《推定睡眠時間:5分》
タイトルが俺視点でセンスゼロだったのでまたクソ邦画かよ田中圭ろくな映画出てねぇなと思っていたらまさかの! まさかの! どこがどうまさかなのかはネタバレになるので言えないが…まさかのでしたね。タイトルがダメだからってクソ邦画扱いしてすいませんでした。こりゃあ邦画ホラー界のちょっとした事件。うーんなんというかなんというかですねそれぐらいやっていいんだっていうね。なんというかなんというか変に配慮しなくても別にいいんですよみたいな。
だってこれホラーだもん。ホラーなら酷いことやっていいんですよ、酷いことを見せるのがホラー映画なんだから。しかしそれが実際に出来ているシネコン系の邦画ホラーは存外…というか、壊滅的に少ないのが現状であって(『樹海村』とか『事故物件』とか見てみたまえ)、その現状に風穴を開けたのが意外にもツタヤクリエイターズプログラム作品という…。
これはTSUTAYAがやってる映画の企画コンペですがここの他の映像化作品としては『ブルーアワーにぶっ飛ばす』とか『ゴーストマスター』とか、安易な売れ線要素とか腰の引けた自主規制には乗らずに純粋に映画として面白いかどうかで勝負したうぅむと唸る小品が並び、その字面からはTSUTAYAの企画コンペなんていけ好かねぇ以外の感想が浮かばないのであるが、成果物を見ればTSUTAYAのくせにかなり真っ当な仕事をしているのであった。でこの『哀愁しんでれら』もそんな一本というわけです。
まぁシンデレラというぐらいですからなんとなくそういうお話。シングルファーザー家庭の土屋太鳳が貧乏でもそれなりにしあわせ~な感じの日々を送っていたら要介護な同居ジジィは倒れるし家は親父の過失?で火事になるし長年付き合っていたバンドマン彼氏には職場の先輩と浮気されるしでうわもう死にてぇ~…って踏切に立っていたところで太鳳より先に踏み切りに突っ込む泥酔男の田中圭登場。ゆーても人が死ぬの突っ立って見てるわけにはいかんだろってことで太鳳たすける。そしたらこの人が開業医。一緒にお茶したらなんとなく気も合って、君は命の恩人だよ~ってわけで色々と仕事とかの世話もしてもらえる。
人生のどん底からまさかの一発大逆転。ついに来たか玉の輿チャンス。これは乗るしかない! で安易に乗るんですが乗ったらわりとヘルが待ってました。本人的にもそうだが結果から言えばむしろ本人の周りの方に。
まぁ色々見方はあると思うんですけどさ、こういうのを見てもわかんないでスルーしちゃう鈍感な人もいるからさ、それもかなりいる、かなりめちゃくちゃいるのでなんとなくネタバレを回避しながら書いちゃうけどさ、日本型家族の重圧に潰されていく女の人の話だよね。貧乏でもしあわせ家族~とか書きましたけどあれ本当は嘘なんですよ。土屋太鳳はあの実家で親父と祖父を守るためにお母さん役をずっとやらされてて自分のやりたいことができずにいたんです。なんかあると後始末をするのは全部太鳳。田中圭のシンデレラハウスで太鳳が新たに置かれた状況と実家でこれまで太鳳が置かれていた状況は実は同じであの人はどっちの家に行っても救われないんだよね。
こういう構図がわかんねぇ奴がいるんだよな~。そこがわかんないとなんか悪趣味なサイコホラーって風にしか受け取れないでしょー。そうじゃないからこれ。そうじゃなくて、女なら母親として家を守るべしっていう半ば無自覚的な男尊女卑的イエ第一主義メッセージに脳みその隅々まで侵食された女が「そんなに言うなら守ってやんよ」っつってイエのためにぶっ壊れる話。不幸なのは(ま、既に不幸なわけですが)王子様であったはずの田中圭もまた…とそのへんは一応伏せておきますが、伏せつつもざっくり言うならば現代日本に超絶ありがちな加害の自覚なき被害者男性であったことで、これが被害の自覚なき加害者女性と化す土屋太鳳と対照を成しつつ負の共依存スパイラルを形成するわけです。(現代日本に)ありがち~。
