《推定睡眠時間:0分》
こういう構成の映画をなんと呼ぶのか知らないので複数の独立したスケッチ(コント)をオムニバス的に繋げていくコメディということでスケッチ・コメディとでも呼んでおくがスケッチ・コメディってもう感想とかないですよね基本的に、面白かったかつまんなかったかぐらいで。作り手のセンスと自分のセンスが合うか合わないかが全てで。
それでもそのスケッチの内容によってはあーだこーだと語れることもあってそれはたとえばイスラエル在住のパレスチナ人監督エリア・スレイマンのスケッチ・コメディとかがそうですけど、そこにはスレイマンの目から見たイスラエルないしパレスチナが戯画的に反映されてるんでそっから映画の背景にあるものに思いを馳せることができる。それは作家の思想がそうさせているということではなくて作家のコントロールの及ばない現実を作家がなんとか捉えようとしているということなんだと思う。不完全さがない映画は取りつく島がない。これは完璧なB級映画の感想が「面白かった!」以外に何も出てこないのと同じことなのかもしれない。
良くも悪くもウェス・アンダーソンのスケッチ・コメディは完璧すぎるなぁと思う。たぶん『ライフ・アクアティック』ぐらいからだと思いますけど全てを自分がコントロールできる箱庭世界に閉じこもってしまって、コントロールできない現実との摩擦が否応なしに画面に刻み込まれていたように見える初期の『アンソニーのハッピーモーテル』や『天才マックスの世界』『ザ・ロイヤル・テネンバウムス』にあったユーモアとペーソスの絶妙なバランスは失われてしまった。ウェス・アンダーソンの映画は構図から美術から演出から何から何までどんどん完璧になっていって俺に言わせればどんどんつまらなくなる。その最新型の『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』はタイトルからしてスベっているが(俺に言わせれば!)「それスベってますよ」ってツッコむ人がもう周りにいないのか、いても聞いてもらえないんだろう。
初期作はともかくウェス・アンダーソンの箱庭映画とはセンスの合わない俺としてはとくにこの映画に言うことも思うこともないのだが一つだけあるとすればそれはウェス・アンダーソンのハードボイルド憧憬とかエリート信仰とか創造者無罪がゼロツッコミ純度100%でミックスされてるのでなんか結構キツイわこれっていうことで、そういうのってそれを通して作り手の熱意なり狂気なり祈りなり悲嘆なりが伝わってくればああこの人にはハードボイルド憧憬とかエリート信仰とか創造者無罪を映画で描かなければいけない何かがあるんだなって感じで賛同できるかどうかはともかく頷くことはできるんですけど、そういうのってウェス・アンダーソン出して来ないじゃないですか。一応最後の方にちょっとだけそれっぽい台詞がありますけどそれも現実との接点を欠いた箱庭世界の台詞だから真実味がなくて。
だから、どうかなーって感じだったよ。ハードボイルド×エリート×創造者のアメリカ思想セットに裏打ちされた芸術観とか女性観とか恋愛観とかひたすら薄っぺらいし。女キャラの描けなさはウェス・アンダーソン映画の昔からの特徴ではあるが開き直ったのか今回とかとくにヒドいぞ。それになんなんだよベニチオ・デル・トロの描くあの力のない絵は。興味ないだろあれ絵に。よくわからん絵が売れるアート市場を皮肉ってるのはわかるがそんな安直な皮肉そこらのYouTuberでも言えるんだからもうちょっと捻れや。
活人画もあちこちに配してさながら動く雑誌の体裁を取っているけれどもそのくせ雑誌らしさとか雑誌記事らしさもなく各エピソードの語り部になる雑誌記者は講演とかインタビュー番組で自分の取材したエピソードを話す…ってじゃあ動く雑誌の体裁いらねぇじゃねぇか。雑誌文化にも本当は興味ない疑惑も出るぞ。なんとなくオシャレっぽいからみたいな理由でそうしてるだけでみたいな。『タンタンの冒険』みたいなアニメパートとかもそうなんじゃないの? …なんかどんどんダメな映画に思えてきたよ!
でもセンスの合う人には紙幅いや違う至福の二時間弱になるのではないでしょうか。俺も序盤の方は結構好きでしたよジャック・タチとかジャン・ヴィゴの世界っぽいし猫とか沢山出るし。画面を二分割して町の今昔を比較するところとか面白かった。そっから先はうーんだな。うーん…そっから先って序盤15分ぐらいから先ってことですからね。残ってるなぁうーんな時間!
かつてのウェス・アンダーソン映画は天才になれない自称天才の自意識と現実のズレが面白かったのだが仮にそれがウェス・アンダーソン本人の屈折から生じたものであったとすればこの人は今や箱庭世界の神さまなのだから屈折することもなくしたがって映画にも自意識と現実のズレがほどほどに深刻な、だからこそユーモラスなものとして表れることがないのも当然なのかもしれない。
俺の目にはウェス・アンダーソンの箱庭世界は素朴でキュートだとしても二流三流の日曜アーティストのレベルに思えるし、作家本人がそうと自覚した上で戦略的に作っているとか、二流三流の価値もないと思ってあくまで趣味として作っているなら面白味もあるが、やたらハイソを志向するところを見るにどうも本気でウェス・アンダーソンは自分を天才アーティストだと思っているようなフシがあり、少しだけ痛々しくもある。誰かツッコんでやってくださいよ。絶対そうしてやった方がウェス・アンダーソンの映画面白くなるって…。
【ママー!これ買ってー!】
でもこれとかは面白いんだよ。まだウェス・アンダーソンが箱庭にギリで逃げ込んでないぐらいの時期のやつ。頭は箱庭に入ってるけどケツは箱庭から出ちゃってる的な。
全体的に薄っすらまあまあ面白いかな?という話が続いた感じでした
オシャレ映画への耐性が薄いので小癪やなあと常時思ってしまいましたが…
あと、黒人ライターのゲイ設定、いる?
ゲイ設定というかあのエピソードは雑誌の存在意義を説明するためのものだと思います。どんな人でも自分の意見を書ける小さな多様性の理想郷としての雑誌。俺がダメだなぁと思ったのはその理想郷のパーツとしてマイノリティを使ってるところで、心地よい箱庭理想郷を作る目的にリアルな人間を従属させたらいかんだろうっていうところです。本末転倒じゃんっていう。