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なんかこれは象徴的な話だなと思ってしまったのがさ、俺のツイッターのタイムラインはオタク臭が濃いので当然世間の五割増しでこの映画がよく観られてて、それでその選ばれしオタクたちの中でこの映画の評価は賛否両論拮抗してる感じなんですけど、どちらの人もこれはめっちゃ良かったって言ってたのが仮面ライダーのバディ的存在の浜辺美波と怪人の一人を演じた西野七瀬。俺それなんか不思議だったんですよね。
西野七瀬は実写映画版の『あさひなぐ』ぐらいでしか観たことなかったんですけど浜辺美波って原作もの映画にたくさん主役格で出てて、その中には『君の膵臓をたべたい』とか『賭ケグルイ』っていう邦画としてはたぶん大ヒット作って言っていいであろうやつも入ってる。なんで『シン・仮面ライダー』で急に浜辺美波浜辺美波とオタクは騒いでんの? って思ったんですよ。漫画原作映画シリーズでいったら『センセイ君主』が映画としても面白いし浜辺美波の魅力をよく引き出してて、それと比べたら『シン・仮面ライダー』は浜辺美波のアイドル映画として全然弱いと思った。『思い、思われ、ふり、ふられ』では演技力の高さも見せつけて、それと比べたら『シン・仮面ライダー』の浜辺美波は全然面白い芝居をしてると思えなかった。
でも『シン・仮面ライダー』を観たオタクの体感八割は浜辺美波が良いって言ってる。たぶん一番説得力があるその理由の説明これだよ。『シン・仮面ライダー』を観に行くオタクって『君の膵臓をたべたい』とか『賭ケグルイ』とか『思い、思われ、ふり、ふられ』なんか観てない。単純によく知らなかったんだよ浜辺美波。だから『シン・仮面ライダー』でその姿を初めて目にして萌えまくってんの。俺その可能性に思い当たってさ、なんか呆れちゃったよ。
そりゃオタクはそういうもんだって言えばそうなんだけど、本当に自分の関心のある領域の外のことは何も知らないし知ろうとしない。だから特撮映画とか特撮番組なら昔のものだけじゃなくて最新作のこともちゃんと知ってるけど、世間ではそれ以外にどのような最新の映画があり、表現があり、俳優がいて、物語が語られているか、世界が描かれているか、時代感覚が磨かれ、思想が編まれているか…これがまったくわからない。それたぶんこの映画の監督の庵野秀明もそうなんですよ。
だからなんかね、庵野秀明の『シン』シリーズって『シン・ゴジラ』も『シン・ウルトラマン』もそういうところがありましたけれども、この『シン・仮面ライダー』に至ってついに単なる現在についてこれない年寄りのオタクの内輪ウケ懐古映画でしかなくなったなって思ったのよ俺は。だってそうでしょう、『仮面ライダー』つったらゆって子供向けコンテンツですよ。でもこれPG12でしょ。その理由はたぶんまぁ仮面ライダーがショッカー殴ったり蹴ったりするとスプラッターに血が飛ぶからなんですけど、PG12は推奨視聴年齢であって年齢制限ではないとはいえさ、もう子供に見せる気ないわけじゃん。じゃ誰に見せるかってそりゃ大人のオタクでしかあり得ないんだよ、一般的に言って。そりゃ呆れるしかないんだよ。
まぁそういうオタクはわからないだろうが、これ劇中に人間の生命エネルギーを表すプラーナって概念が出てきますわな。あれはヨーガの用語。それから今回ハチオーグとかバッタオーグとかっていうのが怪人とライダーの正式名称になってますが、オーグってなんだろな『伝説のオウガバトル』とかのオーガ(ogre)かなと思ったら仮面ライダーの背中にAUGの文字。いいですか。それから怪人の一人が人間のプラーナを上位世界に転送することで人間の肉体は死ぬが魂は幸せになるんだみたいなこと言って人間たちのプラーナ抜く計画を語ります。更なるダメ押し。暴力に暴力で抗することに強い葛藤を覚える仮面ライダーに浜辺美波は怪人たちをショッカーの洗脳から解くことで暴力に依らず救える可能性を説く。
