《推定睡眠時間:0分》
血まみれグチャアな予告編を観ていたのでそういうやつなんだろうなと思っていたが実物はエグさ控えめ、バイオレンスよりもミステリー成分の濃いコリアン・ノワールだった。エグい描写にうへぇうおぉってなる面白さじゃなくてなるほどねっ、とこうバチコン膝を打つタイプの面白さ。ただしそのなるほどねがスッキリ感には繋がらずにペシミズムを帯びるのがコリアン・ノワールたる所以。ペシミズムを突き破る感情の発露が見られないあたりは原作が日本の作家・曽根圭介だからかもしれない。
コリアン・ノワールってどんなに暗い話でも今よりはマシな未来への可能性を感じさせる結末が多いじゃないですか。でもこれはそうではなくて、なんか、どうしようもないんですよね。三人の主要登場人物を軸にして様々な悪人が大金の入ったバッグを奪い合う群像劇ですけど出てくる全員が人生の袋小路に入っていて運命に囚われてしまっているというか。物語も佳境に入った頃に明かされる真実でなるほどねっと分かるのはそのことなんです。最初から救いなんかなかったんだ的な。誰にもどこにもこれからも救いなんかないんだ的な。その計算されたペシミズムはブラックユーモアを漂わせたりもして、そういう意味ではちょっと独特な立ち位置のコリアン・ノワールだったかもしれない。
お話。お話は…お話は書きにくいなこれは。まぁとにかくね、人生にドン詰まった三人+が大金狙う。サウナ夜勤のハゲかけオッサン、この人は漁港で親から継いだ食堂をやっていたが今どき漁港飯とかそうそう需要ねぇだろってことで廃業状態、共働きの妻は認知症の姑の介護でメンタル的にも身体的にも限界だし金銭的にももちろんずっと限界だ。こんな現状なんとか変えなきゃとは思うが具体的な手段が頭に浮かばない、夜勤バイトでも頑張って働いていればあるいは…と真面目に働いたところで支配人の目は冷たくバイトに精を出せば出すほど妻の介護負担は重くなる。ハゲかけオッサンが仕事中に大金の入ったバッグを見つけたのはそんな時だった。
業の深い三人の二人目はキャバクラで働く女でこの人には酒癖の悪いDV夫がいる。カネさえありゃこんな仕事もこんな夫もほっぽり出しているのだが…とそんな折、中国朝鮮族のチャラめな若い男が客として店にやってくる。あんまキャバクラで遊べるほどカネを持ってるようには見えないのだがこの男は一体何者なのであろうか。男は囁く。俺はな、中国で人を殺して逃げてきたんだよ…。
三人目は空港の入国審査官。キャバクラとかサウナの夜勤バイトに比べれば随分ご立派かつカネ回りも良さそうなお仕事だがなんでもこの男には行方をくらました妻がおり、その妻の作ったヤミ借金で首が回らなくなっているらしい。ということでたまにやってるヤミバイトが密出国の手引き。密出国といってもヤミ商売をやってる知人なんかに素知らぬ顔で出国許可を出すだけだから大したものではなく、よって大したカネにもなりはしない。せめてもう少しカネを作れないか…というわけで借金取りの圧迫取り立てを受けた入国審査官は従来の密出国を少しだけグレードアップした悪巧みをするのであった。
群像ミステリーであるからディティールよりもシナリオの構造で見せる映画というところがある。個々のエピソードはわりあいザックリしているというか、あくまでなるほどねっのサプライズ展開に視線を誘導するためのあえての単純化だとしても「それ無理あるだろ」みたいな感じなのだが、そんな中で光るのは最初に出てくるサウナの夜勤バイトオッサン。なんでしょうねなんというかものすごく、いそう。むしろどこかのサウナで確実にこの人見たことがある。
コリアン・ノワールの男たちは概して感情の起伏が激しいがこの夜勤オッサンはグッと堪えるタイプである。いくら理不尽な目に遭っても声を張り上げて怒りを表明したり衝動的に殴りかかったりとかしない。人や物に当たらない代わりに当たるのは自分の頭髪である。もうぐわんぐわん掻きむしってしまう。それでハゲかかってたんだね…なんて切ないハゲかた! わざとらしいハゲじゃなくて苦労の年輪という感じのナチュラルな薄ハゲっていうのが沁みるよな。
まぁこういう人っていますよね。他のバイトがだいたい雑な学生とかっていう中で話も合わないし仕事のやり方も合わないから孤立しちゃって一人だけやたら熱心に働いてる人。そういうタイプの人だからこれまで堪えに堪えてきたオッサンがついに支配人に食ってかかるシーンはアツかったですよ。「俺はここで一番真面目に働いてたんだ!」と魂のシャウト。そうだよなオッサン真面目に働いてきたもんな。あのロッカーチェックをする時のテキパキとした動きを見ればわかるよ。雨の日も風の日も車も原チャリも持ってないからママチャリで職場来てんだよ。ママチャリで職場来て一勤務いくらにもならないサウナ夜勤をわけわかんねぇ絡み方してくる客にすいませんすいませんとハゲかけた頭を下げながらワンオペで回してんだよ! …これ他人か?