なんかさ、超タイムリーだよね。これ映画秘宝の最新号にもたぶん紹介記事載ってると思うからどんなレビューになってるのかを確認するためだけに買いたくなっちゃいましたよ、意地が悪いけどさ。でも別に岩田元編集長をイジるためにそう言ってるんじゃないんですよ。映画秘宝メンヘラ恫喝DM問題ってみんなやれ男子校ノリだとかホモソの弊害だとか言うじゃないですか。俺そうじゃないと思うんですよね。あれってツイッターに悪口書いてDM送られた人と些細な悪口にキレてDM送った人(岩田)がどっちも加害の自覚がなくて私こそが唯一の被害者だって感じてて、そこで噛み合わなかったから起こったことだと思うんですよ。
二人とも(たぶん)いい大人なのに子供だよね。そんなの幼稚園のケンカじゃん。『哀愁しんでれら』でも「赤ちゃん返り」がキーワードになってるわけですが、まぁね、こういう風に自分の行為が他人にどう映るかわかんないアダルトキッズ同士がぶつかるとそれはもう悲惨ですよ。お互いに譲れるところが一歩もない。譲ったら自分も程度の軽重はあっても一面の加害者であることを認めてしまうわけですからそれはできないんです。自分は純粋な被害者っていう立場から絶対に動けない。
赤ちゃんというのはどんなイエの中にあっても無条件で必ず守られるべき弱者として逆説的に絶対権力を握っているわけじゃないですか。そんな権力あったらみんな欲しいよね。だけど大人ならそこは手放さないといけない。手放さないといけないが…そうは言っても権力の魔は人間を手放してくれないから「俺こそ弱者で被害者なんだ」と色んな大人が言うわけです。あ、ここは森喜朗を風刺してまーす。
と話がダイナミックに脱線しましたけれどもまぁでもそういうことについての映画だからね。そりゃ現代日本の実情にもそこそこ触れんとちゃんとした感想言えない。日本はネオテニー社会だーなんて昔から言いますけれども誰もが大人になっても子供のままでいようとする現代日本なんだよ。別に大人が観て楽しめないわけじゃないし悪いわけでもないけれども基本的には幼児アニメの『PUI PUI モルカー』をいい歳した大人どもが観まくってる今敏の『妄想代理人』の如し異常な光景が広がる昨今じゃないですか。まぁ俺もその一人なんだけどさ、はっはっは。
で、こんな風な幼児退行の中心にイエがあり、「お母さん」がある。なんで保守とも言えないような情緒保守の人が選択的夫婦別姓とかに強固に反対して日本のイエに執着するかってそこだよね。情緒保守の人って純粋さや素朴さを好むし、それを壊すものを敵視する。たとえばそれは外国人かもしれないしエリートかもしれないし、「お母さん」であることを放棄してイエを守ろうとしない女かもしれない。イエは子供の揺籃だからそこに情緒保守の人が堅守したい純粋さの核心があるわけです。そう思えば情緒保守の人が自分たちこそ被害者なのだとそれこそ聞き分けのない子供のように言い募る理由もわかりましょう…ってもう、どんどん映画から逸れていくな。
えー、『哀愁しんでれら』の話。そうだなこれはちょうど今公開中の『スワロウ』っていうアメリカの家系(ラーメンのことではない)映画とネガポジの関係にある映画だと思ったから見比べると非常に面白い。これもネタバレに触れますから具体的には言えませんけれども『しんでれら』と『スワロウ』って王子様に拾われる貧困家庭の女の子っていうシンデレラモチーフが共通してるんですよ。だから入口はよく似てる。でも出口は全然違う。
そこにゆーてもアメリカっていうか欧米社会の強さとかポジティブさを感じたし、まぁ映画一本でそこまで大それたことは言えんだろうとは思いますが…日本は結局ダメなんだよね。たとえ一人になってもイエの外に飛び出すんだ! って方向に行けなくて、一人の孤独に震えるぐらいなら家族と一緒に家に食われた方がいいじゃないみたいな方向に行っちゃう。イエを支える「お母さん」信仰から男だけじゃなくて女の人もまた抜け出せないんだよね。
『しんでれら』は逆説的にそういう現代日本人の弱さをあぶり出して観客に突きつけるものであったけれども(しかしそれが伝わらないぐらい現実には日本の観客は弱いのである)、でもこれは若い映画監督のデビュー作でさ、若い監督が日本型家族の問題であるとか、日本型家族の問題を通して日本社会に切り込んだ映画を撮る時に、出来事としては違っても方向性はこんな感じっていうのが俺すげー多いなって思うんですよね、色々観てて。
