【オールナイト】『ゴアフェス Vol.3 from HELL』行ってきた感想文

初回のワールド・インディペンデント・ゴア・ホラー映画祭から早二年、いやはや光陰矢の如し、昨年よりゴアフェスと改題されたこのオールナイト低予算血まみれ内臓まみれ死体まみれ映画上映会もあっさり三回忌を迎えました。思えば初回は新型コロナで世界に暗雲が立ちこめ映画なんかは公開中止や延期が相次いだ年。それに比べればワクチンや治療薬の開発で多少は世の中が明るくなり…と思ったのも束の間今度はロシアがウクライナに侵攻し東西冷戦再びというまったく予期せぬ別方向から暗雲が立ちこめてしまった。ああ、浮世はままならぬ。ままならないなら…もう狂って観るしかないな、ゴア映画を!

ということで今年も行ってきたので上映作4本の感想ドン。ちなみに毎回かなりある意味で豪華なゲスト陣によるトークショーの付くこの上映会、今年は上映作『ラバーズ・ラヴァー』監督の福居ショウジンと主演の川瀬陽太が参戦しお祭り騒ぎ感がいつもの倍、飲み屋感もいつもの倍。街全体に飲み屋感が漂っている下北沢や東中野の映画館はそれが嫌で行かないほどの俺なのでう~嫌だな~映画だけ観たいんですよ~と思いながらチケットを取ったので無意識の働きか電車を乗り間違えトークショーは途中からとなったが、まぁまぁ面白い話が聞けたので食わず嫌いはよくないなとか思ったりしたのだった(とはいっても新作映画でトークショーあり上映回となしの上映回があれば迷わずトークショーなし回を選ぶ程度にはやはり俺はトークショーを映画館に求めてない)

『ラバーズ・ラヴァー』(1996)

『鉄男Ⅱ BODY HAMMER』と似た感じのガジェットっていうか装置? まぁどっちでも同じか。っていうのが出てきたからどっちが先だろうと検索すると『鉄男Ⅱ』の方は1992年で俺が思ったより早かった。色々影響は受けているのだろうけど何度も組み立てて壊してを繰り返しながら作っていくので具体的な着想源とかはよくわからないみたいなことを福居ショウジンがトークショーで言っていたので『鉄男Ⅱ』というか塚本晋也的なものは無意識にすり込まれていたんだろう。そういえば超能力開発を巡るストーリーもなんとなく似た感じだ(あと石井岳龍の『アジアの逆襲』とも似ているがこちらは1983年の作、1988年の『AKIRA』よりも早かった)

言おうと思えばそんなもの無数にあるのだがあえて塚本晋也との違いを一点挙げるとすれば塚本晋也は比較的早くから自己の内宇宙より社会の方へと視点を転じたのに対し、福居ショウジンはこの映画およびその後のフィルモグラフィーを見る限りではあくまでも内宇宙を覗き続けそこから湧き出すビジョンを画面に焼き付けることに固執しているように見える。だからこの映画では90年代アングラアート的な、したがってぶっちゃけ今観れば古くさく映る見た目の奇抜さや過激さよりも、その本質的(かもしれない)な詩情の方が印象に残った。スモーク表現の美しさ、風の表現の力強さ、怒りや恐怖などのプリミティヴな感情の発露の迫真性。この人は詩人なのだろうな、と思う。

『ネイルズ』(2003)

先日亡くなったアルバート・ピュンの代表作『ネメシス』っぽい感じの殺し屋が2003年という時代を考慮してもいささかチープかつダサすぎやしないか大丈夫かというかっこいいだろエフェクト付きで要人を暗殺する冒頭にそもそも『ネメシス』なんかにオマージュを捧げてる(かもしれない)時点で不安が募るもこの設定というかプロローグはとくに本筋とは関係なく以降は手持ちの編集ソフトを超フル活用したあの手この手のバッドトリップ映像のつるべ打ち、ぼんやりとした現実への不安からか頭に釘を打ち込んだ殺し屋がぶっ壊れるまで幻覚を見続け脳を釘で破壊するだけの映画という潔さでおもしろかった。