いろいろ面白いところはありますけれども俺はそこでしたね。働くオッサンの悲哀をこうドライなタッチで描かれると堪えられない。バイトオッサンのペ・ソンウ、確実に場末のサウナかコンビニで夜勤やってるのを見たことがあると思えてしまうぐらい華がなくて実に見事な主演に見えない主演っぷりでした。なんか色々とこの映画の感想として書くべき事を飛ばしている気がするが夜勤バイトオッサンが素晴らしいという一番書かなければいけないことは書いたからまぁいいだろう。
※ところで劇中に回転寿司屋のシーンがあったのだが皿でけぇ。これが韓国回転寿司業界のスタンダードなのかどうかは知らないがちょっとだけびっくりするデカさであった。あとケーキとかわりとガンガン流してて良かったよね。なんで流行らないのだろう、回転スイーツっていう業態。
※※コメント欄はもしかしたら少しだけネタバレになっているかもしれないのでネタバレを食らうとアナフィラキシーで死ぬ体質の人は華麗にスルーするかあるいはアドレナリン注射を構えつつご覧下さい。ヤバくなったら筋肉注射!
【ママー!これ買ってー!】
わらにも縋るという人が本当にわら程度のものに縋るだけで我慢できているのを見たことがないしその結果だいたい破滅しているので、わらにも縋りたい人は安く買えますしちゃんとわらに縋ったらいいと思います。
↓ちなみに上のわらはアマゾン価格555円でこの原作本は557円でした
大金を持ち帰ってしまったために深夜バイトのおっさんことぺ・ソンウのお家があんなことになりましたが、あれはおっさんを縛り付けていた家(父親・店)からの解放になって、逆によかったんじゃないかと思ってしまいました。本人泣いてましたが…母親の言う朝鮮戦争〜のくだりといい、安直でしょうか。
ひとりだけ金に手を付けて娘の学費払ってますし、結果として一人勝ちしたのでは…ともやもやします。
最後に大金を手に入れたあの人は、家族を見限ってひとりでどこかへ行ってしまいそうで。お金を分け合って、仲良く元通り、とはならないような…あんな仕打ち受けてましたし、この煮えきらなさがよいのでしょう。
回転寿司のネタのエセ寿司感にはちょっと笑いました。海が近いから回転寿司なんでしょうか。
この映画が面白いなと思ったのはシナリオ上の仕掛けが暗示するところでもありますが各キャラクターのポジションがある程度他のキャラクターと交換可能なんですよね。だからごくごく少数の人間を除いてカネを前にするとみんな自分を忘れて同じような行動を取ってしまう、そういう無常観とか明日は我が身感があるというか…俺は悲観的な人間なので夜勤オッサンはあの後キャバクラででもバイトを始めて誰かと同じようにヤバそうな儲け話を持ちかけられたりするんじゃないのとか思ってしまうんですよ笑
これは今思いついただけなので与太話のたぐいですが、そう考えると回転寿司というのも案外メタファーとして仕込まれたものだったのかもしれません。値段の違う皿の上に様々なネタが乗っていて、皿とネタの組み合わせは変えようと思えば変えられるし、そして皿に乗ってレーンに出たネタは同じ所をぐるぐる回って最後には誰かに食べられるか廃棄されるしかない…人生は回転寿司だ、という。仏教的な世界観の映画だった気がします。