本当に前向きな(さしあたっての)答えがない。日本の家族はこんなにダメだ! っていう、そういう批評性はあってもその先の展望はないんです。あるとしたらせいぜい「やさしい家族」を「悪い家族」の代わりに提示するとかそんな誤魔化しで。家族そのものが悪いんだっていう、イエの破壊なくして再生なしみたいな『逆噴射家族』的な現状を打破しようとする思想とかはない。ある意味『しんでれら』はその極北という感じ。
はぁ、なんだか暗澹たる気持ちになってきますねぇ。まぁ暗澹とした映画だからその感想は正しいとしか言いようがない。もう自画自賛してしまう。わたしは幼児なので。
よい映画でしたよー。キャストもハマってますし喜劇からサイコサスペンスに転ずる構成もおもしろいしねー。あの石橋凌のチャーミングな子供親父っぷりなんか素晴らしいと思いましたよ。チャーミングなんだけど大人の自覚がないから結果的に毒親っていうね。その匙加減が絶妙なのであれが普通に良い親父って見えてしまう人はいるんだろうな。まぁ、何が良い親父かなんて人によって違うだろうけどさ。
何気ない日常会話の中に垣間見える田中圭の異常性の表現は「どこから?」と想像させたりもして見事だとしても、その巧さに比べれば裏の顔の見せ方は案外薄っぺらくて拍子抜けな気もしたし、終盤はそこもっとじっくり見たいのになーっていう駆け足展開で、勢いがあると言えばまぁそうかもしれないが、そこはもっと丁寧に話を進めた方があのすごーいラストが生きたんじゃないか…とか色々思うところはないでもない。端正な画作りも個性がないとも言えますし。
でもすごーいラストがあったからね。大抵の難点はそれで帳消し。そうそう、やっぱりね、ホラー映画ではすごーいひどーい場面を観たいんです。色々と理屈をこねましたけれども結局そこですよ。そこをちゃんとやってるから『哀愁しんでれら』、イイ映画でした。あと終盤で田中圭が発する「クズでも友達だろ! クズと遊ぶの楽しいぞ!」っていう台詞、あれ酷くて笑えて最高。
※ところで最近の家こわい映画といえば『スワロウ』のほかに『透明人間』もそうだったのだが、クズ金持ちがみんななんか同じような作りのモダン邸宅に住んでいる。あれなんなの? クズ界のトレンド?
【ママー!これ買ってー!】
『しんでれら』の監督は三池崇史とかめっちゃ好きなんじゃないかなぁと思ったので三池の家族映画といえば『ビジターQ』。
>男子校ノリだとかホモソの弊害(中略)じゃないと思う
「炎上がわかる記事」も読みました。この一文、自分も同じ印象です。
ホモソと言うにはあの文面、女々しくないすか?
(ポリコレ的に「女々しい」はNGかもしれないですが)
映画の感想ではなくすいません。
どちらかと言うとむしろホモソーシャルな関係の中から出てきたものっていうよりそこから孤立した人の言うことですよね、あの文面は。だから良いとか悪いとかそういう話じゃないですけど。
確かに。「ホモソって言われるの疲れた、変えようと思って頑張ってるのに」って言う愚痴ですよね。言われた方は「知らんがな」って話で。最後の「お前のせいで●●たい(一応、伏字にしました)」がまずい訳で。
返信、ありがとうございました。
たおぱいぱい目当てで見たんですが、とんでもないストーリー展開でびっくりしました。なんかすごいの見ちゃったな、と驚愕。
監督さんは新人と言うことですが、映画作るの上手だな~と感心。序盤でトラブルたたみかけや、女友達同士で軽い会話のらしさとか、上げて落とす構成などなど・・・。
ちょっとだけ気になったのが、後半、踏切で横になった時点で太鳳は実質死んで、彼女のストーリーは結局そこで終了、残りはオマケっぽく見えたことかな。
(ラスト含めて)いくつかの要素はバッサリ切っちゃった方が映画として完成度は高くなったかなぁとは思うんですが、そこはまとまりよりも驚きと勢いを取ったということかもしれませんねぇ。こういう作りはなかなかメジャー邦画ではできないので、個人的にはよくやってくれた!と思いました。