《推定睡眠時間:35分》
なんか感想の書き方がわからなくなってしまった。いや俺としては言いたいことがそれなりに頭にあるんですけど、でもなんかさ、そういうこと言っても仕方がない感もちょっとあるじゃないですか、この映画。さっきツイッターのスペースやってこのシリーズに詳しい人に感想伺ったらその人これはライドですねみたいなこと言っててあーそういうことかーって思ったのよ俺は。たぶんさ、監督のジェームズ・キャメロンは出したい風景とかメカとか生き物からある程度逆算してこのシナリオを組んでるから、普通の映画に対してだったら通用する「ここはもっとこうした方が…」っていう指摘もこの映画には通用しないんじゃない? ライドとしてお客さんがびっくりする光景を出せたらそれでもう勝ちだしそれが正解。そしたらもう、楽しかったな~ぐらいしか感想言えないよね。なんかあれこれ言うのが野暮っていうか不毛な気がしてきて。
まぁでも一応書くとさ、楽しかったけどもっと楽しくできたんじゃないかな~とはやっぱ思ったんだよ俺は。俺ちなみに前作観てないんです。観てないけどかなり駆け足気味で前作のダイジェストみたいのは最初の数十分間にあるからまぁ観てなくてもなんとなくの設定とか状況はわかる。それで、どこがもっと楽しくできたんじゃないかな~っていうと、なんかね、これ上映時間が3時間20分ぐらいあるじゃないですか。インド映画の長さですよね。でインド映画って途中に休憩挟んで前編後編に分かれますけどその前編後編のそれぞれに起承転結がある。前編後編で主人公が変わる絶賛公開中の『RRR』なんてまさにそうでしょ。
やっぱ3時間て長い。長いから2時間ぐらいの一般的な映画の文法で構成するとどこかしら間延びしたところが出てくる。インド映画はそれを起承転結×起承転結って構成にすることで回避してずっと面白い感じにしてますけど、『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』って起承承承転転転結みたいな構成になってるんですよ。スカイピープルっていう舞台となる星パンドラを植民地化しに来た地球人類の魔手から逃れて元スカイピープル現ナビィ族(パンドラ原住民の森の民)の主人公とその家族は海の民の住まう群島に逃げ込んで云々って話ですけど、こんなの90分ぐらいあれば充分描ける話で、それを3時間超に引き延ばして起承転結の承の部分にパンドラの世界観やSF設定をたくさん詰め込んで、起承転結の転の部分にはアクションとかサスペンスを詰め込む。
よく知らんけれどもこれこの後も最長で4作とか続編やるんでしょ? だからそのための説明兼宣伝ってところも相当もあるんだろうね。ライドになってるのも最新技術による水の映像表現を見せたいってだけじゃなくて今後もこのシリーズについてきてもらうためにお客さんに改めてパンドラの魅力を伝える目的がありそうだし、家族ドラマを主軸にしたファミリームービーっぽくなってる(聞けば前作はもっとキャメロン色の濃いストーリーだという)のも今後に向けて色んなお客さんを取り込むためかもしれない。
でもその結果がどうにも面白くなりきれない、確かにライド体験としては見事だろうけれども映画体験としてはどうにも薄味なものになってしまったのだとしたら本末転倒じゃないかなぁ? まぁそんなのキャメロンが考えればいい話でこっちとしてはどうでもいいわけですけれども。
ところでこれ観た帰りにシネコンの売店見たらこの映画のオモチャが売ってたんですよ。なんかね奥行きが10センチ幅が30センチ高さ20センチぐらいの映画世界を再現したジオラマみたいなやつで、詳しく見てないからわかんないですけどボタンがあったからあれ押すとジオラマの中のアバター人とか葉っぱとか動物とかが動くんだと思う。た…楽しそう! それはとても楽しそうだしクリスマスプレゼントにぴったり感ハンパないよ。いいですよねデジタルじゃなくてフィジカルに動くオモチャって。キャメロンも動くオモチャ大好きだと思うな。
それで思ったんですが、この映画って、原住民ナヴィのスキンをまとって侵略者たる地球人に対するレジスタンス活動をするようになった元海兵隊員が主人公じゃないですか。それで海のシーンとかだと捕鯨批判っていうか環境保全のメッセージも強く前に出てきますよね。だけど、キャメロンってミリタリー的なものが超大好きな人じゃないですか。映画の中でいろいろ破壊したり征服したりみたいなの大好きじゃないですか。キャメロンがその矛盾を解決する答えがオモチャだったんじゃないですかね?
