《推定睡眠時間:10分》
電車とかに貼ってある新築分譲マンション広告の惹句いわゆるマンションポエムのようなタイトルにそこはかとなくチープが香るが内容はなんか頭のいいっぽい感じっていうか文学ですみたいな感じだったのでわりと想像したのと違ってた。
まず画がすごいですよね画が。背景こそ主役というぐらいな徹底した構図作り込み主義。とにかく余白を作らないし余分なものは入れない。画面が直線の組み合わせで構成されていて曲がったものとか輪郭の曖昧なものは除外する。写真的な画なんすよね。単色のオブジェクトの配置で色のバランスを取っていて、二枚重ねのカーテンが背景に映り込むとしたらレースカーテンを10センチくらい開けて遮光カーテンも10センチくらい開けて窓も同じくらい画面に収めて等間隔で黒・白・透明、みたいな。そういうことをやる。
そういうことをやるものだから人物なんか置物のようなもの。たとえ主人公だろうがなんだろうがいちいち人間のための画を作ったりしない。メイン舞台がタワーマンションの一室なのでなるほど感というか、廊下は迷路みたいだしエレベーターはやたら待つしホテル代わりならともかくあんなところに住む人の気が知れないが、タワマン建築の非人間性が必ずしも批判的な意味ではなく映像に出ていて面白かった。
台詞でそのようなことも言うので案外直球なのだがこのタワマン高層階というのは人間を地上のくびきから解き放つものなのです。地上ではみんな一人の人間として歩いていてそれぞれにそれぞれの領域というものがある。そこから出ることは基本的にはあまりない。一人の人間に一つの精神一つの生活、とこういう感じですが、まぁ現実にはそんなことはないだろうがあくまで文学的解釈として、この映画の中のタワマン高層階では生活の輪郭がボヤけて生死の輪郭や存在の輪郭までボヤけてしまう。
主人公の編集者・多部未華子が住むことになる空虚なタワマン高層階にはやたらと人が訪ねてくるが、そこで多部未華子と来訪者が交わす会話は自他の区別が曖昧で、お互いがお互いのオルター・エゴとして地上では言いたくても言えないことを解放するセラピーの如しである。ここでは現実と空想の区別もまた曖昧だからすべてではなくても部屋で行われた対話のいくつかは両親の死を心理的にうまく処理できていないらしい多部未華子の空想の産物だったのかもしれない。
しかしそこに区別を付けるのは地上の論理で、そうした区別の必要性があまりないというのがこの映画の中のタワマン高層階なのである。なにやらオカルトめいてきますが地上が意識と無意識の二項対立の場であるとするならタワマン高層階はそうした対立を超えた普遍的無意識の場といったところで、そこでは地上では不可能な様々な人間の繋がりや交感があり得るのである。その中で多部未華子は心理的に未処理だった死への対処法を学ぶというわけです。
多部未華子が勤務する小出版社はずいぶん風変わりな社屋で社屋というかどうも、ここは都心から電車で一時間圏内の場所らしいのだが、住所に字とか入ってる感じの瓦葺きの日本家屋、察するに社長の家の一部を改築もなしでそのままオフィスとして使ってるっぽい。縁側はバリバリ現役だし離れだってあるしたまに出てくる社長はいつも和装。サザエさん的光景である。
無いとは言わないが現実的にはあまりありそうにないザの付く地上なこのオフィスと浮世離れしたタワマン高層階の対比。多部未華子の同僚で最後まで夏帆だと思ってたら岸井ゆきのという別の役者だった人が標準家族の再生産(つまり子供二人ぐらい産んで夫と育てる)に固執するのはこの人がタワマン在住の多部未華子と違って地上の日本家屋オフィスしか知らない人だからだろうか。タワマン高層階と日本家屋オフィスを行ったり来たりするだけの筋立てなのでシンプルなことこの上ないが、その対比から読み取れるものがシンプルなわけではない。
その他の場所はほんの少ししか出てこないが、カトリック神田教会とおそらくその周辺の坂道階段(女坂?)はなかなか印象的に使われていて、これもなにやら寓意ある感じ。岸井ゆきのが結婚式を挙げるのがカトリック神田教会なので地上は(タワマン高層階と違って)人と人が契約で繋がるところ、そしてタワマンのエレベーターと違って一段一段が独立した階段をひーひー言いながら歩くところであった。
画作りが独特な映画だし人間よりも人工物の存在感が強調される映画なのでどうしてもそういうところにばかり目が行ってしまうがぼそぼそ声の多部未華子、ヤンキー気質の岸井ゆきの、タワマン高層階住民にしてまさしく雲の上の人な人気俳優役の岩田剛典くん、俺は剛典くん推しなので剛典くんの地上でのキャラと多部未華子に接するときのキャラの使い分け巧いなーとか思いますが全体的に演技巧者で固めているし丁寧に演出を付けているのもわかる、マンションコンシェルジュの柄本明とかもはやマジカルニグロならぬマジカル永瀬と化している永瀬正敏のピンポイント起用も面白かった。
でもぶっちゃけ出てくるキャラの全員が全員あくまで俺目線で人間としてつまんない俗物だったのでさっさとあんなバベルの塔みたいなタワマン倒壊してみんな死ねばいいし出版社だって潰れりゃいいじゃんとか別に敵意とか悪意があるわけではないが延々と続く俗物の悩み的な小規模人間ドラマを観ていて不謹慎にも思ってしまった。
どうでもいいんだよ。お前らの人生どうでもいい。タワマンの非人間性を美しく切り取った映像を観ていたらこっちまで非人間的になってしまった。やっぱ、タワマンなんか住むもんじゃないすよ。アパート住め。
【ママー!これ買ってー!】
内容は知らないがすごいタイトルだ。ムー系のオカルト予言本みたい。