《推定睡眠時間:断続的に30分》
併映の短編アニメの話。今回はセルライクのどうぶつアニメで台詞なし、アライグマの親子が浜辺にエサを取りにやってくるが親アライグマがエサを採ってる隙に大人しくしてろっつってんのに子アライグマはあっち行ったりこっち行ったりして親アライグマがついにブチキレてしまい…という物語。セルライクでどうぶつネタでしょ。鉄板だよね。泣ける。ディズニーアニメの原点回帰を狙ったところもあってそこもグッときます。
それで、ディズニーの原点回帰的などうぶつアニメだからこれは啓蒙的な訓話なんですけど、その教訓というのがすごい今の時代を感じるもので、昔だったらヤンチャな子供が反省して大人しくなったり怒ってばかりの親が怒りすぎに反省して子供を抱きしめたりとか、そういうのディズニーアニメっぽい教訓だと思うんですけど、ネタバレっぽくなるがまぁいいかどうせ短編だし…なんかこれはそういう「情」に訴えかけるものじゃなかった。親アライグマが子アライグマに危険な捕食動物の姿を見せて、外で遊んでるとああいうやつに食われちゃうからエサ採ってる間はこの中で大人しくしてなさいねっていう、怒鳴ったりするんじゃなくてそういう風に理由をちゃんと教えて子アライグマに理解してもらってめでたしめでたしってなる。
今の主流なのかどうかは知らないけど少なくともリベラル派がこっちのが平和でいいよねって推す教育理論ってこれですよね。子供に恭順よりも理解を求める。そのために叱るんじゃなくて教える。この短編の裏テーマとしては虐待の連鎖の断ち切りっていうのもあって(※2世代に渡るお話)、シンプルな短編ですけどその含意は深い。良い短編なんですけど、でもちょっと考えてしまったよな。そりゃ「これはこういう理由でやっちゃいけないんだよ」って教えて素直にそれに従うことのできる子供はいいけどさ、子供っつっても色々だからそれが性格的にであったり発達度合いであったりで無理な子供って絶対いるわけじゃないですか。頭ではわかってるっていうか知識としては「これはこういう理由でダメ」っていうのがあっても我慢できずに身体が動いちゃう子供の方がどちらかといえば頭で行動を制御できる子供よりも多いと思うんですよねむしろ。あくまでイメージですけど。
これはどちらかと言えば親に向けられた物語だろうから子供がやっちゃダメなことをしたら基本は叱りつけるんじゃなくてその理由を教えるっていう態度を親に学んでもらうのは有益なことだと思いますけど、なんかね、逆に子供は可哀相だなって思ったよ。だって自分が叱られる理由をちゃんと理解して理解した後はその言いつけをずっと守るって一般的な子供にとってはかなり高度なことで、それだったら別に怒鳴るとか殴るとかはしないでいいと思いますけど「理由はともかくなにがなんでもこれはやったらダメ!」って雑に教わって雑に守ってた方が子供視点で見れば楽ってところもあると思うんですよね。
もちろん理由もちゃんと説明した方がいいでしょうけど、理由→禁止っていう因果関係の理解を子供に求めるのはそれはそれで親のエゴで、エゴっていうか理想で、禁止→理由っていう逆の順序の方が実際の育児では多いんじゃないかとも思って。なんかだから、虐待の連鎖の断ち切りっていうテーマも含むわけですから人間を解放する物語ではあるんですけど、でもその一方で、その解放はある程度能力のある親や子供だけが可能なことで、そうじゃないレベルの親や子供にとっては「そんなこともできない」っていう劣等感とか罪悪感を負わせて束縛になるような、追い詰めてしまうような、そういう両義性のある短編だったなーっていう…でこれは、本編の『ミラベルと魔法だらけの家』にもちょっと通じる話だと思ったので、ここから本編の感想文です。ようやく。
原題は『ENCANTO』ですがこれだとあまりにも味気ないので邦題は『ミラベルと魔法だらけの家』。いいね。この「魔法だらけ」っていうのが良いですよ。「だらけ」だもんね。もうそこらじゅうにあるわけでしょ魔法、だらけってぐらいだから。実際に魔法だらけでこの主人公ミラベルさんの家族はみんな魔法が使えますし家もお願いすれば床とか階段とかが自在に動いてくれる『アダムス・ファミリー』感、うわぁいたぁのしぃ! ところが。映画の力点は「魔法だらけ」ではなく「の家」の方にあるのであった。びっくりですよ全然こいつら家から出ねぇ出ても近所の村から出ねぇマジかよ!
