《推定睡眠時間:0分》
前はサイレント映画を音なしで観るなんて信じられなかったが最近はむしろ伴奏(収録)付きのサイレント映画を観ることの方にキツさを感じるようにさえなってしまった。というのも録音伴奏付きのサイレント映画ね、寝るんですよ。みなさんは知りませんけれども俺はもうガシガシ寝ます。で、なんでだろうと考えました。まぁ他にも色々と要因はあるのだが…気持ちいいんだよね、録音伴奏。ちゃんと映画のトーンとか場面のトーンに合わせて適度に変調しつつも一貫性のあるドラマティックな音楽を付けてるわけじゃないですか。そうするとですね、なんかすごい安心する。安心して寝ちゃう。幼児なので。
とはいえこれは結構重要なことに思えた。大丈夫ですこれからすぐに『ようこそ映画音響の世界へ』の感想になりますいやなんなら既に入っていると言えますが、いやつまりですね、映画の音ってなんだろうっていうことなんですけど、たとえばスラッシャー映画の怖いシーンで不意に殺人鬼が現われてギャギャーンっていうびっくりシンセ音が鳴るとしますよね? それ聞くとギャギャーンっていう音だからびっくりするじゃないですか。でもその音がたぶんそこで鳴るだろうなって実は観客はわかってるわけですよね、ホラー映画観てるわけだから。
これってジェットコースターに乗るのと似てるんじゃないすかね。だいたいここでこういう怖いことになるっていうのを観客は知っていてあえて怖がりに行く。で、それは効果音だけじゃなくて劇伴も同じで、悲しい場面では普通悲しい音楽が鳴るじゃないですか、そしたら観てる方はここは悲しい場面なんだって安心するんじゃないすかね。ほらやっぱりね、とは思わないかもしれないですけど、映画は映像と音の二つで出来ている、なんて劇中でも言ってる監督がいたように(アン・リーね)、映像に意味を付与したり映像が持つ意味を強化したりするのが映画の音で、観客はその場面で映像から感じた意味とかイメージを音で答え合わせしようとする、そうやって自分が間違っていないことを確かめて安心しようとする心理って、あるんじゃないですかね。
サイレント映画を素材そのままの無声無音で観るとなんだか緊張してしまう。それはもちろん映画館で観ているなら自分や他人の立てる音が目立つからっていうのもあるけれど、本質的には劇伴や効果音っていう映像の解釈装置がなくて宙ぶらりんの状態で映画と向き合わないといけないからじゃあないかと思う。で、そういう状態だと俺は寝ないんです。映画を観るためには音に頼らず画面をじっと見つめるしかないので画面に集中する。で、そうやって画面を観ていると、録音劇伴付きの場合は曲調から「ここは悪いことが起こる場面だ」とかって展開の先読みができてしまうものですが、無声無音の場合はまったく先が読めなくて、これからどうなるんだろうってずっと思い続けることになる。
それで、映画の音ってたとえ怖い映画の場合でも観客の安心のためにあるんだなって、なんか思ったんですよ。はい、『ようこそ映画音響の世界へ』の感想に入らないまま1000字超えました。まぁ映画も感想も先読み出来ない方が面白くていいじゃないですか。そうでもない? まあそうだろうね。
『ようこそ映画音響の世界へ』はアメリカの映画音響ドキュメンタリー。やはりね映画の音といえばアメリカですよ。サイレントの時代にも優れたアメリカ映画はたくさんありますが、それはどちらかと言えば撮る側にしても演じる側にしても職人芸的な技巧の話で、発想の斬新さや表現の豊かさの面ではヨーロッパ映画が強かった。
ハリウッドが映画産業の覇権を握るのは映画がトーキーになってからと言っては牽強付会になるのでそう綺麗な図式は実際には描けないとしても、トーキーがハリウッド映画に有利に働いたのは間違いない。安心を売り物にするハリウッド製娯楽映画において安心を保証する音の導入はヨーロッパ映画よりも遙かに強力に作用したと考えられるわけで、だから映画音響というのは本来的にアメリカ的な技術なのです。
映画は二部構成で半分はアメリカ映画音響界のレジェンドを紹介しながらトーキー以後のアメリカ映画史をざっとおさらい、もう半分は音響効果に属するお仕事…録音とか整音とかミックスとか…を紹介していく。合間合間にハリウッド有名人の豪華インタビュー付き。新作『TENET テネット』も絶好調のクリストファー・ノーランもコメントを寄せてます。ノーラン映画の面白さも音に負うところが大きいすからね。音なしで『テネット』の逆行映像とか観たらちょっと笑っちゃうんじゃないだろうか(『ダークナイト』は無声無音でもハラハラドキドキしそうであるから、そこらへん地の映像の強さの違いを感じる)
