもそも知らないし! でも…でも歯がゆい! 歯がゆいぞこれは! ベストアクトとはあえて言わないが長年のキャリアの中でもかなり絶頂な感じの実に見事な芝居だったと思うんですけどねええええこの映画のトムハン! わあ! トムハンって略すとマルハンみたい!
なんでも実話ものだそうですがこの映画でトムハンが演じるのは人気教育番組の司会者です。ミスター・ロジャースさん。この人がどういう人かと言うと子供を諭す人。カメラの向こうのキッズたちに向けてみんなもこんな嫌なことがあるよね、じゃあどうして嫌だったのか考えて言葉にしてみよう、怒りを意識してコントロールしてみよう、みたいなことをパペットとかオモシロ小道具とか駆使して優しく語りかける。お父さんお母さんと仲良くしよう。お友達を尊重しよう。ぼくたちみんなご近所さんだ。俺が子供だったら絶対に見たくない感じの番組である(そんなことを言っていると俺もあのピクチャー・ボードに入れられてしまう!)
でエスクァイア誌の気の短い男性記者(マシュー・リス)が偉い人からこいつ人気だから取材しろって言われてしぶしぶロジャースさんの番組にやってくるんですが、この記者は基本的に番組にもロジャースさんにも興味とかないので血の通わない適当な記事仕上げてさっさと終わらせようとしたところ何故かロジャースさんの琴線に引っかかって逆インタビューされる格好に。実は父親との間に確執を抱えていた記者はそうして次第にハートを溶かしていく…というわけでトムハンがその語り・芝居で他人をどう変えるかっていう映画なわけですなこれは。
それでそのトムハン芝居のなにがすごいかって外面と内面の使い分けですよ。みんなに愛されるミスター・ロジャースとしての顔と案外普通の聖書オッサンとしての顔の使い分け。番組の舞台裏を見せるバックステージもの映画でもあるんでそのスイッチも見物なんですが、記者のインタビューを受けながら柔和な笑顔と優しい語りの中にその仮面で隠した素の感情を滲ませる瞬間が何度もあって、表情とか言い回しは変えずに会話の間とか視線だけでその変化を感じさせるっていうのが名人芸。
でそういう繊細な芝居が物語に厚みを与えるだけではなくて言外にひっくり返してしまうわけですよ。これ表面的にはロジャースさんが怒りんぼ記者にサイコセラピーを施してあんま怒らなくするようなお話ですけど、なんでロジャースさんがそんな慈善事業みたいなことしてるかってロジャースさん自身が救われたさを抱えてるからっていうのをトムハンの絶妙芝居は仄めかすんです。
ロジャースさんはたとえば死のような人生の暗い面をいきなり語る。語られた方はギョッとして「なんで俺があまり考えないようにしていることをこの人は急に言うんだろう…」とか思って心が読まれてるように感じる。でも死なんて悩まない人いないですよね。別に悪い意味ではなくて詐術的でないサイコセラピーなんてあり得ないわけですから、主人公の記者なんかはそれでうっかり騙されて自分を見つめ直すことでスッキリするわけです。ロジャースさん超聖人じゃんありがとうとか思って。
じゃこっちの悩みはどうなるの? お前はスッキリしたかもしれないけど結局のところ死の問題自体は別に解決してないんじゃないの? ロジャースさんこのパラドクスにめちゃくちゃ苦しんでるっぽいんですよね。キリスト者だし他人を救うことが自分を救うことになるっていう信念はあるんです。それがロジャースさんを子供たちや時に大人たちの救済に駆り立てるのだけれども救えば救うほどロジャースさんは孤独に悩まなければいけない。
救われた方にしてみればロジャースさんは偉い先生。ロジャースさんは偉い先生であることで人を救っているし、人を救うことで自分自身を救っているが、ということは自分を救うためには偉い先生を演じ続けなければいけない。自分のために偉くない素の自分を誰かに打ち明けることができないこの自縄自縛。偉い先生であるから偉い先生でも答えの出せない死のような大きな問題の答えを誰に求めることもできない。
ロジャースさんを慕う人々はロジャースさんならたとえ死でもどう対処すべきか知っていると考えることで安心しようとするばかりで、誰も自分で、あるいはロジャースさんと一緒に死の意味を考えたり死の重荷を背負ったりはしない。番組の中で力任せにテントを開こうとして開けられなかったロジャースさんがあえてその失敗テイクを残すようスタッフに指示したのは自分の弱さをみんなに知って欲しかったからかもしれないが、誰もそのことには気付かないわけです(「テントを開けるには大人の力が二人分必要だね」の台詞が切ない)
