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インターネットのワニいじりネタで一番気が利いていて面白かったのはワニがモルカーに轢かれる絵で実際にワニが事故死した後にモルカー人気が爆発したわけですからこれぞユーモア、風刺の精神。あとはもうね、基本ゴミです。インターネットのワニいじりワニ轢きモルカー以外全部つまらない。新宿バルト9の予約システム(料金後払いで仮押さえと取り消しが可能)を使った座席アスキーアート(「100ワニ」に点が付いて「100ウニ」になってるwというネタ)をさもファンがやったかのようにツイッターで拡散しやがった営業妨害クズとか俺がモルカーだったら漫☆画太郎のラスト1コマに出てくるトラックの勢いで突っ込んでるからね。そもそもモルカーそんなことしないけど!
いやぁまさかね、こんなちゃんとした映画だとは思いませんでしたよ『100日間生きたワニ』。ぼくよくしらないんですけどなんですかこれ原作は電通かなんかが絡んでるんでしたっけ? 電通ね、はいはい知ってますよインターネットで聞くところによればなんか世界征服を企んでテレビとかから洗脳電波を流して残業と称して地下の秘密基地に社員連れてって改造人間にしてる悪の秘密結社でしょう。それは最悪! 電通打倒すべし! 電通の味方なんか全部怪人に違いない! それでインターネットの正義の味方のみなさんが立ち上がって昔はどこのゲームセンターにもあったあれみたいな感じでワニ叩きが始まってこの映画版の劇場公開が近づくとまた再燃したものですからそんなもん期待しようがないじゃないですか、そもそも原作も読んでないし。
でもインターネットの逆風を浴びながら観に行ったら全然よくて何がいいっていわゆる涙のカツアゲ的な感じじゃないのがすごくよかった。これは前半30分が原作ダイジェスト的なワニの在りし日々の回想で後半30分がワニの死後のどうぶつ一味を描く構成ですけど、この構成が結構効いていて、映画はワニの死の直前から始まって100日前に戻るわけです。で死の前日に辿り着くと今度は死から100日後まで一気に時計の針が進んで、後半はそこからのお話。だからワニの死は直接的には描かれないんですよね。葬式の場面とかもなくて100日後だからどうぶつ一味ももう日常に戻ってて、ワニがどうこうみたいな話も別にしない。
でもワニがいなくなったことでワニ以前とは確実に少しだけ物事への態度とか仲間内の関係性が変わっていて、そういう微妙な変化を通してワニの喪失を見せるわけで…いや、だからちゃんとしてるんだってこの映画! 本当に! そこらの邦画メジャー映画なんかより断然人間の死と真摯に向き合ってるぐらいで…。
でそういう形で人間の喪失を見せるためにこの映画は間っていうのをすごい大事にする。なんでもない会話の中の何も言わない時間でそのキャラクターが抱えているものを伝えようとするわけで、これは原作もたぶん間で笑わせるタイプの四コマ漫画だと思うのでその性質をうまく利用した演出だなぁとか思うんですが、それがアニメーションの動きを少なくする動機にもなっているから一種の予算節約術も兼ねる無駄のなさ。
紙芝居とか揶揄する声もあるようですが基本的に引き算の作りなんですよね。映画だからと色んなものを足して別物にするんじゃなくて、あくまで原作のその後に絞って描こうとするからデジタル紙芝居になるし、上映時間も60分程度の短尺になる。もちろんそこには制作上の都合もあるとしても(だってどう見ても潤沢な予算のある映画ではないでしょうこんなの)それがマイナスにはなっていなくて、むしろ潔く紙芝居60分にすることで原作のサイズに合わせた空気を醸成しているのだから地味に技ありだなぁと思う。
後半30分はたぶん映画オリジナルの新どうぶつがワニ亡きどうぶつ一味に絡んでくるんですけどコイツがめちゃくちゃ死ぬほどウゼェっていうのも引き算の応用で、コイツはつまり原作の既に完成された世界観に強引にプラスされた邪魔者として映画内でも映画外でも二重に局外化されてるわけです。とにかくウザイからコイツがネズミと話してる時のネズミの沈黙なんか怖かったね。お前そんな距離感でグイグイ来るとネズミに工具で殴り殺されるぞって感じでドキドキしちゃった。
そこだけ『その男、凶暴につき』の世界が現出していたわけですが、それが引き算から生まれるダイナミズムというもので、新どうぶつは明確に異物だから画面に出てくるだけで笑いや緊張感や予想外のドラマが生まれる。異物を異物としないでその世界に無理に馴染ませようとすると原作の世界は崩れてしまいかねないし世界を再構築するための資力も必要になるわけで、このへんは逆転の発想の勝利って感じです。
