《推定睡眠時間:0分》
アメリカの新興郊外住宅地が舞台なので一見アメリカ映画っぽく見えて実はアメリカ資本は入っていない映画なのだが(そのへんからアメリカ文化に対するこのアイロニカルな距離の取り方を説明できるんじゃないだろうか)描かれる恐怖は典型的なアメリカの恐怖であり郊外住宅地ものというアメリカン・ホラー・ジャンルの一種だと思えば奇作に思えてわりと王道なのかもしれない。なんだよ郊外住宅地ものって、という気もしますがいやあるじゃんアメリカのモダンホラーとかで新興郊外住宅地が怖いっていうやつ。
同じような家がズラーっとどこまでも並んでてなんとなく気味が悪いし自分も隣に住んでる人も元々そこに住んでたわけじゃない移住者なわけだから素性が知れなくてこちらもなんとなく気味が悪いのダブル気味悪。新興の語を外しても隣に引っ越してきた奴が吸血鬼だった『フライトナイト』とか近所に住んでる奴が魔女だった『イーストウィックの魔女たち』とか近所に住んでてしかも頼れる保安官の人が殺人鬼だったっぽかったが果たして的な『サマー・オブ・84』とか郊外住宅地が怖いホラー映画の有名作は沢山あるが、あくまで新興住宅地に限定するならやはりアメリカン・スラッシャー三大殺人鬼の一人マイケル・マイヤースが新興郊外住宅地を血で染める『ハロウィン』が別格の存在感。
マイケルといえば無貌のマスクと感情を感じさせない無気味な挙動が特徴の殺人鬼ですがこれはまさしく郊外住宅地の二つの恐怖、すなわち繰り返しになりますがどの家も同じ色と形で個性がないことの(そして自分もその没個性の中に生きることになる)怖さと隣にどんな奴が住んでるんだかわかったもんじゃない怖さを体現するものでありましょう。で、更に言えば、その後のスラッシャー殺人鬼の性質を決定付けることになった『ハロウィン』の「殺人鬼は不死身」ラストは、建物の匿名性や希薄な人間関係に支えられた郊外住宅地の虚構性・非現実性を暗示するものとして、これもまた郊外住宅地恐怖の三つ目として数えられるかもしれない。
この三つ目の恐怖をテーマにしたホラーで俺がすぐに思いつくのはモダンホラー作家スティーヴン・キングがリチャード・バックマン名義で発表した『デスペレーション』の姉妹編『レギュレイターズ』で、これは新興郊外住宅地に住む超能力少年のパワーによって街が人間大に実体化したオモチャのギャングの無差別乱射などを食らうというキング版『童夢』みたいなお話だったように記憶しているが、空想の存在が現実に新興郊外住宅地を破壊していくという点で郊外住宅地第3の恐怖を描いたものと言えるのだ。これは実質の伴わないまま運用されたサブプライムローンの破綻が引き起こしたリーマン・ショックとなんとなーく繋がるところがありますな。ない? まぁないならないでいいんですが。
それでそのスティーヴン・キングが実子にしてこちらも著名なモダンホラー作家であるジョー・ヒルと共作した『イン・ザ・トールグラス』というアメリカ田舎の変な畑に入ったらなぜか出られなくなってやべぇ死ぬいや死ねればまだいいがなんか超自然パワーで死ぬことすらできなさそうで超やべぇっていう小説があり、これを『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリがNetflix作品として映画化しているわけですが…やー、ずいぶん遠回りしてようやく辿り着きましたよ『ビバリウム』!