というのも主人公ミラベルさんはみんな色んな魔法…っていうか超怪力とか辺り一面を花で埋め尽くすだけとかが入ってるから魔法というより特殊能力という感じだが、みんな何らかの特殊能力を持った家の中で例外的になぜか特殊能力が発現しなかった人。つまり凡人。そしてディズニーリベラルアニメの最高峰『ズートピア』の監督や脚本家が作り上げたこの映画は凡人に寄り添ってその半径五メートルの世界のみを舞台としつつ凡人が特殊能力一家の中で感じるプレッシャーと家族関係を主題にした超ミニマム映画だったのだ。
特殊能力なんかなくたっていいじゃない、凡人だってあなたはずっと大切な人。そうだねぇそれはまぁそうだねぇと私も凡人ですからゼロ異議で首肯するところではありますがうーんでもうーん、凡人としては、むしろ凡人だからこそ映画の中ではフェンタジィな遠い世界や煌びやかな魔法の数々や凡人には一生かかっても出来ないスーパーな大冒険と大活躍が観たかったのですが…だってこれディズニー映画だしさ…凡人の悩みとか家族関係とかそういうのが観たかったらインディペンデント系の邦画とかそういうのを観に行くし…その意味ではかなりのディズニー的実験作だし、その意義を否定するわけではないのですが。
確かにこれは実験作だろう。登場人物がほぼ全員ラテン系でしかもミュージカル。ラテン文化を大々的にフィーチャーしおそらく2010年のハイチ大地震のイメージを取り入れて災害復興的な展開になるあたり、ディズニーアニメとして異色である…ただ被ってる、ニューヨークのラテン系コミュニティを舞台にして絶賛されたブロードウェイミュージカルの映画化『イン・ザ・ハイツ』とかなりの部分被ってるしテーマ曲を担当したのは『イン・ザ・ハイツ』のリン=マヌエル・ミランダだ…っておい!
そうなるとせっかくの実験作もちょっと魅力が落ちるよ。だって先に『イン・ザ・ハイツ』観ちゃってるし。ミュージカルシーンの演出もなんとなく似たところがあったし。『イン・ザ・ハイツ』はラテン系コミュニティの群像劇でしたけどこっちはほとんど家の中と周辺だけで話が進むからイン・ザ・ハウスって感じで広がりも盛り上がりも欠くし。それでなんかこれこそリベラルな多様性の世界でございますみたいなことをやられてもさぁ…2時間弱の教育ビデオみたいに見えてしまうよなー。『イン・ザ・ハイツ』を観てなかったらまた印象違ったかもしれないけれども。でも他の作品を観たか観てないかで面白さが左右されるということはこの映画が一個の映画作品として弱いというだろう。
まぁでも絵は華やかでキレイですし登場人物もお茶目な人ばかりですしミュージカルナンバーも別に悪いわけではないですからいいんじゃないですか。楽しみましたよ併映アニメ含めて。でも凡人エンパワメントのリベラル的使命を上から目線で前に出しすぎてだいぶ映画として想像力に乏しい窮屈なものになってしまったと思うな俺は。それはちょっと凡人を舐めてますよ。凡人はディズニー映画でも凡人の世界が観たいんでしょってそんなわけあるか。まぁそういう人もいないことはないでしょうが…そんなレベルの高い凡人じゃないんだよこっちは!
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『ズートピア』はシナリオも舞台設定もキャラクターもユーモアもアクションも最高レベルに最高だったのになんで同じ監督脚本で『ズートピア』にあった面白要素の全てが存在しないこんな淡泊な日常系映画みたいのが出てくるんだよ。