ごめん飛躍しすぎたわ。説明すると、この映画に出てくる原住民の表象とそれに対するキャメロンの眼差しってエドワード・サイードが主著『オリエンタリズム』で晒している西洋オリエンタリストのそれとほとんど同じように見えたんですよ俺には。一方にはオリエントの資源に対する関心や(西洋と異なり非合理的に見える文化を擁する)オリエンタルの人々の合理的管理の欲望などがあるわけですよね。それでもう一方には自分こそがオリエント文化をオリエントよりも深く真に理解しているという思い上がりと、だからこそ自分の征服的行動はオリエントの人々のためになっているっていう独善がある。この二つの考えの下地になっているのが書物の形で集積されたオリエント知識で、それを参照しながら現実のオリエントに介入することで更に知識を集積してオリエントという「物語」を編んでいく。これがサイードの素描する西洋のオリエンタリストの像。
この「物語」というのがキャメロンの場合は「オモチャ」だと思うんですよ俺は。現実の世界から遊べそうな素材を取ってきてレゴブロックみたいに組み合わせたオモチャの世界を作ってしまう。自分でオモチャの世界を組み立てつつ自分でオモチャの世界を破壊する。自分でオモチャを奪う悪役を演じつつ自分で悪役からオモチャを守るヒーローを演じる。現実から素材は取ってるけど現実とは無関係なオモチャの次元で世界を捉えてるからそこに矛盾は生じない。
それはオリエンタリスト的な思考様式に馴染んだ西洋人がオモチャで遊んでるだけなんだけど、キャメロンの場合は世界のオモチャ化が徹底してるから嫌らしさがない。別の言い方をすれば、大なり小なりハリウッド映画なんて世界をオモチャにしたものだけれども、凡庸なハリウッド映画とかハリウッド映画人はそれを「オモチャじゃないです!」って言い張る。教育なり癒やしなりちゃんと実利があってこの映画を観ることや作ることはあなたたちのためになるんですとオリエンタリスト流の決まり文句を述べるんですけど、でもキャメロン映画ってそういうところないんですよ。楽しいオモチャを作りました。楽しんで下さい。以上。
これはいささか抽象的な話だけれども実際この映画で面白いのって色んなオモチャじゃないですか。ウツボカズラを逆にしたような隠れ場所にもなる海洋植物とか、ツインローター空母とか、着脱式の臍の緒みたいなやつとか。色んなオモチャが出てきて色んな風に使う。中でもパワードスーツは最高だった。あの動きにくそうな挙動がよくて…ぬるぬる動いちゃったらダメなんだよね。操作に習熟しないと動かせないっていうのがその動きから見えないとオモチャにならない。誰でも簡単に使えそうだなって見えちゃったらそれは単なる道具でオモチャじゃないんですよ。
まぁそんなことも考えるとやっぱりね、こうして振り出しに戻るわけですが、「楽しかった!」以外に言えることなんてないな。だってオモチャだもんこれ。ツッコミも含めて色々と語れるポイントがあるのもオモチャの証。オモチャはお客が遊べてナンボですからね。楽しかったですよ『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』。オモチャとしての完成度は、まぁまた別の話として。
※キャメロンのウェイ・オブ・ウォーターが始まった記念すべき一作にも関わらずキャメロン自身は長年黙殺していた『殺人魚フライングキラー』を思わせないところもないでもないトビウオの群れには謎の感慨深さがあった。
【ママー!これ買ってー!】
アバター ワールド・オブ・パンドラ 『アバター』オマティカヤの熱帯雨林&ジェイク・サリー
上で触れてるシネコンの売店で売ってたオモチャってこれみたいですけどなんか説明文読んだらフィギュアは可動箇所があるが全体が電池とかで動くようなものではないっぽいです。
3D映画がすっかり廃れちゃったから、映画館の在庫で眠ってる3Dメガネをもう一度使いたいのかな?
と勘繰ってしまいました。
なんか、3Dで見た人に感想を聞いてみたら、あんまり「3Dすごい!」みたいなシーンはなくて、今回はとにかく水の表現がすごかったらしいので、キャメロン本人はもう3Dに飽きてる可能性もあります笑