本当は怖いオタク映画『あの頃。』感想文

《推定睡眠時間:0分》

感想ブログとは言うが映画を見て思ったことをそのまま書いているわけではなく大体の場合は見た映画を媒介に俺がその時々で言いたいことを書いているだけなので(そもそも映画を見ながら考えていることなど基本的にない)頭の中ではうーんどういう切り口で書こうかなと見る前から既に構成を考えていることさえありこの映画の場合はまぁやっぱり(?)オウムだよねオウムオウム、オウム信者とアイドルオタクの類似性を…といい加減かつ不謹慎に脳内で感想の仮組みをしたはいいが映画を見たらその構成では書けなくなってしまった。

アイドルオタク、オウム信者と全然似てない。当たり前だろ! の怒号が実際に聞く前から脳内を飛び交っているがいやたぶんねたぶんたぶん君たちが想像している意味での似てなさじゃないですようんたぶん。これはもう語弊しかないからブログとはいえ言いにくいのだがオウム信者、ものすごく真面目じゃないですか。アホみたいに真面目でストイック。そういう人たちをエゴイスティックな俗物親玉が自在に手駒に使えるようになっちゃったらまぁ大変なことになるよねってことで取り返しのつかん大凶悪事件の数々が起きてしまうわけですがそれにひきかえこの映画に出てくるドルオタの人たちときたらちょっとアイドルに対する真面目さが足りなすぎるだろう!

わかってますよはいわかってますそんなことはねぇよっていうのはある程度わかってるんですドルオタはドルオタで推しに命賭けてんだよみたいなのはわかってるんです、が! いやでも、やっぱ違うんだよな。なんつーかですねその確かに本人たち的には俺たちすげーマジでアイドル大好きなんだよアイドルしかねぇんだよアイドルのために人生捨ててるんだよ! ぐらいな感じもあるのかもしんないすけど出家信者ともなれば教団のために全財産寄進して家族恋人友人の関係は全て切って1日4時間睡眠ぐらいでずっとワークして空き時間で解脱のために修行して破戒だって言われたら独房修行という名のコンテナ監禁をされてそれも修行なのだと自分を強引に納得させて薬物イニシエーションの実験台にされて死にそうになってそれも解脱を早めるための尊師の愛だと自分を強引に納得させて麻原から人殺せって言われたらはい尊師って言って科学班が開発したと称する謎のレーザー銃で本当に人を殺そうとするようなオウム信者のストイックさはアイドルオタクに無いわけじゃないですか。わけじゃないですかじゃないよそりゃ無いよ! なんでそもそも比べようとしたのオウム信者とドルオタ!

いや、まぁ、それはさ、前にコンビニ夜勤のバイトしてた時に何店舗も掛け持ちして週6~7勤務の1日10時間以上とかやってるすごい人がいたからそんなに金稼いで何に使うんすかって訊いたら自分はドルオタだから推しに使うって言ってたんですよその人は。オウムの修行じゃんって思ったよね。これはもはや信仰だなと畏怖を覚えましたよ。で、その人とモーオタのオタ芸の映像が頭の中で結びついて…偏見にもこういう個人的な歴史があるんだよ。歴史と呼べるほどの深い話ではまったくないのだが…。

いやあの何も意味もなくオウムを持ち出したわけじゃなくてつまりですね俺が思ってたよりドルオタゆるかったっていうことを言いたかったんですよつまり。そのためにオウムを引き合いに出す必要があるかどうかは別として! ドルオタはアイドルに幻想を抱いてるかもしれないけれども俺はドルオタに幻想を抱いていたわけで、こんなもんなのか…と言うとまたアレですけれどもだってこの映画に出てくるドルオタたち普通に風俗とか行くじゃん。風俗行く金あるんなら推しに使えやって思ったんですよね俺は。信仰が足らんだろうと。君らアスファルトの歩道を往くアイドルの前にゲロが落ちていたらその足を穢さぬよう自分がゲロの上に横たわってマット代わりになる人間じゃないんかい的な。じゃないと思いますが。

