とりあえずメシ食え映画『エイブのキッチンストーリー』感想文

《推定睡眠時間:0分》

そんな話題になってないのがもったいない。イイ映画なんだけどな~。でもこういう粋な小品は今の観客にウケないですからね。もうすっかり捻くれているんですよ俺も。本当にさ、「粋な小品」とか「世界の名作」っていう概念が全然売り文句にならないんですよ。シネコンでもミニシアターでもやってるの「人生に一度の傑作」とか「あなたの常識を覆す衝撃作」とかそんなのばっかじゃないですか。やーね野蛮で。

いいんだよ傑作も衝撃作もいらないよ。いらないってこともないけどそればっかりだったら精神が貧しくなるじゃないか。それで世界の見え方が変わることなんかなくても、二時間別世界を体験することもなくても、映画館を出る時にしみじみイイ映画だったなぁと思えたら映画なんてそれで充分だし、どちらが豊かな映画体験ということもないにしても、そんなささやかな感慨の中に豊かな映画体験はあるんです。まったく粋じゃない世の中だ! そう誰に怒るでもなくPCモニターを見つめながら一人で怒る俺がいちばん粋じゃない。

『エイブのキッチンストーリー』は粋な映画ですからなにやら怒りは渦巻いているがそんなものはするするとスルーします。エイブくん、またの名をエイブラハム、イブラヒム。パレスチナ出身イスラム教徒の一家の父親とイスラエル出身ユダヤ教徒の一家の母親の間に生まれた見るからにザ・複雑なキッズ12歳。しかしエイブくんそんなことはどうでもよい。目下の所の関心事はとにかく料理だ。珍料理を作ってインスタにアップするのが超たのしい。

友達も基本インスタ友だから国境のないネットの世界がエイブくんのメイン居場所。古くさい価値観の映画だとエイブくんリア友いない上に複雑な家庭環境でかわいそ~ってなるかもしれませんが別にネットで良くない複雑環境でよくない? と、この映画はあっけらかんとしていてよい。だって現実そんなものだもの。そりゃそんなものでもない人もいるだろうし時もあるだろうが、人間の生活ってそんな簡単に悲劇と喜劇に割り切れないんじゃないすかね~。

それに四六時中スマホいじってたおかげでエイブくんはブラジル人のお料理師匠と出会えたのだ。どんな生活でも喜劇と悲劇は分かちがたく結びついているようにネットとリアルも分かつことができない。リアルを嫌ってネットの世界に逃げてくることもあればネットを通じてリアルの新しい側面を冒険してみることもあるのがインターネット時代の人間の当たり前の姿ではなかろうか。なんでも極端に解釈しようとする欧米式のドラマツルギーからはこぼれ落ちるこのリアリティを掬い上げて、軽やかに提示してみせるところがこの映画の面白いところだ。

でエイブくんはフュージョン料理を提唱するブラジル人シェフと出会って俺も本格フュージョンやったるでって気になってくる。フュージョンをやるにはまず食材の特徴を知らないとね。ユダヤ教の洗礼式? 出よう。イスラム教の断食? やろう。ともかくどっちも体験しとけばフュージョンする時に役に立つに違いない。台所の上でも人生の上でも。

が、しかし。エイブくんの突然の宗教かぶれに息子は無宗教に育てようと思っていたインテリ両親大困惑。しかしそれ以上に困ったのはそれぞれの家だ。言うまでもなくどちらの家も孫を自分の宗教で染め上げたい。なのにエイブくんときたら洗練式に出たと思ったら今度は断食を始めちゃったりして何がしたいのか彼ら彼女らには理解できない。フュージョン料理を標榜するエイブくんである。やがてイスラムの伝統とユダヤの伝統をフュージョンした晩餐会を開いて皆を招くが、やはりというか卓上インティファーダが勃発してしまうのであった…。

ぼく地獄会食って大好きなので卓上インティファーダの最悪ムード最高でしたね。最初はブツブツ小言を言ったり笑いながら嫌味なジョークを言い合ったりしてるだけの小競り合いなんですけどそれが徐々にヒートアップして軍事衝突の記憶がどうのとかホロコーストの記憶がどうのみたいなうわもうその話題出ちゃったら無理だわーメシ絶対うまく食えないわー終わったわーってなって笑っちゃいます。笑うんじゃない。

で、この映画そういうのをことさら深刻に扱わないんすよね。そりゃ事件は事件なんですけどまぁそういうこともあるじゃんみたいなサラっとした描き方で。そこが良かったなぁ。エイブくんとお料理師匠の関係性もさ、先生と生徒って感じじゃなくて、でも友達でもないわけで、当然エイブくんが格下ではあるんですけど同じ業界の仲間っていうフラットな感じなんです。料理さえ好きなら人種が違おうがクソガキだろうがとりあえずは仲間枠でOK。粋だよね~。これブルックリンと周辺の話ですけど俺の憧れるニューヨークこれだわ~。この距離感と懐の深さなんだわ~。

っていう感じで『エイブのキッチンストーリー』おもしろかったです。色んなお料理とインスタ映えなショットのオンパレードで目に楽しい、簡潔明瞭なキャラクター造形とストーリーは脳にやさしい、でもその表面的な演出の中にも表面には表れないものを想像させる余地を残しているのがにくいところ。割り切れない現実をあくまで正面から見つめるが、そんな割り切れなさなど承知の上で色んな世界を渡り歩いていくインターネット世代の少年エイブくんに全幅の信頼を置いて、根拠とか全然ないのだがえらい楽観的なところもまたにくいのだ。

エイブくん、小賢しくてかわいいですね。お料理師匠、フィクションとノンフィクションの中間ぐらいな職人感が絶妙。両親家族もみんなよし。しかし一番はあれだな、ユダヤ一家の方のいつも皮肉ばっか言って諍いに油を注ぐてめぇは黙ってろよポジションの叔父ね。あいつよかったわー。ラストシーンのあいつ、ほんの少しだけ感動的だったわー。

【ママー!これ買ってー!】


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『エイブ』ほど洗練されてはいないがこれもパレスチナ問題を食に絡めて描いた軽妙な喜劇。今フムスがアツイらしい。

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