円周は缶コーヒーを一回り小さくしたぐらいだろうか。そこに穴があった。昨日はなかったかもしれないし、あるいはずっと前からあったのかもしれない。こんな風に地下鉄のプラットホームに僅かばかり設置された椅子の下に目を向けたことなどなかったから、たまたまスマートフォンを落しさえしなければ気付くことはなかっただろう。人もまばらな終電待ちの時間帯でなければ覗き込もうとも思わなかったはずだ。
見たところ穴はどこに通じている風でもなかった。先にはただ暗闇があるだけで他には何もない。風も音も害虫も、そこから出てくるものもない。とするとそれほど深い穴でもないのかもしれない。綺麗にくり抜かれて真円に近い。何らかの手違いで余分に穿たれた椅子の固定用の穴と思えばそう見える。構内の改修工事のために穿たれた作業用の穴と思えばそうも見える。なんであれ不思議なことなど何一つない。それはただの小さな穴で、探す気さえあればそんな穴はいくらでも見つかるはずだ。
だから、ジャケットの内ポケットに差したボールペンをその穴に放った時には多少なりとも戸惑いを覚えた。なぜそんなことをしたのだろう。理屈を付けることはそう難しくはない。どうせインクが切れていたし、100円ショップで買った粗悪なものだからいつか捨てようと思っていた。終電を降りたらコンビニでもう少し使い勝手の良いボールペンを買えばいい。穴にボールペンを捨てることはその動機付けになる。
無論、後付けの理屈ではあった。半ば無意識的にボールペンを取り出した時に意識の片隅にあったのは穴の深さが知りたいという子供じみた好奇心だ。俗流心理学で言えばストレスから身を守るための防衛機制なのかもしれない。確かに最近は疲れていた。疲れを疲れと感じられない程度には疲れていた。前後不覚の見知らぬ酔っぱらいと終電を待っていると時折自分が誰でこれからどこに向かおうとしているのか分からなくなる。気付けば爪を噛んでいる。自然と治ったはずの子供の頃の悪い癖。そして今は蟻の巣を観察する子供のように穴を覗き込んでいる。
穴に落ちたボールペンは何の音も立てはしなかった。思ったよりも深いのかもしれない。もしかしたら底なしの穴なのかもしれない、とも思った。小学校の学級文庫でそんな話を読んだことがある。底なしの穴にこれ幸いとばかりにゴミを捨てているとどこか別の場所に捨てたはずのゴミが落ちてきて…。あれは、星新一のはずだ。不意に涙が頬を伝った。そのしずくは穴に落ちて、音もなくどこかへ消える。
どこからか流れ出た道路脇の水を追うと側溝に辿り着く。一直線に流れていたはずのものがそこで突然断ち切られてしまうのが子供の頃は不思議だった。だから水の流れを見つける度に追いかけて、側溝の暗闇の先に何があるのかと覗き込んでいると、下校途中の年上の小学生が心配して声をかけてくれるのが常だった。小さい町で、田舎とまでは言わないまでも、都会と言うほど栄えてはいない。コミュニティの強度はある程度までは町の規模を反映するのだろう。そこではいつでも誰かに守られている感覚があったし、広い意味での他人と会ったことはない。
自分で自分を騙すように振り返ってみたところで、地下鉄の穴を覗き込む誰かを見守る人間はいなかった。右を見ても左を見ても誰もいない。角度的に見えないだけで、プラットホームの別のブロックには誰かしらいるだろうが、それがどう関係するというのだろう。老朽化したコンクリートの壁面を汚水が伝っているのが見える。線路脇まで降りていって、汚水は誰に構われることなく消えていく。
どこかの酔っぱらいが置き忘れたか、ゴミ箱を探す気がなかったか、椅子の上に食べかけのチョコバーがあった。穴の深さをもう一度測る必要がある。ボールペンでは軽すぎても、チョコバーの重量なら反響を期待できるかもしれない。慈善事業のようなもの。多忙な駅員に代わってゴミの排除。チョコバーを穴に投げ入れる。だが半ば予期していた通り、相変わらず穴は何も吐き出すことがなかった。もし穴がどこかに繋がっているとすれば、なんであれその先の生き物には僥倖だ。神の恩寵というのは案外こんな風に下されるのではないだろうか。恩寵にせよ神罰にせよ。この駅の前にはいつも熱心なカルト宗教の勧誘員が立っている。
車両のドアが乱暴に開く音で不意に現実に引き戻された時には行き先がすっぽり頭から抜けていた。いつもと同じ感覚で、穴に引き離されていた分だけ、いつもより強い。穴に背を向けて立ち上がりはしたものの列車には乗らなかった。それでも発車ベルが鳴れば乗ることは分かっていたし、事実、乗った。結局はいつもと同じで、昨日もそうだし、明日もそうだ。明後日も明明後日も、5年前もそうだったし、5年後だって変わらない。その列車がどこに向かうか分からなくてもドアが閉まる前には乗る。青年期の蛮勇は中年の惰性と行為の上で変わりはない。変わるのは行為の意味でしかない。
帰りたかった。時刻表通りに自宅の最寄り駅に到着しても、帰った気は少しもしない。明日になればまた同じ列車で同じ仕事に向かう。その時には仕事場が帰る場所のように思えるもので、けれども、辿り着く前にはそんな思いも消えている。疲れているのだ。チョコバーは穴に捨てずに食べてしまえば良かったかもしれない。チョコレートの含有するカフェインが多少なりとも気分を変えてくれる。
出口の階段を上がるとそこにいつものホームレスが座っていた。あたかもそこが帰る場所であるかのように。決して列車に乗ることはなく。いつもと違うのはその手に持ったチョコバーだ。もしかしたら少し笑ったかもしれない。それが、穴に投げ込んだ食べかけのチョコバーとそっくり同じものに見えたからで、侮蔑的な意図があったからではないが、そうだとしても彼らが笑いを気にしている姿は見たことがないから、気にすることではない。
まもなく駅員がやってきてホームレスに退去を促すだろう。それは駅が帰る場所ではないからで、ドアが開いたら乗る場所だからだ。穴。俯いて何かをじっと見つめているホームレスの横を通り過ぎる。穴。近くのコンビニに寄る用事を思い出した。穴。近くのコンビニで、ボールペンと、カッターナイフと。