まぁこんな映画になにか社会を見出すのも野暮という気もするが考えてみれば2003年ってソ連が崩壊して10年ちょっとしか経ってない。冒頭で殺し屋がターゲットにしているのは大統領と蜜月の関係にあるらしい謎の男だがこの当時といえば第一次プーチン政権、新しい国家と新しい社会と新しい政治体制およびエリツィンに変わる新しいリーダーの下で混迷するロシア人の心情がここには反映されている…とまでは言いたくないしぶっちゃけあんま思ってもいないが、今のロシアならこんな映画は撮れないとまでは言わずとも撮りにくくはあるだろうね反社会的かつ反政府味もあるしというわけで、時代を経ていくぶんか風味を増した映画と言えるかもしれない。

『ザ・テイント 肉棒のしたたり』(2011)

ろくでもない理由で汚染(テイント)された水を飲んだ男たちがウガーと近くにある岩とか置物とかを持ち上げてチンチン垂れ流しのまま女をぶっ殺しにかかるストーリーでこのゾンビ男たちのエンドロール表記はゾンビや感染者ではなく「ミソジニスト」。てっきり今のアメリカ社会を風刺した最近の映画かと思ったら10年も前の作だった。いやはやホラー映画は時代の先端を映し出す鏡、炭鉱のカナリヤですな。

というわけで最近の映画でいえば『哭悲』と設定に類似点がないとも言えないこの映画なのだが『哭悲』とは違って基本バカ。主人公が年中無気力で常時口半開きのくせに性欲だけは一人前(そしてモテる)の半ズボンのアホというのがまず最高、ミソジニストの一人一人も実に良い面構えをしており大スクリーンで見るアホ面マヌケ面野蛮面はやはり眼福だし、出てくる男どもがいちいち原人脳な言動しかしないのも良い。こういう企画でやっている映画ではあるがゴア描写は控えめでどちらかと言えばホラーというより脱力系の楽しいコメディ、主人公とヒーロー女のオフビートな(というか一方的に主人公が抜けている)やりとりや戦隊もののノリで登場するおっさんレイパーズには笑わされます。

でも主人公が自分も持っているかもしれない男の暴力性に懊悩したまま何の解決策も提示されずにブツッと終わってしまうラストは意外とシリアス。こんな映画で感心したくないのだが不覚にもその知的誠実さには感心してしまった。ほら最近いるじゃないですか、女は男よりもか弱いのだから男たちは自制しなければいけませんねやめようハラスメント、男性優位主義! みたいなことを恥ずかしげもなくのたまうバカな男どもが。そいつらときたら呆れたもんで私は女性の味方ですと言えばそれが男の暴力の免罪符にでもなると思ってるんだな。で自分は「有害な男らしさ」から解放されるのだと。舐めたこと抜かすんじゃないよそんなんで済むのだったらとっくに犯罪率の男女比は5:5になってるわ。実際はこれまでずっと世界中のおそらくすべての国で男の方が女の何倍も犯罪率が高いんである。

この映画はそうした不都合な事実から決して目を逸らそうとしない。どう女に言い訳をしても理解を示してもあるいは共闘をしたところで男は男に生まれたというだけで男の暴力性から一生解放されないのではないかという恐怖がオフビートな笑いの下にべったりと張り付いている。その視点からしてもこの映画はフェミニストの映画ではまったくない。しかしすぐれてフェミニズムの映画ではあるのだ。

『新ゾンビ』(1998)

ジャーマン・ゴア御三家の一人オラフ・イッテンバッハ(他はアンドレアス・シュナースとユルグ・ブットゲライト)の現時点での最高傑作と言ってもいいんじゃないだろうか。はっきり言って面白いか面白くないかで言えば面白くない寄りの映画なのだが、低予算を感じさせな…いや感じさせるけれども、しょせんこれは低予算映画ですからねへへへと最近のインディペンデント系ゾンビ映画みたいな開き直りはしないで、たとえ低予算でも必死でそれを観客の目から隠そうとする、実際に隠せているかどうかはともかく予算の多寡などお客の知ったことではないのだから俺たちはただ精一杯映画のウソを作り上げるだけだというゴア職人の気概が感動的である。