こんなのね、オウム真理教なんですよ。オウム真理教はヨーガを柱とする宗教なんでオウムの経典類にはプラーナの語が頻出する。オウムは英語表記でAUMですよ、AUGならぬ。オウムはなんで数々のテロを実行しましたか? オウムの教えでは人間どもは現世でこれ以上生きてもカルマを積むだけなので麻原言うところの一種のカルマ落としとして、肉体を殺すことでその魂を救うといってやった。洗脳については俺が言うまでもない。だからこれオウムの話なんですよ。仮面ライダーがオウムと戦うって話。
俺それで二つの意味でガッカリしたな。いやそりゃあさ、かつて『新世紀エヴァンゲリオン』放映前にロシアから電波飛ばして『エウアンゲリオン・テス・バシレイアス』のラジオ番組を放送してたオウム真理教を庵野秀明が正面からネタにしたっていうのは面白いとは思いますけど、今更感すごいじゃん。(新興)宗教二世問題が脚光を浴びてる昨今だからアクチュアルといえばアクチュアルだけど別にオウムとか宗教の問題に深く切り込むわけではなくて単に正義のヒーローが戦うべき敵としてオウムのイメージを借りてるだけなんだし。
っていうのもあるし、こんなにストレートにオウムをイメージさせようとしてる(としか思えない)のに客のオタクの方はそれに気付かない。これ偶然かもしれないけど3月20日って地下鉄サリンの日ですよ。それで『シン・仮面ライダー』は3月17日公開なんですよ。怪人の中にはウイルスで人類をぐちゃぐちゃにしようとしてるやつも出てきますけどオウムだって元々は生物兵器プロジェクトが一連のテロのスタート地点だったわけでさ、どっかで、こう、観てて気付かないか? お前ら浜辺美波浜辺美波と萌えてる場合か!?
とまぁそんな感じで何度も書きますけど、呆れた。作ってる側にも観てる側にも呆れた。過剰で大仰でそれでいてチープでバカバカしい怪人バトルの数々はキャンプに楽しめることは確か。トンネル内での群生ライダーの挙動なんかさすがにアホらしくて笑っちゃう。でも『仮面ライダー』をイメージソースの一つとして色んな怪人やバトル表現をっていうのはたとえば小島秀夫の『メタルギアソリッド』とか須田剛一の『キラー7』とか岡田耕始&金子一馬の『魔剣X』とかっていう90年代後半以降のコンピューターゲームのシーンで散々試されてきたことで、発想的にも映像的にも俺には『シン・仮面ライダー』がそれよりも面白いことをやってるようには思えなかった。
それ以外の場面はどうだろうか。庵野秀明が『シン・仮面ライダー』で行っていることというのは典型的な90年代邦画の映画作りのように思える。90年代邦画の、それも悪趣味やサブカルなどと親和性を持つ当時の前衛派と見られていた人たちの作品。その特徴といえば強いビジュアル志向で、兎にも角にも風景を作ることが最優先、風景さえ作ってしまえば役者の芝居なんかはどうでもいいし、シナリオだってどうでもいい、カメラでさえどこに置こうがどうでもいい。たとえば仮面ライダーが干潟のようなところで公安だかなんだか知らん人たちと話す場面なんかわかりやすいが、このシーンの背景を成す干潟は静止画として強い印象を与えるけれども、ひとたび会話が始まるや画面は単純なピンポンカットになり、構図や編集で面白い効果を狙おうという配慮はまったく見られなくなる。干潟という圧倒的な風景さえあれば、あとはなんとでもなるというのが90年代邦画の流儀なんである。
『新世紀エヴァンゲリオン』は一本も観たことがないのでなるほど庵野秀明はこういう監督かと俺はこのへんなかなか興味深く観た。この人はたぶん頭の中にこうという絵があってそれを実写でいかに再現するかにしか興味がない。浜辺美波がこの映画では大して面白くも魅力的にも見えないのはそれが庵野秀明の頭にあるイメージを投影する装置の一つに過ぎないからで、生身の役者としての浜辺美波から様々な表現を引き出す演出はおそらくしていない。それはカメラワークや編集にも言えて、様々な制約のある現場の中で、そのありもの素材をどう活かすかというある種即興的な工夫というのはこの映画には見られない。シナリオもまた同様。
