《推定睡眠時間:15分》
とても心霊系ホラー映画のタイトルとは思えないタイトルだがこれはいったいなんじゃろなと考えれば浮かび上がるのは監督・高橋洋のフィルモグラフィーに横たわるミソジニー(女性嫌悪)で、たとえば高橋洋が脚本を担当した黒沢清の初期の傑作『蛇の道』や『復讐 運命の訪問者』では男どもを裏で操り殺し合いをさせる魔女としての女というものが描かれていたし、高橋洋の脚本代表作のひとつに数えられる『インフェルノ 蹂躙』では理由もなく女が残酷な目に遭う、近年の話題作『呪怨 呪いの家』では女が女というだけで被る受難と女の発する恐怖が表裏一体のものとして提示され、脚本家としての高橋洋の名を一躍知らしめた『リング』も、原作ありきとはいえどこまでも拡散し決して消えることのない女の恨みの怖さを描いたミソジニーの映画なのであった。
高橋洋が繰り返し描き続けるミソジニーはおそらく高橋洋が影響を公言する英国幻想怪奇小説の巨人アーサー・マッケンに由来する。異界と交信し異形に欲望される女はマッケンの定番モチーフ。女は神秘であると同時に穢れている、と見るのがマッケンの世界観で、高橋洋がマッケンにどれほど影響を受けたかはマッケンの代表作『パンの大神』に出てくる女の脳手術によるこの世とあの世の接続というアイディアをほとんどそのまま監督・脚本作『恐怖』(このタイトル自体マッケンの『恐怖』からの引用で、後にはやはりマッケン作品『夢の丘』のタイトルを引用した短編を高橋洋は撮っている)に使っていることからも、あるいは高校時代だかに撮った自主映画『穴』が、これはアイディア自体は星新一の『おーい、でてこーい』の剽窃だが、森に穿たれたこの世とどこかを繋ぐ穴というマッケン作品によく見られるモチーフを引いていることからだってわかる。ちなみにこの森の穴は『ザ・ミソジニー』にもしっかり登場する。
というわけで高橋洋はアーサー・マッケン主義者であり、従ってミソジニーがその作品群を貫くわけですが、それはなんだかあんまりじゃないかなぁという思いが近年のフェミニズム・ムーブメントの中で本人的にもあったのか、タイトルにもなっているくらいだしここではミソジニーを無自覚的に反復するのではなく、ミソジニーとは何か、なぜ、どのように生じるのか、そこからの脱出は可能か…ということをあれこれ考えているようで、その思考過程が刻まれた映画が『ザ・ミソジニー』といえる。
一見よくわからんタイトルですがこう書けば結構納得でしょ? いや俺もなんだこれはと思っていろいろ考えたんだよまったく…。
タイトルの謎が解けたところで映画の感想に入りたいところですがショック! ラスト15分ぐらい寝てる! いや違うんだって眠くなる映画なんだって、ほら普通の映画はひとつの物語の筋があってそれに沿って映画が進み起承転結で終わってくれるじゃないですか。だけど高橋洋のとくに最近の映画って短編も含めてそういう作りになってない。いくつものテクスト(物語)が折り重なっていてそのテクストの層の境界が映画の進行と共に溶けていく…だから起承転結もないしこれっていう明瞭な筋もない、掴み所のない夢みたいな作りになってるんですよね。だから眠くなる。これは俺にはかなり怖い映画でしたけど悪夢だって夢は夢だからやっぱ眠くはなるんだよ。
でその寝てたラスト15分にどんなことがあったのかなって思ったら舞台挨拶で主演の中原翔子と河野知美(兼・企画と製作総指揮)が「途中までは霊的ムード高めでいくのに最後は高橋監督らしくはっちゃけて…」とか「そんなアクションどうやったらいいのか困っていたら監督が香港映画みたいにやってくださいと…」とか言ってて、なんかかなりカオスになってたっぽいです。いや中盤までのガチホラーの流れから全然そんなの想像できないんですが…これは本公開の時にもう一回観て確認するしかない。
とまぁ枝葉のことはいいとして、『ザ・ミソジニー』、いやぁ怖い映画でしたよ! こんなに本気で観客を怖がらせに来てるJホラーとか久しぶりなんじゃないですかね。劇伴も音響も美術も演技もロケーションも映像の質感も全部こわい! だってタイトルバックがもうイヤだもん。画質の粗い手ぶれしまくりのDVで森を撮ってるんですけど木々の間に何かが見える「ような気がする」んですよ! このね「ような気がする」っていうのがすごく気持ち悪くていいんですよね。実際にそこにおそろしい存在がいるかいないかではなくて、仮に錯覚だとしてもそこにおそろしい存在を見てしまう人間の脳のおそろしさ。それを高橋洋はとくに『霊的ボリシェヴィキ』などの近年の実験的な作品群で追求してて、ここではそれがシナリオ面でも映像面でも見事に結実してる。だからたとえば服がすごく怖かったりする。服。暗い部屋の窓際に赤いドレスがかかっていて、その赤が暗闇の中で禍々しく浮かび上がる…それは単なる服のはずなのに、まるで幽霊のように見えてしまう。これは怖いですよ、むしろ幽霊が直接出てくるよりも。
俳優陣の演技も素晴らしく高橋洋映画の常連でもある中原翔子の魔女的貫禄には「うっ!」となるし、リモート制作された高橋洋の実験短編『彼方より』にも出演した河野知美の様々な表情が不安定に入れ替わる芝居には不覚にも動揺させられてしまった。余談ながらこの人は堤幸彦が監督したコロナ禍制作系映画の『truth ~姦しき弔いの果て~』でも出演に加えて他2人の出演者と共に共同プロデューサーとして名を連ねており、コロナ禍の日本映画界で数少ないフレッシュな話題を振りまいた今度の動向も要注目な俳優さんです。
書けることはまだほかにもあるが、俺が観たのは先行上映。本公開は9月からということなのでひとまずこれくらいにしておきます。これだけ絶賛に近い書きっぷりだとなにやら嘘くささと宣伝臭が出てしまうが…でもこれは本当に最近のJホラーとしては珍しくストレートに怖い映画、心がざわつく映画だったので、かなりよかったです。
【ママー!これ買ってー!】
高橋洋作品のサブテキストとして外せないマッケン選集。マッケンに惚れ込んで日本に紹介した英文学者・翻訳者の平井呈一による訳文はさすがに古いが、かえって妖しい魅力があってよい。