そうなのでした『ビバリウム』すごくナタリの映画っぽい感じの寓話的ミニマムシュールSF映画なのでした! 『イン・ザ・トールグラス』は畑に群生してる背の高いなんかの草が生きてるみたいに風に揺れて気持ち悪いという映画でしたが(いやそれだけではないけれども!)『ビバリウム』は学校の先生みたいのやってる主人公イモージェン・プーツが風に揺られる草の動きを情操教育で子供達に教えるというシーンから物語が始まるので狙ってるのかと思っちゃったね。そんな文字数にして数行のことを書くためにこれだけ時間と文字数がかかったのだから郊外通勤というのもきっと大変なのだろう。勢いだけで書いているのでちょっと理屈がわからない感じであるが…。
まとにかくね、俺としてはやっぱりこれヴィンチェンゾ・ナタリがアメリカの新興郊外住宅地のホラーを撮ったらばという感じの映画でした。単純にムードが似てるとかシュルレアリスティックな美術が似てるとか細かいところを削ぎ落としたシナリオが似てるとかっていうだけじゃなくて撮影技法まで似ている。なんかストップモーション・アニメ(風のCGかもしれない)で草が動くショットがあるんですよ。これなんかめちゃくちゃ「ナタリやりそー!」って思ったね。
このロルカン・フィネガンというヴィジュアル派の新人監督がナタリ好き好き大好きなことはたぶん間違いがありません。俺も好きだよナタリ! 一度はあの『ニューロマンサー』の映画化企画の監督として白羽の矢が立ったことさえあったが企画が頓挫したナタリ! 『トレマーズ』のTVシリーズのパイロット版を監督したが放映すらされないままシリーズ化がお蔵入りにされたナタリのことが! かなしくなってしまうことを書くな。
映画好きならこの説明でどんな映画かというのは90%わかるので余計な補足はいらないだろう。もうすでに説明充分すぎるぐらいで、ええ。別にネタバレ厳禁系の映画ではないですけど不思議な設定の映画だからこれ以上内容解説してこれから観る人の楽しみを奪いたくはないね。ま一応? 公式が出してるあらすじの範囲で冒頭の流れだけ書くと? イモージェン・プーツとジェシー・アイゼンバーグのカップルが家探してます。街の不動産屋入りました。そしたら不動産屋めっちゃ怪しいなんだお前!
めっちゃ怪しいけどまだ誰も住んでないように見える新興郊外住宅街の内覧行きましょうよっていうんでついてくとそこは現実感ゼロでしかも一度入ったら謎に外に出られない地獄郊外住宅地。しかも謎に育児を押しつけられてマコーレー・カルキンを糞にした糞ーレーを育てる羽目になります。体質により何もしなくても髪型がぴっちり七三分けになってしまうというかわいいキッズです。あとすごく夫婦の会話とか行動をモノマネしてきて死ぬほどウゼェ。ちなみにラブクラフトみたいな顔のぴっちり七三分け俳優も出てきます。ぴっちり七三分けが地獄郊外住宅地では正義なのです。こわーい!
面白いところ1。まず第一は郊外住宅地ホラーってとこだよね。これがアメリカ国外からの目で撮られてるっていうのがアメリカ産の同種ホラーと違うところ。外から見たらこんな風に映るのかーっていうのがあるわけです。アメリカ産の郊外住宅地ホラーだとお隣さんの素性が知れない問題は結構大きいんですがこれはそれよりも画一化された郊外住宅地に入ってその定型にあらゆる個性や文化を捨てて染まらなければいけないっていう恐怖の方が強い。
主人公のイモージェン・プーツ(ちなみにこの人はリメイク版の『フライトナイト』にも出演している郊外恐怖俳優さんです)は今風の自立した女性という感じなんですが、この定型ハウスでの生活を余儀なくされてからそうした個性を失い単に生物学的な一人の女、あるいは言い方は悪いが夫ともどもメスとオスという身体属性でしか差異化されない没個性の極地に至るわけです。こわいね~。でも多かれ少なかれ「家」に住むとはそんなような家の都合に合わせた人間側の変化を受け入れることなのかもしれません。新興郊外住宅地というのは極端な例ですが他の家がそういう変化を強いないということでは絶対にない。その意味ではいかに文明化されている社会であっても免れ得ない人間社会の根源的な恐怖というべきなのかも。あ、面白いところ2に入っちゃった。これ面白いところ2でお願いします。