だからこれは庵野秀明のポートレートとしては興味深く観ることはできたけれども、映画としてはなんだかずいぶん味気なく感じた。そんな映画なのでどこを切っても見えるのは庵野秀明の顔だけで、その統一された庵野の脳内世界を崩すノイズが、言い方を変えれば他者の存在というものがここにはない。ノイズが少しでも入るくらいならそのショットやシーンは抜いてしまえという庵野秀明の幼児的な潔癖が映画をキレイだけれども貧しくしているのだ。そのためにこの映画には人のいる場所でのロケシーンが全然出てこないでどっかの山奥とか屋上とかばっかり出てくるんじゃないだろうか。
台詞と台詞の間に余白はまるでなく、その台詞回しもシチュエーションではなくキャラクターごとにトーンが決まっているので、会話はただ役者が課されたタスクを消化するだけの作業になる。シーンとシーンの間に物語に必要「ではない」シーンが一切入り込まない構成はそれによって映画全体を美しく秩序立ったものにしているけれども、それを観る行為はノベルゲーで選択肢のないシーンを延々ボタン連打で読み飛ばしているような退屈さを感じさせる。アクションは殴った殴られた蹴った蹴られたを順番に繰り返すだけの淡泊なもの、そこには肉体の躍動もなければ擬斗のリズムもなく、感覚的にアガらないばかりか敵の意外な弱点を戦いの中で発見するとか戦いの空間を生かして敵に反撃するとか論理的な面白さもないので、無駄なシーンを省いて怪人バトルばっかりやってるくせにバトルシーンこそ楽しくない。
なにはともあれ長々と感想を書かせる映画というのは面白い映画には違いないのだが、面白いと感じることと呆れることは両立するので、楽しんだは楽しんだけどいろんな意味で発展性のない老いたオタク(たち)に大いに呆れたっていう…そういう感じかなぁ?
【ママー!これ買ってー!】
『シン・仮面ライダー』を見る限りでは庵野秀明と押井守に実写映画を撮る力量に差があるようにはあまり思えないし、即興的に現場から面白さを引き出せるという点ではむしろ押井守の方が上手いような気さえしているので、庵野は実写を撮ってもいいが押井はダメだみたいなオタク界の風潮に俺としては大いに異議を唱えたいところである。ということで押井実写の中で一番好きな90年代前衛精神バリバリの『ケルベロス』を貼っておこう。っていうか『シン・仮面ライダー』の暗闇に光る群生ライダーの赤い目ってあれ、押井のプロテクトギアの同業者オマージュ?
前日譚の漫画『真の安らぎはこの世になく』を読むありきなところもありますね。
本編では割愛された緑川一家の身の上話が事細かに描かれてるので。
結構観客の方で関連作品見たりして補完する必要ありますよね笑
蜘蛛・サソリ・Kがイチローの家庭教師だった。
蜘蛛は顔に火傷があるからマスクを外したがらない。
Kが外来語のみ流暢な発音になるのは、サソリがイチローに発音ミスを指摘された時に「オマエの発音を真似したのに。ロボットなら流暢に発音しろ」とKに八つ当たりしたから。
あたりの設定を把握したらより面白く見れるかも?
ええっ。そんなご近所さん的な近さの関係性だったのか…それがみんな変な悪の組織になって殺し合いをするなんて切ないっすねぇ…
はじめまして。「オタクは興味のない事を知ろうともしない」に痛いところを貫かれて血を吐いているオタクです。
仰る通り自分も本作で初めて浜辺美波を知った口で、浜辺美波が一番いいなと思ったのですが、これって思い返すに、浜辺美波以外に演技を見るところが無かったって事なのかなと。
浜辺美波の存在感がかろうじて映画を支えてるけど、この人が抜けたら映画になってないんじゃないか?エンディングテロップを見る限り、名だたる役者さんが結構出てるはずなのに全然印象に残ってなくて・・・
ショッカーの設定にしても、今時『世界征服を企む悪の秘密結社』では成立しないのを今回はこういう解釈にしたのねぇなるほど、で想像が止まっていました。
そこから先に思考が進まない自分の底の浅さが情けないのですが、庵野秀明監督作品に求めてるものって、その手の頓智解釈の手練手管や、毎度おなじみのワンパターンな演出やレイアウトだったりして、その点では非常に楽しんだのですが、結局これも「いつも食ってる定食屋のあの味がいい」みたいな・・・いや、例えが下手だなぁ・・・
なんだかグダグダした長文になってしまって申し訳ありません。
