うんこ漏らせ映画『REVOLUTION+1』感想文

《推定睡眠時間:0分》

俺はさほど山上徹也という人物に興味がないのでその生い立ちから安倍元首相暗殺に至るまでの道程を描いたこの映画がどの程度山上のリアルに肉薄していてどの程度創作が入っているのかは知らない。だからこの感想はリアル山上ではなくあくまでも映画の主人公・川上達也についてのものであることをあらかじめ断っておこう。誰かが決めたものでない自分の好きな「真実」が幅を利かせる昨今、実録ものの映画なんて作り手の解釈と思い込みが9割なんて当たり前の話なのだが、それがわからない粗忽な人もいるかもしれないのでというこれは俺の優しさである。偉いなぁ俺は。

さて山上違った川上であるが報道にあるとおり宗教二世で母親は統一教会の熱心な信者。父親は小学生ぐらいの頃に死に残った母親は全財産を統一教会につぎ込んじゃったので川上家は金がなく、川上は大学進学を諦め派遣で職場を転々とすることになる。実はネトウヨっぽい政治思想を持っていた川上。そりゃそうだろ韓国発のカルトである統一教会に金をむしり取られたら韓国憎しとなっても諭すことはできこそすれ責めることは難しい。だから安倍晋三にも実は期待した。期待していた。でも安倍晋三は川上の味方じゃなかった。安倍晋三が統一教会の集会かなんかにガッツリとビデオメッセージを寄せていたことを知った川上は裏切られたと感じる。韓国ヘイトを公言しているくせに統一教会と繋がりのある安倍晋三を救世主の如く崇める安倍シンパを嘲る。お前らは奴隷だ。自分から奴隷になることを望む奴隷だ。俺は奴隷じゃない。そして、川上は確固たる意思を持って自作銃の製造を始めるのである。

銃か。いいね。銃刀法違反に問われないのであれば俺も一度は作ってみたい。作ってみたいというだけで実際に作ることはしないが、ともあれ大人のプラモデルという感じで面白そうなのは確かである。そんな風に思わせるぐらいこの映画は川上と格別の距離を取らない。銃の製造はまるで日曜大工だ。そこらへん『略称・連続射殺魔』で永山則夫の内面を探った、そして元日本赤軍であった足立正生の作である。人がなんらかの目的のために武器を作ってみたりすることは決して特別なことではないと足立正生はわかっている。そしてそんな人が実はわりあいそこらへんにいたりすることも足立正生はわかってる。だからこの映画はある意味とても平凡な映画なのだ。

俺は映画の中の川上を見ていてなんとなく似ているなと思った。ウチの母親は創価学会二世で俺は三世ということになる。父親は中一の時に事故死した。金に困っているという感覚は別になかったが、父親の死後は家族でどこかへ出かけたという記憶はないし、とくに豪華な食いもんを食った記憶もないので、裕福というほどでもなかったのだろう。大学には行こうとすれば行けたのかもしない。しかし俺は中学時代より引きこもりに入ってしまい、高校はフリースクールのようなところ。そこも卒業間近になって「社会のレールにゃ乗らねぇぜ!」と中退してしまった。もっぱらポストパンクやインダストリアルを聴いていたマセクソガキの俺は劇中の川上と違ってブルーハーツなんかダサくて聞かなかったのだが、なんとなく厨二メンタルが被る感じでわりとイヤである。

以降は様々なバイトを転々とする。派遣ではなくバイトなので身分的にはむしろ川上よりも下じゃなかろうか。といったところでそのことに特に危機感もなく、俺は映画の天才なのでとりあえず脚本賞とかに応募してればそのうち脚本家デビューできてそれを足がかりに映画監督になれるだろうとか何の根拠もなく思っていた。あれから十余年。あれ、一向に芽が出ないけどどういうこと? まぁ、ほら俺って大器晩成型だから…ときには根拠のない自身というのも生きる役に立つものだ。脚本賞へは現在も絶賛応募中かつ最近は自主映画も撮り始めたところである。できあがったらみんな見てね☆