監督は『カメラを止めるな!』の上田慎一郎&ふくだみゆきの夫婦コンビですけど低予算映画の名手の面目躍如というか、いやもうだって上田慎一郎とか『カメラを止めるな!』以降の映画マジで全然面白くなかったからね。これはワニを叩いて遊ぶインターネットのアンチの君たちになんとしても言っておきたいが君たちは『イソップの思うツボ』とか『スペシャルアクターズ』とか『カメラを止めるな!リモート大作戦!』を観たんですかと。俺は観ましたよ。観てもう…なんていうか…居たたまれなかったよ! 助けてくれとさえ思ったよ! 頑張って作ってるのはわかってる! 本気でエンターテインメントをやってるのもわかってる! わかってるんだこっちは! わかってるんだがただ面白くないんだよどうすればいいのじゃあこっちはあんた! 頑張ってる人は応援したいけれどもだってどこを応援すればいいかわからないじゃないそんなの!
っていう懊悩が『100日間生きたワニ』でついに消えた! よかった素直におもしろい! 正直に言えばこの家族主義とか地元感は俺の趣味ではないがこの完成度なら褒められる! 勧められる! ワニを叩いて遊ぶインターネットのアンチの君たちにはわからないかもしれないがこっちにはそんな感動ポイントだってあったのだ。たぶんこの映画の場合はふくだみゆき成分の多さが成功に寄与しているので(100日前と100日後の二部構成は上田カラーっぽい)ふくだみゆきありがとう。
一通り感想が終わりましたのでここからは俺が脳内ワニアンチと戦ってひねり出した反論を集めたオマケコーナーです。あのね別にワニが好きなわけじゃねぇんだよワニはどうもいいっちゃどうでもいいけどワニも映画なんだから映画をロクに観ないネットのバカにワニとはいえ映画をコケにされたら腹も立つんだこっちは。俺は『プペル』だって観に行ってるし幸福の科学映画だって毎回観に行ってるしキラキラ映画だって公開されたものに関しては全部観に行ってるんだよ! 楽しいから観に行ってるんじゃなくて映画館で映画がやってるから行ってるの! 幸福映画も観ないやつがワニごときで騒いでんじゃねぇよ!!!
Q.紙芝居じゃんw
A.紙芝居は単にアニメーションの技法の一つであり、話題を呼んだ片渕須直の『この世界の片隅に』は紙芝居とまでは行かなくてもカメラワークなどに頼らず静止画を多く見せる映画であったし、世界的に有名なユーリー・ノルシュテインの切り貼りアニメは動く紙芝居と言える。『少女椿』や『二度と目覚めぬ子守歌』で知られる原田浩の個人アニメはどれも紙芝居だが紙芝居であることで強烈な情念を観る者に叩きつける。アングラアニメ監督にいやなおゆきは紙芝居形式でノスタルジーを表現する。こんなものは氷山の一角の一握りであり紙芝居技法はアートアニメの世界に限らず一般的なアニメでも用いられている。紙芝居を叩き文句だと思っている無知無能のクソは己を恥じてTSUTAYAの世界のアニメコーナーとかに並んでるDVDを片っ端から借りて観るか電車内でウンコ漏らして乗客の視線を浴びろバカ。
Q.60分しかないのに通常料金1900円とかボッタクリじゃんw
A.『映画大好きポンポさん』はランタイム90分だがランタイム181分の『アベンジャーズ/エンドゲーム』と木戸銭は同じ1900円である。なぜ『エンドゲーム』よりも『ポンポさん』とランタイム差が少ないワニがボッタ扱いできるのか論理的に示せ。だいたいレンタルビデオ屋に行けばわかるが前衛映画の金字塔『アンダルシアの犬』はランタイム21分しかない短編だがきっちり一本分の料金である。二本立て三本立て興行を前提としたピンク映画などのジャンルではランタイムが60分程度のものは一般的だが特集上映などがされる際には60分ものでも90分ものでも同料金の一本立てが普通である。また視点を変えるとランタイムは120分程度であっても通常よりも高い特別料金を設定する映画もある。最近では『ホムンクルス』や『閃光のハサウェイ』がそうだが、かつては『ジョーズ』などの正月興行で特別料金を設定することもあり、映画の木戸銭は特別料金の映画が興行的成功を収めることで段階的に上がっていったと斉藤守彦は指摘する。お前らどうせその程度の教養もないバカだから嬉々として見当外れなことが言えるんだろうが己の無知を世間様に晒してるだけだからなウンコを漏らせバカ。
Q.所詮電通でしょw
A.お前らどうせ電通を日本国内のみで活動するショッカー的悪の組織だと思っているだろうがハリウッド映画のエンドロールをよく見ると最後の方に「association with DENTSU」と書いてあることがある。あれ電通が製作配給で関わってる映画だから。『SING』とか『Mr.ノーバディ』とか『ジュラシック・ワールド』とかもそうだから。お前電通案件はクソって言うんならこれ全部クソ認定しろよ? ネットで『Mr.ノーバディ』は電通関わってるからクソとかちゃんと表明しろよ? それでこいつバカじゃねぇかとか思われても逃げるんじゃねぇぞ? そんなバカやってる暇があったら一本でも多く映画を観ろ!