いや、俺もなんかムキになってたなって書いたあとで反省したので気になさらないでください…話せば長くなるので割愛しますが俺はエヴァのリアタイ世代より下の世代なので、なんかエヴァと庵野の印象がねじ曲がって伝わってたみたいで…お恥ずかしい限りです。
定食屋映画、いいっすね。そう、それなんですよ!そういうリアタイ的な(?)感覚がわからなくて、庵野映画をハイソな高級料亭だと誤解していたので、チクショーお高くとまりやがって俺が化けの皮剥がしてやる!みたいな…でも定食屋映画として見れば、これそう悪くない映画だと思います。でも光学迷彩はつけて闘ってくれよ!とは思いますけど笑
特に気分を害したとか、そういうのは全くないので、こちらこそ恐縮させてしまって申し訳ありませんでした。
自分は庵野作品にも仮面ライダーにもどっぷりなもので(あとついでに言うとこんな映画を観るオタクはだいたい皆そうだと思う)、「外からの評価」がわからないんですよね。
これくらいの事は言われて当然かなぁと思いました(笑
定食屋も通うのが同じお店ばっかりだと栄養が偏るんで、本当は飯屋開拓もしなきゃいけないんですけどね。面倒さに勝てない・・・
>光学迷彩
ほんとこれ、本作劇中でも、カメレオン怪人はコート脱がなけりゃ完封であの場の全員倒せたじゃん!!って思うんですけど(笑)、自分の姿を隠し続けることに耐えられない。
庵野秀明監督も、多分自分を隠せないんだと思います(隠せないのか隠さないのか隠したくないのかはともかく)
>自分の姿を隠し続けることに耐えられない
これ読んでハッとしました。そういえばこの映画って仮面を外す/着けるっていうアクションがすごい重要性を帯びてるんですよね。柄本佑は洗脳を解かれて仮面を外すとボロボロ涙を流す(あそこの柄本佑の芝居はとても良かったです)、池松壮亮は仮面を着けると獣性に支配されシンジ君の如くそれを恐れる、蝶オーグとの戦いはまるで仮面剥ぎを狙う覆面レスラーとの戦いです。
たとえば仮に仮面が象徴するものが無感情や感情の抑圧、そうすることで可能になる暴力であるならば、これは庵野秀明なりの「男らしさ」を降りる物語だったのかなとも考えられますし、自分の意志とは無関係に仮面を被せられヒーローに仕立て上げられた人間の物語として見るならば、今や大御所クラスの庵野秀明が「俺はホントはそんなに大した人間じゃないよ」と吐露して、次の世代にバトンを渡す物語とも考えられます。
そうやって見ていくとやっぱり面白い映画ではあるんですよね。どうやってもウェルメイドには作れない、何を作っても自分の話になってしまう庵野秀明のセルフポートレートの最新版。
AUGはオーグメンテーションってマジレスしたらいけない感じでしょうか
洋ゲーのDeus Exシリーズでも身体拡張をオーグメントと呼称してましたね
マジレスしてもいいですが、映画を作る人は普通ある用語を自作で使用する際に、複数ある候補の中からなぜその用語を使うのか、その用語を使うことで生じる効果はどのようなものかということを検討します。たとえば「プラーナ」は必ずしも「プラーナ」である必要はなく、「ソウル」とか「オーラ」とか「生体エナジー」とかでもいいわけで、その中から「プラーナ」をあえて使うのはなぜか?ということが問題になるわけです。AUGが何らかの適当な略語あるいは頭文字であることは当然ですが、そうした「設定」とは別に、それを使う「意味」が普通はあるよね、ということをここでは書いています。
なるほど。
オタクはプラーナなんて知らねえよ、と書いていてる一方で「オウガバトルのogreかな?」とあったので、ボケのつもりなのか本当に分かってなかったのか、意図が読み取れませんでした。
なんの略かはとくに考えてなかったので教えてもらってサンクスです。なるほど、オーグメントというのがあるんですねぇ。
ダークナイトは無理でも去年にやってたザ・バットマンみたいな作品を期待していたんですよ。野球のみならず、それこそ変身ヒーローでも世界に通用みたいな…
90年代だったら「真・仮面ライダー序章」っていうタイトルもろ被りのVシネ作品をご存知でしょうか?
