《推定睡眠時間:0分》
基本学校に行ってないっぽい中学生七人がいかなるマジックか食いもんとかボードゲームとかそれぞれの個室まで用意された超豪華版保健室のようなドリーム空間に招かれるのだが嬉野! 嬉野よ…! その七人の中のぽっちゃり枠を担当する嬉野くんである。すごい。嬉野くんのリアルなウザさがすごい。誰しもそんなに仲良くなってないのに無駄に距離が近すぎる人と遭遇して文字通りの意味で若干引いたという経験はあるというがその距離の無駄に近すぎる人が嬉野くんでもうガンガンこっちのテリトリーに入ってくる。しかもママの焼いたクッキー持参で入ってくる。好きな人にはママのクッキーをあげる癖がある。これはいささか強すぎないかと思う。
この映画の監督は最近では『バースデー・ワンダーランド』が俺は超好きだったのにネットでは年間ワーストクラスで不評だった(どいつもこいつも見る目がない)原恵一なわけですが、原恵一のどこが信頼できるってこういう人間のウザさとか面倒くささを皮肉るでもなく突き放すでもなく透明な筆致で描くところで、要するにこの人は日本のアニメ監督としてはちょっと珍しいと思うのだがあくまでも現実に即してキャラクターや作品世界を構築しようとする。『バースデー・ワンダーランド』も俺がいたく感心したのはワンダーランドを旅することになった小学生女子の主人公が旅先の酒場に寄る場面で、ここで酒場にいる客たちみんな周囲から明らかに浮いた主人公をちょっと迷惑そうな顔してチラ見するだけで交流みたいなのは生まれないんですよね。
それは現実がそうだからで、原恵一の世界にはファンタジックな設定や舞台は出てきてもそこに生きるキャラクターたちは現実の論理を超えることがない。理想化されるキャラクターはいなくて誰もが現実でそうであるような姿以上の形は取らず、誰もが大人の目には取るに足らないように映る中学生の現実の問題を抱えている。かがみの孤城に招待されたというかオオカミさまなるワガハイ的な口調の幼女に半ば無理矢理連れてこられた主人公たち不登校児はオオカミ様から孤城のどこかに隠された鍵探しを要求される。鍵を見つければ願いが叶うから諸君も大いに発憤して…と盛り上がっているのはオオカミ様だけで、しかし不登校児たちは基本やる気なくダラダラとゲームとかおしゃべりなんかして暇を潰すばかり。
原作ありきとはいえ、もしこれが通俗的なファンタジーの作り手だったら主人公たちはさぞや鍵探しゲームに熱中するに違いない。それはファンタジーもしくはアニメの論理だからで、現実の不登校児にそんなことを要求したところで、俺は不登校児だったのである程度説得力があると思うのだが、そんなこと言われても願いとか別にないしなぁ…となるのがオチではないだろうか。その現実感覚から原恵一は離れない。現実に問題があればあくまでも現実の中で解決しようとする。だから俺はこの人の映画はいつも信頼してるのです。だってわれわれはみんな現実からは逃げられないわけだから。安易なファンタジーへの逃げを提示する数多のアニメの作り手よりどれほど誠実で観客にやさしいかわかったもんじゃない。
それと関連するかもしれないのは身も蓋もなく言えばこの映画のアニメ的興趣の乏しさで、これはあくまでも俺の感覚ではあるがキャラクターや美術といった絵の面では誇張や美化がなく、アクションやカメラワークといった動きの面ではケレン味やダイナミズムがない、更に言うならキャラクターの性格や台詞についても日常の延長線上でアニメ的な面白さはない。要するにオッと目を奪われる瞬間が皆無に近い。これはすごいアニメーションだなぁというところがない。映画の主軸になるのは七人の不登校児のドラマ性の希薄ななんでもない交流を通した心の変化であり、孤城のファンタジック設定が辛うじて日本アニメっぽさを残しているが、その見てくれと終盤の大仕掛けを取っ払えばこれはもうほとんどフリースクールの日常を捉えたドキュメンタリーのようなものではないだろうか。
