《推定睡眠時間:0分》
緊急事態宣言でシネコン系が閉まっていたので(開いていればおそらくシネコンでもかかっただろう)予告編もポスターも見たことがなくタイトルさえも今週の公開映画一覧を映画サイトで観た時に初めて知ったぐらいで、とにかくどういう映画かまったくわからずどうも主演のアンソニー・ホプキンスがこれでアカデミー男優賞を取ったらしいというざっくり情報のみを手に観に行ったのだが、そうかーこういう映画かー。
たぶん公式サイトとかであらすじを読んでこういう映画だと想像できる人はかなり少ないと思うんでこれをネタバレと言うには微妙な気もするがまぁでも今はセンシティブな映画好きも多いすからね、それになんも知らんで観に行ってエーって思うのは楽しい映画体験だからここは一応ネタバレ注意的な警告を出しておこう。出したからな? いいな? 書くぞ? もうこっから自己責任よ? ストーリー展開はそこまで書かないからオチバレはないけど未見の人がこれ読んだらエーこんな映画だったのー!? っていう驚きは消えるからな? まぁでもそれもそんなに大きな驚きだとは思えないんだが…。
あのね、『ドグラ・マグラ』。この映画、認知症版の『ドグラ・マグラ』でした。軽く認知症が入っちゃって肉体の方はそこそこ元気なんだが日常生活に多少の支障を来し始めた老アンソニー・ホプキンスのもとに長女オリヴィア・コールマンがやってくる。ホプキンスの性格がかなり悪かったせいでヘルパーが泣いて辞めてしまったということで説教タイム。いやあいつは俺の腕時計を盗んだんだよとベタに老人っぽい言い訳を展開するホプキンスだったがいつも置いてる風呂場は確認したのと娘コールマンからカウンター(確認するとちゃんとあった)。
こんなことが一度や二度ではないのかコールマンはだいぶ腹に据えかねるようで喧嘩別れ的に買い物に出て行ってしまいホプキンスもちょっと反省。まぁ、とりあえず紅茶でも飲んで落ち着くか…ここロンドンだし…とそのとき、リビングの方からなにやら物音。そんなもん武器になるのかよと思うがとりあえずフォークを構えてリビングに向かったホプキンスが目にしたのは我が物顔でくつろいでやがる謎の男。いや誰だよお前! ホプキンスも驚いたが男の方も驚いた。え! 誰って…僕ここに住んでるんですけど…。
そんなはずはないのである。この集合住宅の一階層(フラット)はホプキンスの持ち家のはずなのである。しかし男は違うと言うし自分はあなたの長女の夫でここは自分たち夫婦の家だとさえ言う。事態は膠着状態に陥るがそこに長女帰還。おい娘よこの頭のおかしいやつをどうにか…と長女の顔を見たホプキンスびっくり。だ、誰だお前えええええ! なんか漫☆画太郎みたいな印象になってしまったがこれは俺の書き方がバカなだけでそんな映画ではないです。よかった!
まぁだから『ドグラ・マグラ』ですよね。認知症患者の目から見たらこんな風に世界が見えるんじゃなかろうかという発想の映画でほぼフラット内のみで展開するミニマル会話劇(原作は戯曲)、知ってる人が知らない人になって知らない人が知ってる人らしかったりしてとものすごい勢いで現実が崩壊していく。廊下の扉を開ければそこは急に病院になっていたりするし時制も乱れて今いるのはいつだか不明、少し安定したかな? と思ったら同じ時間をループしていたりしてなんやもうわからん。劇中のホプキンスは人の名前と顔が一致率ゼロですが観ているこっちも段々ホプキンスが水木しげるに見えてきてしまうので脳がチャカポコしてしまいます。
映画版『ドグラ・マグラ』を観た人なら認知症的(介助者的?)デジャヴュの嵐ではないかと思うが、中庭の…まぁどこの中庭というとあれなのだが…中庭にでけぇ顔のオブジェが置いてあるシーンが『ファーザー』にはあって、映画版『ドグラ・マグラ』といえば美術・木村威夫による精神病院の中庭に置かれた顔だけ大仏が作品を象徴するビッグインパクトなわけだから、監督兼原作者のフロリアン・ゼレールは結構影響を受けたんじゃないかと思う。
でけぇ顔だけ大仏はリメイク版の『トータル・リコール』にも記憶旅行業者の施術場に場違いも甚だしく置かれていたが、これも『ファーザー』と同じく認知と記憶の混乱に関する物語というのは面白いところかもしれない。『ファーザー』はイギリス/フランス映画だが戯曲原作の現実崩壊ものイギリス映画では『ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談』という話題作も最近あったから、人間の認知というものが最近のイギリス映画のちょっとした主題トレンドなんだろうか。『トータル・リコール』はアメリカの映画ですけど舞台の半分は未来のイギリスだったなそういえば。