なんだかんだ評価されてきた作品だと思うんですけど、あれ今観ると面白い作品じゃないですけど志は高かったなぁって思う。
大人向けな悪趣味という程では無いですけど、わりとグロかったりエロかったり。
そういう作品が撮れたのって、Vシネという現場があったのもそれはそうなんでしょうけど作り手がオタクじゃなかったから、
その要因が本当大きいと思うんですよね。
オタクに目配せしない、世間に届くように背伸びした作品って、そっちのほうが絶対子供にもウケますよ。たとえPG12だろうと、R15だろうとレイティング関係無く。
ケルベロスは最高ですねー。あれは押井守監督の実写映画としては別格。
サントラ最高、美術素晴らしい、役者陣も良い意味で風景と化して。なにより作品に流れる時間がこれこそ映画って感じで。
「真・仮面ライダー序章」全然知らなかったです。最近Netflixで白石和彌がやったやつも大人向けらしいですけど、これって最近始まった路線じゃなかったんですねぇ。
作り手がオタクかどうかっていうのは確かに大きいと思います。オタク監督だとそのジャンルや作品を「わかってる」観客に向けて作るから、わかってる前提であえての的な外し演出で面白味を出そうとするんですけど(「シン・ゴジラ」だって今までのゴジラとか怪獣映画からしたらあえて王道を外した作りですよね)、そうするとわかってるオタク観客以外には外しが演出じゃなくて単なる外しになっちゃうんですよね。面白味にならない。これは仮面ライダーに限らずどんなジャンル、どんな作品でもそうかなと思います。
「ケルベロス」は素晴らしい…でもこれも完全に映画マニア向けの外しの映画ですよね笑
ケルベロスを大好きとか言ってる時点で僕もオタク野郎なのは間違いなく 笑
でも、あの映画って恐ろしく変な映画ですけど、あの空気感というかムード?ってのは奇跡的としか言い様がないです。
Vシネに毛が生えた程度とか特撮の出来損ないとか、散々に言われがちですけど、やっぱ90年代初頭っていう、気怠い退廃的な空気が良いんでしょうね。あの時代の日本(台湾)だからこそ出来た唯一無二のカルト映画だと思います。
あの時代の押井守さんもやはり凄い。
奇跡的な作品って言ったけど、計算された部分も確実にあるでしょうから。
川井憲次さんは膨大な数の劇伴出掛けてるのでとても全ては把握してませんが、ケルベロスのサントラはマジで日本映画最高の部類じゃないでしょうか。
本編は数年に一度も観ませんが 笑
サントラだけは年に何度も聴いてます!
押井さんがすごいのは、これは庵野さんとか宮崎さんとは対照的なところでしょうけど、なんかトラブルがあったりしても即興的に現場でそれっぽい画を作れるんですよね。プロテクトギア十着ぐらい作れたけど戦闘シーンを作ることまではできなかったみたいなのはたぶん本当なんでしょうけど、それならそれで、むしろその挫折感を映画に取り入れて良い画を撮っちゃう。ゴダール的な瞬発力と嗅覚があるんですよね。
『ケルベロス』に関して言えばこれは90年代の日本の空気、それも90年代後半の空気を先取りしてしまった、北野武『ソナチネ』とか豊田利晃『ポルノスター』とか石井隆の『GONIN』、三池崇史の黒社会三部作なんかと肩を並べる90年代日本映画の重要作だと思ってます。サントラも本当に名盤ですよね。一時期は毎日聴いてました。風呂なし共同トイレ和式のボロ木造アパートでタバコ吸いながらこれ聴いて公募脚本書くんですよ…完全に別の世界に飛んでましたね笑
三池に撮って欲しかった
三池版仮面ライダーこと実写『テラフォーマーズ』というものが…
ぼくが悪かったです…
落ち込むのはやめて!
ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーと、シリーズが製作されていく度に、『シン』ブランドは世間の目に触れていくけど、その分庵野がオタクの中のオタクに向けた映画を作るから、僕はシン仮面もシンウルも好きな作品だけど一般層や評論家たちにはアホほど叩かれてるし、やっぱりこのシリーズはゴジラ(エヴァは別枠)で終わらせておくべきだったなぁと思います
『シン・ゴジラ』は後のシンシリーズと比べるとやはり別格ですよね。内輪ウケの映画じゃなくて、大人向けではありますけど、広い客層に見せようとしてたと思います。広い客層に訴求する映画作りが必ずしも良いこととは思わないんですが、ただシンゴを作れた人がなんでシンカメではこんな二次創作みたいなのを作ったんだろうって不思議な気はします。