《推定睡眠時間:30分》
擬古調の演出というのが嫌いでやるんなら徹底してやれよと思うんですが擬古調演出を採用する映画ってタランティーノ&ロドリゲスの『グラインドハウス』みたいにその古さを格好良さとかユーモアとして用いるから徹底しない。あくまでも演出としての擬古調で、それが観客にどう見えるか、どんな効果を与えるかっていうことを考証よりも優先する。これがなんだか安っぽいし不誠実な気がして嫌なんだよな。たとえば1960年代の映画を本当にリアルに再現しようとしたら、当時の映画制作時術は今に比べて当然ながらすべての面で洗練されていないから、それは格好良さでもユーモアでもなく単に退屈さとか稚拙さとして観客に受け取られるかもしれない。
でもたとえそうなったとしてもそうしろよという話なんですよ。なんつーんすかね過去の映画とか歴史というものに対して敬意がない感じがするじゃないですか。おめーのオモチャじゃねぇんだよみたいな。おめーの映画よりおめーがネタにしてる古い映画の方が全然芸術として優れてるんだよ! …みたいないやそこまでは思いませんけれどもさ。まぁでもそういうのあるよ。あるの! 俺は!
でこの『パール』ですけれども前作『X エックス』は1978年とかかな、なんかそのあたりが舞台だからいわゆるグラインドハウス処理っていうのを画面に施すわけですよ。わざとフィルムが傷ついたようなノイズ入れたりとかそういうやつ。まぁそれが下らなかったね。なんという手垢のついたヘボ演出、超低予算ホラーを撮る田舎のバカモノどもがその手のグラインドハウス処理を編集ソフトで簡単にできたからみたいな理由で用いるのであれば可愛げもあるけれども、これA24が配給してるそれなりに金のあるホラー映画だろ。しかも最初っから三部作で作ろうとしてたわけだろ。
てめぇ金あるんだったらもっと本気でやれよしょうもねぇ小手先の子供騙しやりやがって…それで内容の方もここが見所というものがない薄い田舎ホラーでつまらないとまでは言わないが大して面白くねぇじゃねぇか。まったく面白くないならまだしも金はそれなりにあるからちょっとは面白いとかそれはホラー映画にとってもっとも不名誉なことだと思うな俺は! なんだこの野郎優等生ぶりやがって、本音を晒せ本音を! こんな観客の誰も怒らせないような八方美人映画なんか作って満足してんじゃないよ!
と、まぁダイジェストにすればそんなようなものが前作『X エックス』を映画館で観た俺の感想だったので、その続編『パール』に対する期待は限りなくゼロに近いゼロであった。案の定映画が始まると杜撰な擬古調演出が今回も始まる。これは前作の前日譚(※前作が物語の終点ならこちらは起点で、次があるとすればその中間にあった出来事が描かれると思われる)なので時代設定は第一次世界大戦下1918年、言うまでもなくサウンド付き映画はまだ普及しておらずカラー映画は10年以上先の出来事だが、そのビビットな色彩の際立つ映像世界と主人公パールのキャラクターは1939年の『オズの魔法使』を彷彿とさせ、なにやら古めかしいフォントのオープニング・クレジットは本編映像に直接載る1950年代以降の映画に見られるスタイル、1918年という時代らしさを意識した形跡はなくなんとなく古い映画っぽい感じだけあるのでオープニングの時点でもうげんなりである。
物語の方も前作が大したことがなかったのだから当然だが今回も大したことがなく、狭く貧しい農場暮らしに嫌気が差している主人公の田舎娘パールはひょんなことからブチキレて家族等々を殺してしまい、絶望の底で知った映画スタア発掘オーディションに一縷の望みを託すが…という感じなのだが、お前が1918年の何を知っとんねんと言われればそれまでだがこれはいささか現代的価値観に沿って都合良く悲劇化されすぎだろう。1918年ですよあーた。現在2023年の100年以上前のプロテスタントの国の田舎のお話ですよ。主人公一家はアメリカに馴染めないドイツ移民という設定だが、そうだとしても現代アメリカ人のような形で「こんな私は本当の私じゃない!」なんてことに人を殺すほど悩まないだろう。自由とか個人というものの捉え方が違うんだから今と100年前じゃ。
そんな境遇のヤングウーマンが映画を見てスタアになる夢を見ましたっていうのも説得力がないよな。それこそ『オズの魔法使』を見て「私だってジュディになれる!」って夢見る人の話ならわかるよ。それは大いにわかるじゃないですか。だけど残念ながら劇中の時代設定は前作の時代設定に合わせる形でそうなったのか1918年だから1939年の『オズの魔法使』は出せないんだよ。だからパールはサイレントのレビュー映画(この映画館もまた1918年の田舎の映画館には見えないんだよ!)を見て私もこんな風になりたいとか思うんですけど無理があるだろ無理が。そういうのもう本当に嫌だね。これは考証後回しのオシャレ擬古調撲滅署名運動を開始すべきかもしれん。
と、散々な書き散らしっぷりでありますが、いい加減な演出に彩られたいい加減な物語を一丁前に大真面目にやってやがるしゃらくせぇ序盤~中盤を寝てスルーすれば後半はなかなか悲惨で楽しい、『キャリー』タイプの恵まれない少女的人物がついに爆発という展開なのだが殺人描写の一つ一つがなかなか丁寧かつ厭な感じに作り込まれており、死体をバラバラにする時にそのねっちょりした切断面を大写しにするあたりの律儀な悪趣味に序盤で付いたマイナスイメージずいぶん払拭、パールを演じたミア・ゴスの気持ち悪いが同情したくなる壊れた人芝居も堂々たるものでラストの人格崩壊は多少言い過ぎの気はあるとしても『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンがチラついたりチラつかなかったり。いや、どちらかといえば『マルホランド・ドライブ』のナオミ・ワッツかな。
終盤は面白かったというのは擬古調をスッパリ捨てたからというのもある。完全に現代の映画として撮っているし、現代の映画なんだからそれが普通なのだが、普通に撮ってちゃんと面白くなってるわけだからじゃあ擬古調いらなかったじゃんと思う。前作もそうなのだがもしかしてこのシリーズって時代を表現するための中途半端な擬古調が作品の良さを消すノイズになっていないだろうか。『犬鳴村』には恐怖回避ばーじょんがあるわけだし『エックス』三部作も擬古調エフェクトなしバージョンを作ってみて、ついでに前作も今作もわざわざ90分ぐらい上映時間をかけないと描けないほどの内容はなかったので、次回作も含めて再編集して140分ぐらいの映画1本にまとめた特別編集版というのも作ってみてはどうか。とか思っちゃう『パール』でしたね。
【ママー!これ買ってー!】
パールがカカシとホニャララするシーン(構造的にできるのか?)があるぐらいなので『オズの魔法使』は絶対イメージソースにしてる。