内容に関してはナビゲーション映画なのでまぁ実際に観てもらった方が早い、っていうか説明してしまったら映画の存在意義がほとんど無くなってしまう。公開から2週間くらい経ってようやく席が取れたがミニシアター上映の新コロ対応半席売りということもあって連日異常なまでの客入りで、どんなすごい映画なんじゃと思ったら普通のナビゲーション映画だったので若干の肩すかしは食らったが、切るところはバッサリ切ってわかりやすい概説に徹するところがハリウッド流ナビゲーション映画、得られる情報量はそう多くないとしてもこのジャンルの映画としてはかなり面白く観れる部類に入るだろうと思う。
まぁそれにしてもすごいよね、とにかく徹頭徹尾アメリカ映画音響について語られるわけですが、なんていうか、アメリカ映画の音響ってもう音のCG。あの一応それぐらいのことはどの国の映画だってやってるよっていうのはわかってるんですが、拘りの深さがハリウッドは別次元なんだと思いました。完璧に造ってしまうんですよね、その映像世界に合わせた音世界を。既成の音をただ乗せたり現実の音のルールに則るんじゃなくて、その映像世界ならこういう音が鳴るんだろうって観客を納得させるまで作り込むんです。
なんかジョージ・ルーカスが宇宙は真空だから音響かないよって指摘されて俺の宇宙では鳴るんだよみたいなことを言ったとか言わないとかっていうハリウッド逸話がありますが、あれはルーカスの言葉っていうよりルーカスを介したハリウッド音響業界の言葉なんだろうなって思いましたね。ルーカスとかスピルバーグとかは実際には存在しない世界を迫真性を持って描くわけじゃないですか。その実際に存在しない世界を支えてるのってたぶん音なんです。
ティラノサウルスの鼻息なんか誰も聞いたことがないけれども『ジュラシック・パーク』で聞く鼻息は確かにそれっぽく感じられる。逆に言えばそれっぽく感じられるから観客は恐竜の存在をリアルに怖がったりできるし、ライドにでも乗ったつもりでこの作品世界に身を委ねていいんだって安心したりもできると思うんです。こういう安心感を最近では没入感とか言いますね。もし『ジュラシック・パーク』のティラノサウルスが鼻息の代わりにニワトリの鳴き声を出したら観客は怒るんじゃないですか、ふざんけんな没入できないじゃねぇかって言って。
俺はそこにちょっと映画の音を造ることの功罪っていうか批判的な視点があってもいいんじゃないかって思ったんですよ。だって観客を安心させるために自然音を極限まで加工して架空の音世界に作り替えるってなんとなく不健康な気がしません? 映画に健康も不健康もないですけどなんていうか、それって観客の映画を観る目を退化させることにならないかなぁっていうのもあるんですよ。『TENET テネット』の緻密に計算された見事な音を浴びている時よりもサイレント映画を無声無音で観ている時の方が遙かに頭働きますからね。
まぁそんなことを言ったら退行的でないハリウッド映画なんかそもそもないのかもしれないし、退行的な映画の中でももっとも退行の度合いが激しいゾンビが人間を食って若者がセックスするだけみたいな映画を好む身としてはテメェどこ目線で説教垂れてるんだよと自分で自分でツッコミを入れてしまうところだが…そういう感じ、とにかくそういう感じです。アメリカ映画音響のナビゲーション映画に批判的な視点を望むのはお門違い、アメリカ映画音響史をお勉強してアメリカ映画音響を支えてきた巨人たちを讃える映画なのですから、そのように観ればよいのです。
でもこの映画の無声無音版とかあったら逆に面白い気がしたな。どんな風に見えるんだろう?
【ママー!これ買ってー!】
『ようこそ映画音響の世界へ』にはアメリカ映画音響のゴッドファーザーとしてウォルター・マーチが出てくるが、この本の中でマーチは『地獄の黙示録』の再編集版(どうもそれが特別完全版らしい)を作ってると言っていたので音響デザイナーより天才編集マンのイメージが強かった。あの『オズの魔法使』の続編を監督したりもしているのでなんでも出来るんだなウォルター・マーチ。すごいっ。