川上も俺のように無駄に自己評価の高いところがあったようだ。派遣先では仕事のやり方をめぐって上司と衝突しある程度勤めると辞めてしまう。あるある。俺も比較的頻繁に人と衝突してバイト辞める方。コンビニ夜勤やってた時に先輩バイトがタメ口で話しかけてきたことが許せずに喧嘩してそのまま店から出て行ったこともあった。清掃バイトの初日に古くからいる人と君の時給違うから時給については話さないでねと口止めされた時にはそんな約束できないっすよと噛みつき翌日から行かなくなった。ネットカフェのバイトで休憩中に外出できないと後から聞かされその時メンタルの限界だった俺は泣きながら怒鳴り散らした。そして辞めた。

当然金など貯まらないわけだから年金保険料住民税オール滞納。最初は10万だったはずの借金は100万にまで膨れ上がってしまった。住んでる家は共同和式トイレで風呂と冷暖房のない使い古した限界木造アパート。ある日、寝ようと電気を消すと壁の一部が光っていることに気がついた。近づいて見ると隣の部屋が僅かに見え、それは壁に空いた穴なのだった。害虫との戦いは生活の一部。天井裏のネズミは何度殺鼠剤を撒いてもしばらくすればまた大運動会で、廊下や下駄箱は何度修繕してもらっても雨漏りして靴なんかべっちゃべちゃになる。なので、下駄箱の靴は横に並べておくのではなく立てかけておくというのが住民たちの知恵であった。その知恵はもっと別の方向に使った方がいい。

当事者には当事者にしかわからないこともある。しかし、こう振り返ってみると川上いろんな資格持ってたし派遣だし、やろうと思えばむしろ俺より良い生活できたんじゃない? っていうか劇中の生活水準を見る限り明らかに限界木造時代の俺よりよかっただろお前。なら川上と俺の違いはどこにあったのだろうか。たぶんそれは川上にはまったく趣味がなかったように見えたが俺には映画とか音楽とか文学とか哲学とかがあったということである。

川上が劇中何度も自問するのは俺はなんなんだというようなこと。そして川上は安倍晋三の例の統一教会メッセージを見て確信してしまう。俺は裏切り者のこいつを殺す。そして俺は…☆になる! そこに思想は果たしてあるだろうか? といえば、少なくともこの映画を観る限りでは、ないんじゃないだろうか。川上は自分の何者でもなさを憎んでいた。ベタな話である。まったくベタな、通り魔型殺人鬼の殺人理由である。誰からも必要とされず何者でもない透明人間のような自分が、殺人という大きな事業によって少なくとも一日か二日は世間を賑わすスターになれる。なんでも山上の方には減刑嘆願が多数寄せられているということだから一日や二日ではなかったようだが、それはまぁ別の話として。

山上の実家が統一教会に破産させられたことは事実だとしても、殺人の理由に統一教会なんて本当は関係ない。安倍晋三だって本当は関係ない。重要なのは、自分の帰属先を見つけることだ。自分はその一部でありそこになら自分の居場所があると感じられる帰属先を見つけること。川上はそれができなかった。壁に文鮮明と安倍晋三の拡大写真やブロマイドがベタベタと貼られた川上の部屋はまるでアイドルオタクの部屋のようだ。その結果的な行為とは正反対に、川上はむしろ安倍晋三や統一教会に帰属したかったのだと言えまいか。川上の殺意は、ある種の失恋によるものだとは言えまいか。

あぁかわいそうな川上くん。俺みたいに図書館とか映画館に入り浸っていればよかったのにねぇ。しかしこればかりは本人の問題だから仕方がない。残念だけれどもつまらない人は結局死ぬまでつまらない。川上はプライドが無駄に高いから、趣味に耽溺するという仕方で帰属先を作ることができなかったんだろう。それは自分を趣味の対象より下に置くことで、「俺は奴隷じゃない!」と心の中でか実際にかは知らないが誰にいうでもなく叫ぶ川上は、自分が何かにハマるということが、おそらくできなかったのである。