こうなると実話ベースのヒューマンドラマの枠を超えて殉教の物語と言ったほうがよい。少なくともそう思わせる含みがトムハンの見事な芝居には織り込まれているわけで、ハッピーエンドと思いきやそこから…のラストシーンの痛ましさときたら、それが極めて抑制されたものであるがゆえにかえって切実に、おそらくその痛みに気付いてくれない「やさしい」観客もたくさんいるんだろうなぁというところも込みで、グッと胸に迫ってくるのです。
さてそうした言外の物語を伝えるのはなにもトムハンの芝居だけではない。トムハンの芝居をアシストするのがトリッキーな入れ子構造で、実話ものなので元になった教育番組というのがあるわけですが、映画は冒頭からこの番組をブラウン管画質も含めて完コピ(この画質の再現度がすごい)。記者の物語が番組の1エピソードであったかのような構成になっていて、記者の物語が一通り終わるとロジャースさんが次回もまた見てねって言って番組のセットから出ていきます。
でもこんなエピソードは放送に乗らねぇだろって思うのでたぶんこれはロジャースさんの心象風景なわけですねぇ。まずセットの内外っていうのがあって、番組で偉い人を演じるロジャースさんと番組の外で素に戻るロジャースさんっていうのがあって、それからロジャースさんの現実と心象風景っていう、いくつもの層を成した二項対立がこの映画にはあって、その大枠が完コピされた教育番組で…って考えると実にうむむと唸らされます。
この構造をそのままロジャースさんの内面の反映と見るのは穿ち過ぎだとしても、複雑さをあまり悟らせないように複雑なことをやる作劇にはトムハン/ロジャースさんの屈折した心理を表現するにはこれしかないと思わせるところがあるのです。
実際にそのようにしてチョイスされた構造かどうかはともかく、センスの良い音楽とか、センスの良い照明とか、センスの良い助演陣とか…センスの良さとかいう雑表現に逃げるなよと思いますがなんというかイージーリスニング的というか。ブラウン管画質の超再現とか象徴的ですがディティールにかなり凝る。凝るんだけれどもそれをあえて見せつけようとはしない。ロジャースさんがセットに入る時には服を着替えるのと同じで、ディティールのすべてはフレッド・ロジャースという人物の複雑さを覆い隠すための装飾として使われているように見える。
こんまりが色々捨ててしまったのか簡素でしかし核心は残した作品世界はマンハッタンの雰囲気であるとか模型の街なんかのアイディアも効いて一見すると心温まる都会的な小品といった感じ、な、の、だ、が! こういう孤独の強烈な物語を気の利いた小品として見せられるのも、芝居で小品の枠を変形させてしまうのも、あんまり経験がないので、いやぁ、これはなんか地味にすごい映画を観た気がしたよ。まったくバカだなぁハリウッド業界人、こんな映画を差し置いて『ワンハリ』なんかに入れ込んじゃって…怒らない、怒らない!
※ロジャースさんと記者の(ロジャースさんが素の自分に迫る質問を回避するせいで)あんまり対話になってない対話は奇妙な緊張感が水面下にみなぎっていて対話映画のオモシロ作『フロスト×ニクソン』に俺尺度で匹敵した。救う人と救われたい人のバトル対話じゃないんだよな。救われたい人と救われたい人の救済チキンレースみたいな対話なんですよ。
2020/9/9 追記:
ところで、じゃあロジャースさんの抱える悩みや怒りとは何なのかというと、それがあえて明示されない点がこの映画の美点だと思うのですが、インタビューでロジャースさんが否定していた従軍経験の有無はその一つの答えだったのかもしれない。そうと思えばロジャースさんが死を語りたがる理由もわかろうというもので、映画にまた別の顔が見えてくるわけですが、ただこれが答えだよ、という映画ではないので、そういうのもあるのかもなーぐらいに留めておいたほうがいいんだろう。ロジャースさんは悩める人々の鏡であり、鏡は鏡自身を表現できない。ロジャースさんの紹介記事を書くつもりだった記者が結局ほとんどロジャースさんに救われた自分の経験や思いを書いてしまった、というのは美談だが切ない話で、それを原作としてロジャースさんの霧のようなつかみどころのない孤独を描いているのだから、脚色も演出も尋常ではない。
【ママー!これ買ってー!】
悩めるニューヨーカーものってイイですよね。これはシンプルに見えてその実あれこれ詰め込んでるところとか、現実と空想の境が曖昧なところで結構『幸せへのまわり道』と近いんじゃないすか。