※っていうかそもそも電通案件じゃないみたいです(コメント欄参照のこと)
以上!
【ママー!これ買ってー!】
増補改訂 爬虫類・両生類の飼育環境のつくり方: 生息地の環境からリアルな生態を読み解く
100日間もワニを生かすのは大変なことだ。もしワニを100日間預かることがあってもうろたえないよう勉強しておこう!
イキスギィ!
映画って所詮は客商売だし、多くの人がつまらないと思ったらその時点で成り立ってないのでは?
映画マニア気取ってる人が褒めたぐらいじゃアンチは粉砕できませんよ。
原作読んでいし、見に行こうとも思わないけど。
結局いくら稼げるかが勝負っていうのも一面では確かに映画の真理ですけど、とはいえそれを言ったら「ブレードランナー」や「狩人の夜」みたいな公開時には爆死したけど後から再評価されて映画史上に名を残した作品までダメな映画ということになってしまう。
ワニは「ブレードランナー」でも「狩人の夜」でもないので別に傑作だなんだと言うつもりはないんですけど、ただ映画の価値は興収だけで測れるものではないし、更に言えば原作で測れるものでもマーケティングの上手い下手で測れるものでもない。観に行きたくない人に無理に観てもらおうとは思いませんが、一本の映画はあくまで一本の映画として観てほしいし評価して欲しいんですよ。
大体作者も断ればよかったのに…
あくまで個人的な見解なので実際にはどうかわかりませんけど、売れなくて業界慣れしてない漫画家がなんとなく描いてた日常系ギャグ漫画が予想外にバズって嬉しさ半分困惑半分みたいなところに金にめざとい大人が入ってきて、あれよあれよという間に作者が半ば置いてけぼりのまま話が進んでしまった、みたいなのが真相なんじゃないすかねぇ…。
電通どうこう言われてるけど
エンドロール見ても電通のクレジットなかったわ
本当に電通がいきものがかりのPV以外にかかわってたんですかねえ?
本当に電通が関わってたら原作終了後にいきなり怒涛の商業展開ラッシュやらなかったと思う
(終了後もメディア使って「ワニロス」演出させてからの商業展開とかしてたはず)
確かに電通ならマーケティングのノウハウがあるのでもう少し洗練されたコンテンツ展開をしますよね、良くも悪くも。
お前頭ダイジョブか?wwww
今更のコメント失礼します。
基本的に映画館でやっているなら地雷だろうが踏みに行くタイプです。
100ワニはSNSでバズっている時は興味深いコンテンツだけど面白いとは思っていなかったのですが映画はちゃんと映画になっていましたねぇ。
100ワニの大事な部分はワニくんの死をエンタメとした作品でありつつも「死」そのものの描写は日常の延長にある事だと思っていたのでそこが上手く表現されていて満足でした。
良くできてるんですよね、過度な感傷に陥ることなく淡々と人生の中で誰もが遭遇する死を描いてて、でも行間からは静かな悲しみと喪失感が滲むっていう。マーケティング戦略でだいぶ損をした作品だと思います。