それは母親が統一教会にどっぷりハマっていたのをずっと見てきたため? どうかな、趣味に耽溺できなかった人なんか大物殺人犯にたくさんいるから。バージニア工科大学で無差別乱射をやったチョ・スンヒを、ある評論家はオタク趣味に没頭しきれなかった人と評していた。没頭していれば殺さなかったのではないか、と。チョ・スンヒも最後は『タクシードライバー』のトラヴィスのようなコスプレ犯行声明動画をネットに挙げていた。帰属先を見つけること。自分が何者であるか見つけること。それを殺人という方法でしか叶えられない未熟な異邦人はいつの世にもいる。

さて長々と超個人的な山上いやだから違うって川上考を書いてきたが『REVOLUTION+1』が映画としてどうなのかというと、なんだ面白いじゃないの、と思った。なにせ事件直後に企画を立ち上げ同年10月ぐらいにはもう初号試写とかやってるくらいの超突貫工事映画なので、足立正生もさすがに歳だしいくらなんでも忖度なしに楽しめる映画は…とまったく期待していなかったのだが、さすが腐っても若松の同走者、予算や撮影期間の強烈な制約を逆手に取った演劇的アプローチが意外なほど効いていて、貧相なセットやそこらへんの野山でしかないロケ地は自らの名前と帰属先を持てない川上の空虚な心象風景に化ける。

しかし静かな映画ではない。むしろやたらとうるさい。この映画、川上の独り言ナレーションがサウンドトラックを埋め尽くしているのだ。川上の独り言、とはおそらくツイッターである。山上ツイッターやってたんだよな、怨嗟まみれの。どの程度そこから引用できてるかは知らないですけど、山上の内面を知るにツイッターは貴重な証言だから、アカウント凍結される前に保存してたんじゃないだろうか。だとしたらなかなかやる。

そのへんきっちり山上に肉薄しようとする一方でこれはさすがに創作キャラではと思われる人も出てきて、その人というのは川上のアパートの隣の部屋に住む革命家二世なのであった。曰く、父親とか父親の知り合いはみんな革命かぶれだったからマトモな生活ができなかった、今は同じような二世たちと定期的に飲み会とかしてる。その口調は自嘲的で部屋の壁には仏が宇宙に浮いているニューエイジ感バリバリの絵がかけられていたりし…ということでこの人は宗教二世川上同様あまり幸せそうではなく、そこまでは語られないが幼少期の反動でちょっと宗教っぽいことをやってることも匂わせるのだった。これは自身革命家であった足立正生の自己批判と捉えてよいのだろうか。俺たちは革命革命と理想ばかり考えて足元の民衆や家族を蔑ろにしていた…みたいな。そうかどうかはともかく、そうとも取れるのでこれは単なる時事ネタ映画ではない。

ところで「これ大丈夫か?」と一箇所思ったのは兄貴の犯行を支持する川上の妹の台詞であった。いやこれは川上ですけど山上にも妹いるわけだから妹さんに風評被害いかない? もっともそのシーンは明確ではないけれども山上の妄想もしくは願望としても捉えることができ、帰属先を求め続けた殺人者の物語としてこれを見るならそちらの方が自然なのだが。まぁ、でも、画面の意図とか意味を読めないバカな観客っていますからね。そこはちょっと心配。と思って足立正生のインタビュー見たらあの台詞は私が言いたいこととかぬかしておりおい! それはダメだろ!