面白いところ3はナタリの影響大大大大ぜったい大なビジュアルです。全部ウソなんですこの新興郊外住宅地。雲はわたあめみたいな雲がいつも同じ場所に浮かんでます、家はフラットな見てくれにより実在感ゼロでそのうえ全部同じ形で実在感マイナスです、何者かがいつの間にか箱に入れて運んでくる食料は缶詰ばかりですし食べても味しないのでもう最悪です。これ本物の食料か? まぁ細かいことは考えずに食べるが。食べないと死んじゃうし…うう、人生はかなしい。あと土が粘土みたい。粘土って。俺らお前らの知育玩具かい! お前らが誰だか知らんが! あとぺろ~んには笑ったね。どこがどうぺろ~んてなるのかは観てのおたのしみですがぺろ~んなるんかい! って応援上映をやるとしたらみんなでツッコミたいぺろ~んです(やらない)
はい面白いところ4に来ましたね。これはあれだな昔のSF小説ってなんかちょっと広いじゃないですか、今のSF概念で分類されるSFよりも。奇想が入ってたらとりあえずSFって感じで、ファンタジーっぱかったり寓話的だったり不条理劇っぽいものとかも長編はともかく短編ならSFに入って雑誌とかアンソロジーに載ったりしてますよね。あんま他ジャンルとの境界はっきりしてない。で『ビバリウム』そういう時代の広義のSF短編みたいな趣あったな。そういうたぐいのナチュラルにジャンルオーバーなSFが往々にしてその時代の社会不安を包含しているようにこれも今の不安をやっぱり反映してると思います。
まーフェミニズム的なのは少なからず入ってんじゃない。イモージェン・プーツが非常に魅力的なんですねこの映画は。自立してて飾らないで勇気があって頭もそれなりに良くてしかもけっこう綺麗で(このけっこうというのがいいのだ)一緒になんかするっていうよりは一緒にいると安心できそうなタイプ。んが、その地味に理想的な現代女性像は新興郊外住宅地の魔によってガッタガタにぶっ壊されるわけです。結局フェミニズムって都市の思想なんだよね。人間が常に動き続けている空間で発動するもの。家みたいな人の動かない空間ではあんま効き目がない。でもそういう止まり木がないと人間は生きていけないという悲劇性。これは普遍的なものですね。面白いところ5だなここ。
だいたい、そんな感じ。文章量と情報量のわりには直接のネタバレ要素が少なくてやるもんだねぇと自画自賛。まぁアレです、展開的には思ったよりショボイ。そこらへんミニマリストのナタリ・チルドレンですからそんなもんだと思います。そんなもんをそんなもんとして楽しむ。画面が綺麗だから高級品っぽく見えますけどそれは劇中の住宅地同様にハリボテで中身は駄菓子だと思います。駄菓子SF。こういうの好きなんですよ俺は、結構ね。
※糞ーレー・カルキンのウザさは二度と見たくないレベルだがウザすぎて逆に絶対にもう一度見てしまいたくなるレベルで最高。「ヤムヤム、ヤムヤム」じゃねぇんだよなんだその空々しい棒読みは! でも子供って究極そういうもんだよね! 俺は子供いないんで子供がゼロ感情で言う覚えたての言葉とか怖いんですよ、こいつら本当に人間? みたいな。
【ママー!これ買ってー!】
伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ (ハヤカワ文庫SF)
俺はフィリップ・K・ディックが好きなのでアメリカSF界きっての郊外住宅地SFの名手であるディックの作品とか色々思い出したんですが、ディックはちょっと生活臭とか不倫してみたい臭が強すぎて郊外恐怖の主題から逸れるので、このアンソロジーに収録されているこれ自体は郊外住宅地ものではないですけど後の郊外住宅地恐怖譚に影響を与えたんじゃないかというフレデリック・ポールの『虚影の街』、『ビバリウム』がお気に入った人にはおすすめです(ところで『虚影の街』って『劇場版パトレイバー1』で刑事が帆場の足跡を追ってるシーンで流れるBGMの曲名なんだよ。知ってた? 俺は今知った)