基が戯曲とあって破砕した記憶の断片からホプキンスの過去を観客に想像させる緻密な構成もミステリアスかつスリリングで面白いが、蹴っても蹴っても蹴り応えの全然なさそうなビニール袋を蹴り続ける少年とか、メンタル限界な長女がコップを落としてしまって底の割れたコップ本体に床に散らばる陶器片を入れていくが当然破片は底からだだ漏れしてしまい…とかさり気ないメタファーの配置も技ありポイント。度々挿入される無人の室内風景はどこかアジェの風景写真を思わせてシュルレアリスティックな趣で良いし、アンソニー・ホプキンスの役名がアンソニーだったり劇中のアンソニーがホプキンスの過去の出演作『マジック』を匂わせる過去を語るとかメタな仕掛けも楽しかった。
とはいえなんですけどノミネートはしたが受賞するとは思わなかったから肝心のホプキンスは授賞式に行かないで家で寝てたとかいうほっこりエピソードが示すようにぶっちゃけアカデミー賞がどうのっていう感じの映画ではないし、ホプキンスの演技は当然良いですけどホプキンスは自分は正常だと思って劇中ずっと同じキャラを演じているわけだから(最終的には崩壊するが)演技絡みで賞をくれてやるとしたら日に日にぶっ壊れていく父親にどう接したらいいかわからず悩む長女を演じたオリヴィア・コールマンの方なんじゃないかと思うし、男その1のマーク・ゲイティスが見せる面食らい顔は悲劇と喜劇が同居していてサイコーだった。
あと女…クレジットにザ・ウーマンとしか書かれていない人だが…この人オリヴィア・ウィリアムズが美人さんでして最後の方でですねホプキンスがですねこの人とお話をするシーンがあるんですがですねああああああ! 羨ましいいいいいい! いいなああああああその環境おおおおおおお! という感じのシーンで刺さる。ちょっと泣きそうになった。羨ましくて泣くってあるんだって思ったね。羨望を抜きにしても普通に良いシーンなんですけど…でも当然の帰結っていう感じもあるのでそこは巧いけれども戯曲的に整いすぎて逆に面白味を欠いた気がしたな。もったいない。
緊急事態宣言でシネコン系が閉まっていたので(開いていればおそらくシネコンでもかかっただろう)予告編もポスターも見たことがなくタイトルさえも今週の公開映画一覧を映画サイトで観た時に初めて知ったぐらいで、とにかくどういう映画かまったくわからずどうも主演のアンソニー・ホプキンスがこれでアカデミー男優賞を取ったらしいというざっくり情報のみを手に観に行ったのだが、そうかーこういう映画かー。
…あれ、これもう書きましたっけ?
※ところで長女の夫がかなり酷い人に見えるシーンがあるがあの酷行為が本当にあったことなのかどうかはよくわからんというのがこの映画のツイストの効いたところで、長女の夫の酷行為は映画冒頭のシークエンスで語られたホプキンスのヘルパーに対する酷行為をホプキンスのねじれ認知が他者に投影した被害妄想なのかもしれないのである。渋いミステリーである。
【ママー!これ買ってー!】
『ドグラ・マグラ』は一面ではマッド精神科医・正木博士の物語でもあったわけだがレクター博士もそこに参戦ということで頭の中で映像をチャンポンするといい感じに脳汁出ます。
『ドグラ・マグラ』は小説しか読んだことなくて映画版未見だったのでビジュアルイメージ的なところは分からないんですが、言われてみれば確かに『ドグラ・マグラ』っぽさありますね。自己の認識が時空間ごと崩れていってチャカポコしていく感じがまさにって感じです。
ラストもしんみりしつつ、また大きな円環に回帰していくような感じもしつつ、で凄くいいし映画のオチとしてもキレイですね。
松本俊夫の映画版は面白いので未見であれば是非って感じです。『ファーザー』とはかなり手法が似ててっていうか同じなので比べると面白いですし、あとリンチの『ロスト・ハイウェイ』ももしかしたらこの映画の影響かも~?って思えるシーンがあったりして、海外での松本俊夫の評価はよく知らないんですが、色んな映画に影響を与えてるのかもしれません。松本俊夫といえば実験映画のイメージが強いですがこれはちゃんとした劇映画でわかりやすいですしね。