ところで急な話だが俺は今日うんこを漏らした。成人して三回目の漏らしだが、とくにお腹が痛かったとかでも便意が切羽詰まっていたとかでもなく、何の気なしに腰を曲げたら液状の下痢便が突然出て止まらない。俺は焦った。うんこがパンツに付着しないよう腰を屈めてトイレまで忍者走りをしたが無駄だった。かつて雪の日にうんこが大爆発し雪道に茶色い痕跡を残しながら家に帰ったという事件もあり、それと比べれば今回はうんこの爆発と衣類への付着を可能な限り抑えることができたが、とはいえパンツにもジーンズにもきっちり付着していたから勝利とは言いがたい。

ひとまず肛門周辺に大規模拡散した下痢便に始末をつけるとパンツ内の付着うんこを拭き、それでも心配が残ったのでノーパンのままジーンズを履いて近くのコンビニにパンツを買いに向かった。そこで俺はふと思った。実はここ数日、いろいろあって結構ネガティブなことばかり考えていたのだが、爆発うんこと戦っている間はまったくそんなこと考えなかった。何も考えずとも手が動き、ただ目の前の事件を解決するための様々な行動に、何一つ躊躇はなかった。その程度のものだったのだ。俺のネガティブ思考など、漏らしうんこの前では存在すらしない。

自分が何者であるか、どこに帰属すべきか、こうした問題はアイデンティティ・ポリティクスが先鋭化しつつその問題点が慎重に吟味されることなく一般化した現代のアメリカを中心とした先進国社会では、誰もが取り組むべき当たり前の問題であるかのように語られがちだ。意見を持つことは素晴らしい、意見とはすなわち立場=帰属先。自分のルーツを知ることは素晴らしい、ルーツもすなわち立場=帰属先。だがそれは個人の帰属先であるところの個々のグループ内に紐帯を生んでも、他のグループとの間には生まないばかりか、ときにはグループの結束がグループ間の対立を生みさえするし、そして帰属先を求める圧力は、どこにも帰属できない人間にとっては強烈なストレスと不利益をもたらしてしまう。

もし、山上徹也がそんな一人であったとしたら、俺はうんこを漏らせばよかったんじゃないかと思う。うんこを漏らせば自分が何者であるかなど関係ない。ただ目の前の緊急事態に対処するだけだ。そのときに、自分がたとえ何者でもないとしても、うんこを拭いてお尻を洗いパンツを換えるという複雑な自己保存行動ができることに人は気付く。絶望感に支配されたとき、人は脳みそが身体を動かしていると思ってしまいがちだが、それが絶望感の見せる幻でしかないことを、漏らしたうんこという圧倒的な実体はその臭気で喝破する。そこには「革命家」が、本来はそこに基盤を置くべき現実の生活というものがあるんじゃないだろうか。

だとすればこれは、うんこを見つけられなかった男の話だ。うんこについて語らない宗教の話だ。そして、うんこなどしないというイメージで自らを固める政治家と、うんこなど存在しないという幻に覆われた国家の話だ。うんこを漏らすこと。もしもこの現代日本でREVOLUTIONがあり得るなら、その方法は暗殺でも焼身自殺でもない、ただうんこを漏らすことによって始まるのだ。

【ママー!これ買ってー!】


【パンツ スーパーBIG】グーン (15~35kg)14枚

漏らすことはやぶさかではないがパンツは汚したくない、そんなあなたにはおむつがある。

Subscribe
Notify of
guest

2 Comments
Inline Feedbacks
View all comments
堕つつ
堕つつ
2023年3月19日 11:13 PM

結局自分を救うのは自分しかいないのでしょうね。今の日本に生きる弱者男性がテロリズムに傾倒してしまうのは、本当に本当によくわかるのですが、それこそタクシードライバー観てトラヴィスになりてぇとか思ってたら、いつの間にやら気が済んでいたり。少女漫画原作の恋愛映画観て、こんな面倒臭いことはフィクションで十分だなんて思えたり…
本当に映画というか芸術全般って人間にとって大切ですよ、だからこそハマれない人ってどうやって生きてるんだろうとか心配してしまう(余計なお世話でしょうが)

人間である以上絶対うんこは漏らします笑
うんこの前では全ての懸念は無に帰すというのは全く同感です、素晴らしい 笑
怒りに囚われたり絶望してる人は出先でパンツを取り換えるべきですね!!