《推定睡眠時間:15分》
邦題を考えた配給の人もオリジナルのエッセンスを損ねない形でなんとか良い感じに見たい欲を刺激しつつも趣のある邦題を…とか色々考えてはいるのだろうがいかんせん訴求力に乏しい気がするので俺が邦題を付けるとすれば『イラン地獄捜査線 マッドドッグ・スクランブル』とかそんな感じになる。センスがないとか言うんじゃない。センスがあるとかないとかそういう話じゃないんだ。地獄とかマッドとかパワーの漲るワードをたとえジャスト一言でも入れないとこの映画の内容は伝わらないでしょうがッ!
妥協して相当おとなしめにするとしても『地獄捜査線 イラン・コネクション』ぐらいにはしたいよな。このですねコネクションというのはですね言うまでもなく『フレンチ・コネクション』のもじりです。いやーあの感じを久々に映画で浴びたよなー。ニューシネマ系の刑事映画の空気っていうか、あの荒々しいセミ・ドキュメンタリーのタッチですよ。もう冒頭からしてウワーっと来たもんな。
なんかですね麻薬捜査やってる主人公の刑事がいきなりドカドカって扉ぶち破って民家に入ってくんですよ。なんだなんだと家の中大騒ぎ。そしたら屋上かなんかにいたクスリの売人が事態を察知してダーって地面に飛び降りて狭い路地を走ってく。刑事気付く。追う。ここから始まる数分間に渡る無言チェイス。無言なんですよね。「止まれー!」とか「ファック!」とかそういうの追う方も追われる方も何も言わない。二人ともただひたすら自分の足で土埃を巻き上げて乾燥した狭い街路を走りまくる。
惚れ惚れしませんかこの骨太っぷり。映画における迫力とは何かって考えさせられるね。よくあるハリウッド映画みたいに爆発があるわけでもなく銃撃戦があるわけでもなくカンフー映画みたいに小道具を使ったアクションとか予想外の何かがあるわけでもない。本当にただ走ってるだけなんですよ。二人のオッサンが本当にただ走りまくってるだけなのにすごい迫力で目が画面に釘付けになる。
二人とも死に物狂いで走ってますからね。イランは薬物犯罪に厳しいらしいので売人の方はとにかく絶対に捕まりたくない。で刑事の方も仕事だからっていうのもあるけれども薬物犯罪に関して個人的な怨恨もあったりするので売人絶対逃がすまいってなってる。その形相のすさまじさ、言葉になんかしなくても走りが発散する強烈な感情、そのぶつかり合い。
こういうの『フレンチ・コネクション』とか『破壊!』とかっていうニューシネマ系の刑事映画によくあったよなー。ミニシアターとはいえまさか2021年の封切り映画でそんな本気走りに遭遇するとは思わなかったよ。っていうかむしろ、ミニシアターだからこそ思わなかった。内容的にはシネコンでやってても全然おかしくないもん。今の客がこういう硬派な刑事映画を観たがるかどうかは別として。
でその無言チェイスはなんとも皮肉なオチが付くのですがそのへんもニューシネマ魂、鋭利な社会風刺とかなり直球の体制批判をドラマに込めるので善対悪の構図には絶対ならずに立場が違うだけの悪人と悪人が、あるいはたとえ悪くても信念を持った男どもがその信念ゆえに大激突して体制の下で身も心もズッタズタになっていく、みたいな構図になる。
ストーリーは簡潔明瞭である。主人公の鬼刑事が麻薬犯罪撲滅のためにひたすら走ったり扉蹴破ったりしまくる。鬼というにはアクが足りないがその感情の枯渇した表情からは内面の鬼が滲み出る。売人の妻がガン泣きしているのをガン無視してガサを入れるところなんか地味に鬼気迫っていたよな。麻薬撲滅のためなら暴力捜査も厭わない。どうせ一山いくらの麻薬業界の下っ端なんか死のうが生きようが同じだわってもんで『県警対組織暴力』もかくやの殴る蹴るは日常茶飯事、芋づる式に売人ネットワークを挙げるために捜査過程で密告したことを密告された奴にバラしてしまうとか恐ろしい男である。
でその鬼刑事がなんとしてでも挙げたいのが正体不明の麻薬王ナセルという人物で、何人の犠牲を出したか知らん暴力捜査の結果ついに鬼刑事の前に姿を現したナセルは意外にも…とそのへんは別に大したネタバレではないのだが一応ネタバレになるので伏せておくとして、このナセルがまたいーんです。麻薬王というとザ・マフィア的なドッシリ型かあるいは『スカーフェイス』みたいな狂犬型かというイメージがなんとなくあるわけですがナセル普通。かなり普通の人。でも眼差しは異常に冷めてるんだよね。感情のどこかが死んでるんです。
映画の後半は視点を鬼刑事からナセルに移してこいつがどうにか死刑を免れ家族ともども生き延びる(家族に罪はないが麻薬で築いた財産は当局に全没収されるらしい)術を必死で模索する様が描かれていくのですが、その過程で上も下も関係なく善と悪も入り乱れてもう誰が悪くて誰が本当のことを言っているのか、いったい何がこんな状況を作り出したのか、色々ぐっちゃぐちゃになってわけわからんくなる。
その混沌がこの映画の魅力だったよなー。群衆のシーンとかもすごいですからねー。蜂の巣みたいな地獄スラムの光景、ソーシャルディスタンス確保完璧不可能な地獄刑務所の恐怖。押し合いへし合う人・人・人。そこらへんの昆虫程度にしか扱われない人権ナシの犯罪者群と対置される公権力の側もまた強烈、とくに足並みをピッタリ揃えて刑場を行進する刑務官っていうかあれは軍人なのかもしれないが、体温ゼロで死刑囚に迫っていく姿は昆虫犯罪者どもの群れとあまりにも鋭い対比を成す。
そこから続く深い諦観を帯びたラストはこの映画がニューシネマ系刑事映画の後裔にして荒々しくも洗練された(この洗練というのが実はポイントなのだ。単に荒々しいだけではなく計算されたところが)現役バリバリの最新作であることを示すものだったように思う。あの頃から世界は少しでもキレイになったのか。なってないだろそんなもん。昔と変わらずいや昔よりももっと貧乏人と真面目人間ばかりがワリを食う世の中じゃないか! …と、超人アクションに見慣れた腑抜けた観客なんかにニューシネマ系刑事映画のスタイルを借りて現実を突きつけるわけだ、この映画は。
ケレン味たっぷりの決めショットの連続、予測の付かない展開の連続、思いがけず顔を出すユーモアに笑っていると表情硬直な容赦のない展開がその次には待っている。いやはやまったく、エンタメ性と批評性とアート性が恐ろしく高い純度を保って融合した傑作であったよ。子供の側転で泣かせるのは反則!(超巨漢の三連星で笑わせるのも反則だと思う)
【ママー!これ買ってー!】
瞬間的な熱量で言えば『フレンチ・コネクション』を凌駕していたんじゃないだろうか、『ジャスト6.5』。