渋谷の老舗ミニシアター、イメージフォーラムの今や看板とも言えるウクライナの映画監督セルゲイ・ロズニツァ作品上映、今回はなんと2本立て(※別料金)の夏休みスペシャル。ロズニツァ映画を! 2本立てで!? 3時間超えは当たり前な気がしているロズニツァ映画をそんな何本も観れないよと予告編を見たときにはうろたえたが大丈夫今回のロズニツァ映画は2本とも観客にやさしい上映時間約100分。超硬派な社会派映画を連発するロズニツァが100分に映画を収めているんだから150分ぐらいかけて白々しい説教と陳腐な日常回帰ぐらいしか描けないハリウッドのアメコミ映画などは大いに反省してほしいと思うがその話は関係ない上に飲み屋の愚痴にしかならないのでバッサリ切り上げ今回の2作品『破壊の自然史』『キエフ裁判』の感想をどーぞ。
『破壊の自然史』
《推定睡眠時間:40分》
なんだかいつものロズニツァ映画と毛色が違うなと感じた理由はおそらくクラシック曲のBGM使用にあり、ロズニツァの代名詞であるアーカイブ映像を切り貼りしたドキュメンタリー映画では元フィルムには存在しないと思われる音声トラックを埋め合わせるため、そしておそらくはその作為によって意図的にフィクションとノンフィクションの境目に観客を誘導するため、雑踏の音などのノイズ的効果音はふんだんに付けられているが、劇伴が付けられていることはほとんど、というか日本公開された作品に限って言えばひとつも無いんじゃないだろうか。
第二次世界大戦末期の連合軍によるドイツ本土の絨毯爆撃を題材とするこの映画は美しい自然風景と市民の日常風景から始まる。それがいつの時代のどこに町なのかは説明もないし判然としないが、ともかくこうした牧歌的な風景はおどろおどろしい劇判と共に暗雲に呑まれていく。次の映像は連合軍の爆撃機に搭載されているらしいカメラからの映像。最初は暗くて何も見えないが、やがてその暗闇にポツポツとオレンジの光が灯り始める。光は次第に数と大きさを増し、それはひとつひとつが火の手であることがわかってくる。これが絨毯爆撃の光景であった。
先の日常風景も合わさってなんとも凄惨なシーン…であるはずなのだが、劇判のせいでまるでオペラか何かのように見えてしまうという皮肉は、この映画でロズニツァが狙ったことだろうか。その破壊の光景は恐ろしくも美しい。否応なしに思い出すのは東日本大震災時の気仙沼の市街地火災の映像である。当時リアルタイムであの光景、真っ暗闇の中にただ禍々しい炎だけが燃えさかる光景を見ていた俺は、これは地獄の風景だ、この世の終わりだとさえ思った。しかし隠さずに言えば同時に俺は確実にその光景に魅了されてもいたのである。理性では処理できないくらいあまりにも途方のない破壊は、加害者はもとより被害者にさえ、怒りや悲しみよりもなにかパァっと心が晴れるような印象を与えるのかもしれない。
その陶酔感をやや露悪的に表現したものがこの映画だったのかどうかはロズニツァのみぞ知るだが、巨大な破壊の持つ崇高や快楽を理解することは、人間の手による巨大な破壊がなぜ起こりえるかのメカニズムを理解することでも、そしてそれを防ぐための情報ワクチンを作ることでもあるのかもしれない。『破壊の自然史』は美しい映画で、そして戦争もまた確かに一面では美しいのだ。それだからこそ、おそろしい。
『キエフ裁判』
《推定睡眠時間:15分》
ロズニツァの裁判ものアーカイブ・ドキュメンタリーはソ連の反革命分子(と治安当局は言う)の形ばかりのハリボテ裁判を描いた『粛清裁判』が日本でも公開されているが、こちらは同じスタイルで第二次世界大戦終戦後にドイツの戦犯が裁かれたキエフ裁判を描く。まぁ、茶番といったらアレですけれども戦勝国による軍事裁判なんか魔女の火あぶりとか王侯のギロチン処刑と本質的には変わりませんわね。一応裁判の形は取っているけれども結論なんか最初から出てるわけだから。このキエフ裁判のケースですともちろん被告のナチス全員死刑、それも公開首つり処刑です。カメラは刑が執行され痙攣する戦犯たちの姿を生々しく捉え、正義の勝利に歓声を上げる群衆の姿をも捉える。
民間人を虐殺したりする戦犯はめちゃくちゃ悪い。これは誰しも了解するところではないかと思う。上からの命令で従わなかったら私が殺されてたとか弁解するやつもいるが、同情および情状酌量の余地なし。これもだいたいの人が積極にか消極的にかはともかくも首肯するところだろう。けれどもその後の公開処刑とそれに湧く群衆の姿を見たときに、これは確かに正義なのだと断言できる人がどれだけいるだろうか? まぁ世論調査をすれば死刑賛成が5割を超える日本なら案外断言してしまえる人も多そうではありますが、俺はやっぱ一歩引いたっていうか、少なくともこの群衆には加わりたくないなぁと思いましたよ。
終戦に伴う軍事裁判は大なり小なり見世物の性質を帯びるものらしく、ドキュメンタリー映画にもなったぐらいだし東京裁判だって当然例外ではないわけですが、おそらく見世物にでもしないと戦争は終われない。終わった気になれない。戦争は戦闘による死だけではなくそれが済んだ後もパフォーマンスとしての殺しを市民に要求する。なるほど戦争とはやはりおそろしいものだ、人間を殺し生き残った人間の人間性もしっかり殺す、やはりやらないに越したことがない。そのことがよくわかるありがたいロズニツァ映画ではあるが、ずっと筋書きの決まった裁判やってるだけなのでそんなに面白くは無い。
【ママー!これ買ってー!】
まぁこうやってDVDとか売ってくれてるからわれわれ戦争を知らないチルドレンも戦争のなんたるかを知ることができるというもので文句は言えませんが、とはいえ軍事裁判の記録を商品化してそれをいろんな人が☆を付けて評価している光景はわりとグロテスクですよねぇ。