《推定睡眠時間:0分》
まさにけもの道なのであった。しょせん文明社会など男の世界、口では平等だの自己決定だのなんだのと美辞麗句を並べ立てるが、社会の維持が依然として女の出産に依存している以上、極論、男にとって女は子供を生産するための機械である。もしもある共同体の女全員が出産を拒否したならば、男は共同体の維持のために暴力も厭わないであろう。「それが女の意志ならば」と共同体の存続を放棄してまで個々人の非生産的選択を尊重する男がどれだけいるだろうか。逆説的に、男は出産の機能を有さない本態的な欠如によってこそ社会の管理人を買って出る。社会の存続は男の手にかかっているという傲慢な自負と倒錯が男を狂気と暴力に駆り立てる。どれほど先進的に見えたとしてもそれが男によって運営されているのなら、文明社会は本質的に、女への暴力を温存している。
そんな社会ならどこに行っても同じことさと野生の嗅覚で見切ったポリアンナ・マッキントッシュ演じる人食い野生女ザ・ウーマンが田舎に「王国」を築いたド腐れ親父を食い殺しその娘たちと共に森へと消えるラストが超絶感動的な前作『ザ・ウーマン』であったが森の現実は文明社会より優しいということもない。狼に育てられた真性野生女のザ・ウーマンはともかく文明社会出身の娘ーズには過酷極まる環境であった。野生動物とか通りかかった人間とか狩ったりして生で食ったりしないといけないですからね。火使えないからザ・ウーマン、火。いや~生食はキツイすわ~俺やっぱ文明社会でいいっすわ~。
まそうは言っても娘たちの方は文明社会に帰る場所がない。そうして文明社会の娘たちにはわりと相当かなりつらい十年くらいが続く。配給会社の都合で単体作品のように宣伝されていたがじ・つ・は! 『ダーリン』はここから始まる映画なわけです。ダーリンというのはザ・ウーマンが前作『ザ・ウーマン』の最後でリクルートした鬼畜親父の末娘。前作を観ていない観客にはなんのことだか全然わからんだろうこんなの。こいつ今はウガーって言ってる野生児ですけど『ザ・ウーマン』の頃は普通に喋ってたしK-POPとか聴いてる今風女児だったんですからね!
というわけで『ダーリン』ですよ。『襲撃者の夜』『ザ・ウーマン』に続くジャック・ケッチャム原作の現代アメリカおんな人食い族シリーズ第三弾。全部配給が違うのでシリーズ作であるにも関わらず日本国内では全て独立した単品映画として扱われてシナジーが一切生まれないという不遇っぷりがなんだか泣ける感じである。しかし俺は待っていましたよ。IMDbでだいぶ低得点であることを知ってもちゃんと待ちました。”ザ・ウーマン”ポリアンナ・マッキントッシュが今回は自ら監督・脚本も務めた入魂のシリーズ最終章(?)、その結果は!
まぁ、字義通りの意味でも慣用句的な意味でも食い足りなかったよね。人を食わないんだもんな~ザ・ウーマンがさ~。今回はお腹いっぱいだったのかな~。別に前作前々作も言うほどは食ってなかったですけどハングリー感が~。今回はなんかハングリー感がなかったですよ~。目もなんだか光がない感じでしたしね~。『ザ・ウーマン』なんてもうギラッギラだったのにね~!
でもタイトルは『ダーリン』だしスタッフロールを見たら若い女優をキャストの上の方に乗っけてポリアンナ・マッキントッシュは別に一番上でもいいのにかなり後ろの方だったのでなんかそういうつもりの映画だったんだろうっていう納得感はあったよね。今回は食材じゃなくて贖罪の映画でしたよ。ザ・ウーマンまさかの贖罪。
結局ね、人食い部族を維持するために文明社会から女を強奪的リクルートしてきたらそれ文明社会の男とやってること同じじゃないのっていうのがあるんですよ。部族を守るために個人を捨てるのか、それとも個人を守るために部族の存続を諦めるのか。今回はこの組織の存続という問題を巡って物語が編まれていて、その中で妊娠中絶の是非とか教会の資金繰りとかっていう要素が出てきたり、組織化された人間関係に対するものとしてのノマド的連帯の可能性が模索されたりします。そこは実は意外と理屈っぽい。理屈っぽい脚本を書いたポリアンナ・マッキントッシュは演出も社会派/フェミニズム的な視点が強くホラー的には撮っていないので、前二作と比べてちょっと考えないと理解が難しい映画でしたね。まぁ、要はあんま盛り上がらなくておもしろくない。
とはいえ、ザ・ウーマンはザ・ウーマン。なんだか随分と存在が小さくなってしまったが狼仕込みの殺人テクは衰えない。しっかりとかえしの付いた原始狩猟ナイフで出会い頭に躊躇無く男どもをぶっ殺していくサマは爽やかでさえあります。事故ですからねこれは。もはや殺人ではなく事故です。ヒグマがたまたま山から下りてきて人間食ったらそれはまぁ痛ましい事故だけれども野生動物だからある程度仕方がないよな~ってなるじゃないですか。ザ・ウーマンも同じですよ。逆に不用意に近づいた人間が悪いんじゃないかなこれは。
そんなザ・ウーマンが人生初の乗車体験でおおさわぎというほのぼのシーン、実は拳銃の使い方を知っていたという衝撃の新事実、殺した奴から奪ったサングラスをかけてカッコつけてみるお茶目などを経て、映画はさながらザ・ウーマン版『ランボー ラスト・ブラッド』かあるいは『子連れ狼』とでも言うべきちょっと切ないハッピーエンドに着地する。あんまりおもしろい映画ではなかったがそこはね、やっぱ感慨深いものがありましたよ。『襲撃者の夜』ではああだったザ・ウーマンが『ザ・ウーマン』を経てああなって『ダーリン』ではついにこうなったのかと。イイ話だな~。人はだいたい8人ぐらい死んでいるが8人死んだとは思えないイイ終幕でしたね~(でも次も観たいぞ。ザ・ウーマンが山中で訓練中の州兵を食いまくる今度は戦争だ的な…)
※ちなみにベストショットはザ・ウーマンがナイフで殺った獲物をとくに食べるわけでもないのについ手癖でそのまま捌いてしまうやつ。あと全然言及してませんが今回はダーリンのお話なので教会付属の保護施設に入れられたダーリンとそこのやさぐれガールズとの仲良しではないがとりあえず一緒に暮らしてる仲間です的な微妙な距離感の関係性とかそのへんもよかったです。いわゆるシスターフッド的な関係ともちょっと違うんだよね。広義にはこれもシスターフッドなんでしょうけど、くっついたり群れたり共通の敵を作って共闘したりするんじゃなくて、とりあえず一緒にいる間は仲間っていう常に一時的な関係。それがまぁ、教会に象徴される組織的・定住的な関係と対置されるノマド的な連帯関係ということで…いや、理屈っぽい映画なんだよこれは! 俺が理屈っぽいんじゃなくて!
【ママー!これ買ってー!】
文明社会に背を向けて人食い一筋に生きてきたザ・ウーマンの「子供」の物語はやはりその人食いけもの道を辿らねば真価がわからん。ぶっちゃけ映画としてちゃんと面白いのは『ザ・ウーマン』ぐらいなので是非全部観てねとは言いにくいところがなんともなのだが…でも『ザ・ウーマン』は傑作だから! 『ザ・ウーマン』だけは!