そういうんじゃない。そういうんじゃなかったですねこの映画に出てくるドルオタの人たち。アイドル超好きかもしんないけどアイドルのために自分を捨ててるわけじゃなくて自分の人生を豊かにするためにアイドルを愛してる感じなんですよ、なんか。あるいは人と繋がるためにとか。主人公の剱さんはなかなか人生がうまくいかない時期に松浦亜弥を見て電撃ショック、速攻でCDを買いに行くとそこではドルオタたちの定期トークイベントをやっているというのでこれも見に行くといつの間にかイベントに出てたドルオタの人たちと仲良くなって一緒にイベントに出たりするようになっちゃった。

ドルオタの映画と聞けばそれこそ麻原と信者のように絶対的で直接的なアイドルとドルオタの関係性というのを想像する。キャパ何万とかのイベント会場でやるアイドルライブを観に行って向こうからしたら豆粒でしかない自分をアイドルが捕捉するわけはないんだけど、ちょっとこっちを見たら「今あの人は自分を見たんじゃないか…!?」ともうそれだけで感極まってしまってその思い出を何度も何度も飽きることなく反芻する…とまぁそんな感じの一対一の垂直的な関係性を俺は想像するんですが、しかしこの映画の中のアイドルとドルオタの関係はどうもそんな感じではない。

神通力で麻原が信者一人一人の心身状態を常に把握しているという神話がまかり通っていたオウムみたいに推しと弟子の一対一の特別な関係が無数にあるっていう感じじゃなくて、アイドルは誰も特別扱いせずファン全員に同じ歌と同じ笑顔と同じ笑いと…というような一対多の関係で、だからファン同士の横の繋がりっていうのがオウムと違って生まれるんです。オウムはそういうの無かったどころか後期ともなると禁じてましたからね…それで大惨事になったわけだからやっぱ大事よ横の繋がり。もう映画の感想でもなんでもないじゃん単にオウムの話じゃんごめん映画の感想書きます。

まぁですからそういうアイドル観っていうか人間観のドルオタ映画でそう来るんだみたいなのあったわけですよ。そりゃ見る人が見ればここにはこんな重層的な意味がーとかこんな想い出がーとか色々こみ上げてくるものはあると思うんですけどアイドル知らん俺からしたら随分ドライな映画だなっていうか。だって松浦亜弥とか普通の人じゃん。超普通だよね。見た目がどうとかパフォーマンスがどうとかじゃなくて普通なんですよ、剱さんが握手会に行って対面した時の松浦亜弥、めちゃくちゃ普通にアイドルのお仕事をしてるだけで神々しさとか皆無なんですよ本当に。俺からしたらね。

でそのお仕事感っていうのが結構キーなのかなって思った。男だらけのドルオタグループのお話なわけだから基本的にホモソーシャルな世界が描かれるんですけど、そこでどうしようもない男たちの繋がりを維持しているのがアイドルの他に風俗嬢とか看護婦の人で、お仕事でこの人たちと関わってるわけじゃない素人の女の人は大体がグループに亀裂を入れることになる。これは本人がそう望んでるわけじゃなくてどうしようもない男の方が勝手に発情したりして崩れていくみたいな感じで、ミソジニー的であるとも言えるが…それよりもそんな風にしか女の人と関われなかったり、仲間を作ることができなかったりする男のダメさを露悪的なまでに容赦なく捉えている印象が強かった。

お前らにとっちゃアイドルも風俗嬢も看護婦もみんな同じカテゴリーなわけでしょ、とまで突き離しはしないが(どちらかと言えば寄り添う姿勢)、かといって甘いわけでもなく、剱さんが初めて松浦亜弥と対面する感動の場面が一瞬にして「普通」の場面へと転調してしまうあたりはサディスティックですらあった。それはドルオタグループが男子校部室のノリでわちゃわちゃとやっている本来なら(?)楽しいはずの場面も同様で、楽しいはずだしバカバカしいはずなのだが、なにやら空気が殺気立っていて楽しいどころかむしろ怖い。

なんかさ、この楽しい空間を絶対に守り続けるんだーみたいな。関係を保ち続けるんだーみたいな。俺この映画で感じたのはアイドルとファンの関係の強さよりもファンとファンの関係の強さで、強さっていうか執着とか相互依存だと思うんですけど、それがとにかくめちゃくちゃあるんで怖かったんですよ。たぶんみんな孤独で誰かと一緒にいたいんだよな。誰かといたすぎるから執着するんだけど、そういう自立できない人って基本的に他人の都合とかあんま考えないじゃないですか。だから衝突ばっかして、でも独りではいたくないから離れられなくて、どんどん鬱憤が溜まったりして…それをこの人たちは都度笑いに変えて乗り越えるんですけど、逆を言えば笑いに変えなければどうしようもないほどのギリギリ感があるんですよ、この人たちの関係には。まぁモデルになった人たちがそうだったかは知らないですけどこの映画ではってことで。

