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エル・ファニングが認知症の父親ハビエル・バルデムを引きずってニューヨークをあっちゃ行ったりこっちゃ行ったりする一日を描いた映画ですけどこのハビエル・バルデムはかなり認知症が進行してるんで歯医者に連れてっても嫌がって治療ができないし眼医者に連れてってもなかなか満足に検査ができないし途中で小便でよかったが漏らしちゃったりもするので介護する方は結構大変、ところがところがエル・ファニングときたら天使であったのでハビエル・バルデムがイヤイヤをすればほらほら口をイーってやると面白いねあははと幼児を相手にするようにあやし小便を垂らせばズボン替えなきゃキモチワルイねーズボン脱ごうねーほーらこうだよーお姉さんも一緒に脱ぐから真似して脱ごうねー…これが男性監督の作だったら女にケアを押しつけ美化するオッサンの醜悪願望だとして怒る観客もいたんじゃないかと思うので女性監督サリー・ポッターの作でよかったと心から思います。ありがとうエル・ファニングとサリー・ポッター。
さて認知症の映画といえば最近ではやはりアンソニー・ホプキンスがオスカーをもらった『ファーザー』です。あれは認知症患者ホプキンスの視点で進行する現実と妄想の混濁のこわさ(とホプキンスに振り回される娘の心労)が描かれた映画でしたけどこちら『選ばなかったみち』も様相の異なる三つの世界が入り乱れるあたりちょっと『ファーザー』と似た趣向、違いを挙げれば『ファーザー』よりも明確に娘目線が入ってくるところだろうか。記憶と願望の作り出した妄想世界を旅するハビエル・バルデムの視界にはまぁ小便漏らしても自分で気付かないぐらいの病気進行度だから娘のエル・ファニングなど入ってこない。その残酷な現実がエル・ファニングの側から執拗に描かれてなんとも痛ましい。
「選ばなかったみち」というのはこの国(アメリカ)に来ないでメキシコに残ってればよかったなぁとか作家としてもっと成功してたらなぁとかいうハビエル・バルデムのたらればのことでもあるが、エル・ファニングが歩む現実のことも指しているように思える。なにも好きで認知症になったわけじゃないので選ばなかったというか選べなかったという感じだが、ともあれ妄想ロードを爆走する父を現実ロードで引き留める娘の図。同じ道を歩むこともできたかもしれないのに今はもうできない。二人がそれぞれ違う道に進んでしまって後戻りできないことを示すラストは悲劇的であるよりはシニカルで、このへんサリー・ポッター本人のリアルな介護経験なんかが反映されてるんじゃないかという気がする。現実こんなもんですよ、みたいな。ウェットな父娘ドラマと思わせといてのドライさにシビれる。
まーしかしなんつってもこの映画はエル・ファニングとハビエル・バルデムに尽きますね。サルマ・ハエックとかも気っ風の良いラティーナの役で出てきてハマってるんですけど役柄としては小さなもので、そんなことよりこのエル・ファニングの献身っぷりですよ! 理想の孫ナンバーワン間違いなしのたまらなさでしょこれは。でも大変なんだよハビエル・バルデムの前では保育園の先生みたいに振る舞ってますけど仕事ではビッグなプロジェクトを抱えてるから本当は歯医者とか眼医者とか連れてってる場合じゃない。介護ホーム入れちゃえばいいじゃんそれぐらいの金はありそうだしと思わなくもないが今ほど症状が進行してない頃にどうもハビエル・バルデムはエル・ファニングとの同居も介護ホームの入居も拒んで線路沿いのアパートに居を定めたらしい。だからエル・ファニングはその意志を尊重してるんだな。うう…なんて立派なやさしい…でもこっちも人間だからやさしさにも限度があるんだよっていうところを疲れ切って色を失った笑顔から滲ませるあたり上手いなぁと思いましたね。
でハビエル・バルデム! いやぁこれはもう見事にメンタル幼児の老人に成り切って。老人ってほど身体が老けてないから若年性認知症なんでしょうけどその演技でものすごい老人感を醸し出すんですよ、別に特殊メイクとかしてるわけじゃないのに。面白いのがこの認知症芝居って一応現実に当たるニューヨークのパートだけじゃなくてハビエル・バルデムが妄想するところのメキシコ暮らしパートと作家として大成して地中海あたりでおねーちゃんのケツを追いかけながらバカンスしてるパート(なんだその都合の良いパートは!)にも入ってて、妄想世界のハビエル・バルデムは認知症ではないんですけど自分でもどうしてそんなことをやっているのかよくわからない行動を取っちゃう、それで妄想の中でもハビエル・バルデムどうしていいかわからなくて途方に暮れちゃうんですよね。この非認知症と認知症の狭間の表現は絶妙だったな~。見てるこっちも不安になっちゃう。
妄想世界パートが云々と書いたが実は完全に今更なのだがこの映画途中までどのパートが現実なのか判然としない作りになっている。それが徐々にニューヨークの現実世界が妄想世界に浸透してヒビを入れるという形で現実と妄想の境が明確になってきて、それは言い換えれば現実世界に生きるエル・ファニングの眼差しの中にハビエル・バルデムの自由な妄想世界が回収され否定される過程ということになる。こういうの綺麗事にならない介護のリアルな側面だよね。果たしてどっちが幸せなのかなどと選択する余裕なんか介護者にも被介護者にもない。ファンタジックでウェットでノスタルジックで…でもドライでリアルで観客を突き放す、意外性のある面白い映画だった。
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というわけで認知症版『ドグラ・マグラ』こと『ファーザー』です(そう言ってるのは俺だけだが)