《推定睡眠時間:45分》
『変態村』『地獄愛』に続くなんとかなんとかという監督の誰が呼んだか「ベルギーの闇」三部作最終作がこの『依存魔』らしいのだが思えばこのシリーズ(なのか?)すべてかなりの鑑賞中睡眠を喫している。『変態村』はたしか2回くらい観ていて最初に映画館で観たときにかなり寝ちゃってなにがなんだかわからなかったからDVDでもう1回観たと思うのだがそれも睡没。だからといってつまらなかったわけでは当然ないが、『変態村』にしても『地獄愛』にしても描写はエグく色彩もどぎついところがあるにも関わらず、なぜか眠くなる。残酷描写などほぼ無く三部作中もっとも渋い仕上がりの『依存魔』の場合はなおさらということで今回は爆睡であった。
その爆睡を妨げたのは少女の絶叫。状況はよくわからないが何度も何度も少女の絶叫で目を覚まし、覚ましては寝、覚ましては寝、覚ましては…とさながら気分は育児中の親。この少女というのはどうやら比較的重い統合失調症を患っているらしい。重いので人里離れた精神科閉鎖病棟に入院しているが、本人は病気の自覚がないので自分を施設に繋ぎ止める看護師らを大いに敵視しており、誰かこの地獄から私を連れ出して…とヘルプシグナルを送ることに余念が無い。病院の用務員かなんかの息子だいたい12歳が不幸にもそのシグナルを受信してしまったことからふたりの「地獄愛」が始まる。この息子は少女のヘルプを信じて彼女を脱走させるのだが、重度の統合失調症を患う少女と彼女が何の病気かもよくわかってない少年の辿るその道はあまりにもローリング・ストーンであった…。
公称なのか俗称なのかは知らないが「ベルギーの闇」といいつつ三部作通して描かれるのはベルギーというよりも愛の闇。その愛に堕ちたら冥府魔道を歩むことになることはわかっているのに、それでも愛に縋り愛に溺れる人間たちの人が人を愛することのどうしようもなさ(©石井隆)を描く映画が『変態村』であり『地獄愛』でありこの『依存魔』だった。その意味では前二作よりも遙かに異形度の少ない(年齢制限もない)普通の映画である『依存魔』の方が残酷な映画だったかもしれない。『変態村』も『地獄愛』も愛に堕ちるのは大人の男女であり、冥府魔道を歩むにしてもある程度の覚悟ができているように見えるが、こちら『依存魔』は友達のいない孤独な少年がまるで覚悟なく無垢なまま愛に堕ちるわけで、その小さな決断に伴う負債は到底彼が抱えきれるものではない。映画の最後、凶暴彼女に「別れる?」と問われての少年の返答は、見方を変えれば美しくもあるからこそ痛ましくやるせないのだった。
精神の病というのは介護をする人間が病を正確に理解することが本人にとっても介護者にとっても大切なんだろう。寝ては絶叫に目を覚まし寝ては絶叫に目を覚まし寝ては…なんて状況でおかしくなってしまうのは介護者だけではない。何に対してかはわからないが絶叫するほど怯えたり憤慨したりしているのだから本人だって心身負担は相当なもののはずだ。それが彼女の目には狂気や暴力として映ったとしてもとりあえず治療を受けていた彼女はしかし、少年の無垢な愛と善意によって病院を脱し治療を放棄することになる。その結果はといえば、詳述はしないが愛は少年と少女のどちらも地獄へと突き落とすのである。
まことに愛はろくでもない。まことに愛はおそろしい。それでも人が人を愛することのどうしようもなさ(©石井隆)。いやぁなんとも寒々しい恋愛残酷譚でありましたね。
【ママー!これ買ってー!】
タイトルがカッコよすぎる後期石井隆の着火点。「ベルギーの闇」三部作は石井隆の映画と近いものがある(でも俺は石井隆の映画のが全然好きだしすごいとおもってる)