なにせなんとかというルシファーよりも実は古いのだという大堕天使が歴史の折々に現れては人類を嘲笑い災いを振りまき破滅に追いやるといういささかクトゥルーめいたというかそれはわりとそのままニャルラトホテプなのではと思わなくもない壮大なストーリーをこの見るからに金のない予算規模にも関わらずそのままちゃんと映像化しているのだ。確かにスターリングラードはスターリングラードに見えないかもしれない。その後に出てくるペスト流行中の村というか森と時代も場所も違うはずなのにロケ地がまったく同じに見えるかもしれない。家が燃えるシーンはただ模型の家を燃やしてるだけかもしれない。エンドクレジットに表示されるボディカウントによれば132体とかゾンビを含めて人が死んでるらしいがこれは多少盛ってるかもしれない。途中まで主人公はイッテンバッハ演じる睾丸の裂けた青年(まずこれがなんなんだかよくわからない)だったのに上映時間が半分以上過ぎたあたりで突然それまでモブ的な扱いだったメガネのオッサンが主人公になってしまうシナリオは破綻しているかもしれない…かもしれないがしかしである!

そうした諸々のかもしれないに対してこの映画は言い訳がましいところが一切ない。たとえチープだろうと稚拙だろうと自分が面白いと感じたものは作り手として最後まで信じ抜く、これが簡単なようでいかに難しいことか! 粗を言い出せばキリがないし繰り返しになるが無駄にスケールが大きいわりにシーン間の有機的連関に乏しく肝心要のゴアシーンも手抜きとは言わないが死体数を稼ぐための水増し的なものが多いため散漫で冗長な印象ばかり受けるのであんまり面白くはない、これは断言しておきたいがあんまり面白くはない! でも良い映画って面白いとか面白くないとかそんな次元じゃないんだよ。

水増し的なゴアシーンが多いとついつい書いてしまったがイッテンバッハに有刺鉄線が絡みつくショットはどう撮っているのだろうと束の間考えてしまったぐらいよくできているし、逆再生を使った大堕天使の肉片集合復活ショットは単純な仕掛けではあるがその単純さゆえに効果的だ。家の壁に血糊をぶちまけまくるのもすごい。こんなに予算のなさそうな映画だったら普通はロケ地を貸してくれた人に怒られるから可能な限り壁なんかは汚さないようにするのにこの映画は壁汚しを躊躇しない。そうした残酷ディテールを積み重ねた先に待ち受けるのはまるで漫☆画太郎みたいな噴飯オチ。後には何も残さないそのやりきった感が清々しい、イッテンバッハ畢生の一作だ。

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2 Comments
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匿名さん
匿名さん
2022年12月19日 12:47 PM

女というか私個人の考えなのですが、男は男に生まれただけで暴力性をもつのだからどう言い訳しようが共闘しようが啓蒙しようがどうしようもない、と言われると逆に(?)じゃあどうすりゃいいんだよと思いますね。
男は生まれつきどうしようもない暴力性をもつ上に、大抵の場合は女より体が大きく力も強く、最悪むりやり女を妊娠させることもできるが、人間なので動物の様に首輪をつけることも犯罪だし、民家の近くをうろつく熊の様に危険だからと撃ち殺すことも犯罪ですから。
それならまだ男が男にそれはだめだと言ったり、「有害な男らしさ」というキーワードの元にたしなめあったり、なんらかの加害をした男を非難したりしている方が、なんの解決策も分からず「男はそういう生き物だから、怖いけど仕方ないよね」という状況よりかはマシな気がします。
まあ、いついかなる状況においても女が被害者で男が加害者というわけではないですが。