《推定睡眠時間:ほぼ全編分》
日本のNetflixでは2020/12/24配信開始でその2週間くらい前から劇場公開されているが、これいつ作られた映画なんでしょうね。この予算規模の映画で一年かそこらでプリプロからポスプロまで終わるとは思えないが内容的には疫病の蔓延で地球が終わってしまった近未来という新コロ禍に絶賛見舞われ中の2020年12月現在を風刺したようなものであったから(原作ありとはいえ)その時代その時代に対するプロテストないしメッセージとして映画を撮りがちなジョージ・クルーニーの監督作だし、新コロ禍と完全無関係の映画という気もしないのだが…。
でも現実的に可能かっていったらやっぱり不可能だろうから偶然なんでしょうな。多少、新コロ禍を受けて編集で手を加えたかもしれない。どうせ余命幾ばくも無いからと北極基地に残ったジョージ・クルーニー博士(+謎少女)のパートと新天地を探して宇宙を旅してた宇宙船のパートを交互に見せていくあたりはアフター新コロ感あり。といっても宇宙船の航行目的すらながら見ではよくわからなかったので他の人の感想を読んで理解するという酷さだからこんな感想は信頼してはいけない。そもそも途中まで宇宙ステーションだと思ってましたしね。
Netflixだからとながら見するのは俺が悪いのだがしかし、こんな俺でもノンながら見で観たNetflixドラマとか映画というのはあって…単純にこれはつまんなかったんじゃないかなぁ。完成度は高いんじゃないかと思ったんですよ。テーマとかストーリーとか美術とか音楽とか演技とかっていう映画を構成する色んな要素がよく調和していて、映像作家の美学みたいなものは感じたんです一応ながら見でも。
ただ、面白くない…全体として見事に調和しているけれどもその調和を破るような「ここ」という見せ場がない…俺これ映画館で観たら逆にもっとつまんなく感じたと思うな。ながら見だからなんかつまらん映画だったで済んでますけど映画館だと逃げ場ないんでジョージ・クルーニーが映画で語りたいことを直で受けることになるわけじゃないですか。それ、波長が合う人にはいいですけど合わない人にはわりと拷問。
あともうひとつつまんなかった理由っていうのがあって、北極基地に独りぼっちのジョークルはそこに居るはずのない少女と出会って、彼女の存在が孤独と失意の中で死を待つばかりだったジョークルを奮い立たせるんですけど、これジョークル主演のスティーブン・ソダーバーグ版『ソラリス』の反転構図じゃんっていうか…俺この少女見た時に要するにジョークルは『ソラリス』の新コロ禍でのアンサー映画を作りたかったんじゃないかと思ったんすよね。
なんかそれがさ、ジョークル真面目な人だし『未知への飛行』をリアルタイムTVドラマとしてリメイクしたこともある人なのでいかにもやりそうだなぁって思って、わかったよみたいな、言いたいことはわかったけどTEDの講演じゃないんだからなんか意表を突く変な怪物とか見せてよせっかくの終末設定なんだし…っていう、そこで白けちゃって、ながら見でいいやってなっちゃったんすよね。なんか、そういう感じ。そういう映画でした。俺にはね。
【ママー!これ買ってー!】
経緯を知らないがこんな無茶振り再映画化を引き受けたソダーバーグは根性ある。根性があれば映画が面白くなるわけでもないとしても。