たぶんそのことには色んな意見というか基本的には否定的な意見があると思うのだが、俺は大いによいと思った。アッパレではないですかこの姿勢。優れた物語があるならばアニメーションはその物語を伝える触媒にさえなればよく、アニメーションが出過ぎた真似をすることはない。原恵一にそのような意図があるかどうかは不明だが、俺はこれは現在の日本アニメに対するアンチテーゼになっているんじゃないかと思った。アニメ作品においてはアニメーションが物語に優越するというのがおそらく今の日本アニメの作り手にも観客にも共通する意識で、いわばアニメーションへのフェティッシュが非常に強い。好みは人それぞれだがそれが全般的傾向にまでなっている(ように見える)状況はやはり不健全なのではないかと俺は思う。その意味で『かがみの孤城』は非常に慎ましいアニメ映画でありながら優れて批評的な作品でもあるんじゃないだろうか。
前作『バースデー・ワンダーランド』は素朴派的な風景や色彩が大変見事なアーティスティックなアニメ映画だったが今作は一転して原作の(物語の)良さで勝負する職人的手触りの映画ってわけで高山みなみ演じるゲーム好き男子中学生が「真実はいつもひとーつ! …なんちって」とか言うあたり、職人の余裕です。ええですなこういう地味なアニメは。地味だからこそ強いというのはあると思うし、派手なアニメ表現は必要ないという割り切りが、なんだかとても清々しいのです。
と作家論で感想が終わりそうになってしまったので一応物語に関しても少し触れておくと、まぁなんというか非常に誠実に中学生のリアルと向き合っていて、プロットもなかなか面白いのだが、どちらかと言えばその語り口に感動してしまう。中学生の悩みにしっかりと寄り添いながら、けれども過度に感傷的になることも同情的になることもなく、まぁ人生そんなもんだよとドライな大人の視点は決して捨てない。それはニヒリスティックなものではなくて、人生そんなもんだから別に悲観するする必要なんかないよね、ということ。パンフレットのインタビューで原恵一が言っていた「人生だいたいなんとかなる」みたいな言葉はけだし金言、全てなんとかなるわけではないかもしれないけれども、だいたいはなんとかなるから絶望する必要なんかないんである。
よい映画だね。あとオオカミ様は芦田愛菜が声を演っているのですがあの声で「ふふふ…そうであろう。諸君もようやく気付いたようだな」みたいな口調のちょい天然ボケキャラ、七人の不登校児との温度差の激しいやりとりには笑わされつつ激カワ轟沈。
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不評の理由には原作との相違などもあるのだろうが、根本的には映画に冒険を求める観客と、あくまでも旅行として異世界探訪を描こうとした監督の価値観のズレなんだろうと思ってる。どうせ異世界に行くなら冒険をしてほしいという気持ちもわからないでもないが、冒険以外は認められないとまでなると、それはいささか映画を受け取る感性が乏しいと言わざるを得ないんじゃないだろうか。
クレヨンしんちゃん以降は寡作なのも、作風がヒットメーカーから程遠いからってのもありそうですね。
未だに「オトナ帝国・戦国大合戦の人」と言われるのも、
ノルマめいたギャグやアクションが主軸で、最後にシリアスやるくらいが一番万人受けしたのかな?
『嵐を呼ぶジャングル』みたいなのがなんだかんだ一番気楽に楽しめるみたいなのはありますよね笑
最後はアクション仮面の奮闘に泣けるし。
まぁこの人は本質的に万人向けっていうか、エンタメ寄りの作風ではないんだと思います。『エスパー魔美』の原恵一演出回とかも子供向けにしてはかなり渋い。かなり特異な作家性を持ったアニメ監督で、なんだかんだ新作が個人的に一番気になる人です。
クレしん以降の原恵一で一番好きなのは『カラフル』だな。普通の風景を描くのが滅茶苦茶上手い人だからそろそろファンタジーから離れてもいい頃だと思うんだけど…まああれも公開当時は実写でやれと一部で言われてたな…ガワがファンタジー、人物の中身は現実に属してる今のバランスがちょうどいいのかもしれん(´・ω・`)
『カラフル』の日常風景は素晴らしいっすよねぇ。ああいうのまた観たいんですけど、まぁ興行的には厳しそうなので、ファンタジーの見た目で客を騙して(笑)リアルな人間ドラマを見せるみたいなのが妥協点なのかもしれません。ちなみに俺のクレしん以降の原恵一ベストは『河童のクゥ』です。