それで、剱さんと松浦亜弥の対面シーンあたりが境になってたような気がするんですけど、映画の後半はそういう自立できないからナチュラルにミソジニー的でホモソーシャル的でいつもギリギリな感じのドルオタたちがなんとなーく繋がりつつも段々と別々の方向に一人で進んでいって、アイドルみたいな媒介物を必要としない一対一の関係性を様々な局面で築く、あるいは築こうとする、そういう中で集団を維持するための機能とか象徴としての女ではない一人の人間としてのリアルな女というのも画面に現われてきて、とまぁそんな感じで、こういう映画を普通社会派とは呼ばないだろうがなんか人間社会の一部分を拡大して定点観測してるような作りなので派かどうかはともかく社会を見る映画だなぁってなる。

社会と、あと人間だな。どうしようもない人間。剱さんは松浦亜弥とドルオタグループの仲間たちのおかげで自立してちゃんとした感じになれましたけどみんながみんなそれができるかって言ったらそうじゃないよね。そのそうじゃなさの残酷さ。そうじゃなさをしっかり見届ける反面の優しさ。この感じは根本敬の漫画とかに似ていると思うのだがどうでしょう。そうと思えば90年代悪趣味界隈ともなんとなく通底するものを感じ剱さんが劇中で男の墓場プロダクション(当時)のバッジを身につけていたことからも今話題の映画秘…その話はここでするな!!!

えー、収拾がつかなくなってきておりますが、とりあえずおもしろかったです。あそこの場面とかよかったねあの幽霊(的な)が画面に入ってくるかなー来ないかなーみたいな場面。カットをあまり細かく割らないのでちょっとした人間の挙動がいちいちスリリングなんですよね、うん。あと剱さんが入っていくドルオタグループとはとくに絡まない名も無きドルオタがライブとかの場面で何度も出てくる。それもよかったなー。世界はその狭い空間だけじゃないんだよみたいな、君の居場所は他にもあるんだよっていう感じがして。

やっぱそういう映画だったと思いますよ。今居る場所は絶対の安全地帯じゃないし、今続けてる関係は絶対に濁らないものではないし、だけどそうなったらそうなったで別の居場所とか別の関係を探せばいいだけで、人生そんなもんなんじゃないのみたいな。で、新しい一歩を踏み出すために背中を押してくれるのがアイドルなんじゃないすかね。俺はアイドルよりもオウムの方に興味があるのでよくわからないけれども…。

【ママー!これ買ってー!】


因果鉄道の旅 (幻冬舎文庫)

今読むと酷いことしか書いてないが何も今読まなくても酷いことしか書いてない。とはいえその酷さを見つめることはいつの世でもやさしさなのだという逆説もあるのだ。

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オギャ
オギャ
2021年3月13日 6:56 PM

にわかさんの熱いオウム愛が伝わるよい記事でございました。
尊師の姿勢が熱いものだったとは知りませんで……命を貢ぎたくなるタイプの推しは至高です。
この映画に出てくるドルオタ、他のジャンルでも遭遇するタイプの「推しを通して自分の人生を華やかにしたい、繋がった人と楽しくやりたい」人たちで関わり合いになりたくないです。風俗に落とす金があるなら推しに貢ぐは金言ですよ(そんなことやってると骨の髄まで推しに絞り尽くされるのですが)
推しと自分だけで完結したいタイプのオタクには辛いオタクたちですが、推しを糧にして人生をエンジョイする勢って結局勝ち組になるので悔しいといいますか腹立たしいといいますか……いや好きに推せって話で終わるのではありますが。
性欲処理を他の異性で正当に済ませられる環境といい、男オタと女オタではこうも異性の消費の仕方が違うのかと、ひとりで具合が悪くなりました。
世代ではないのですが、今から尊師を推すべきでしょうか。