【独占スクープ!】ユーロスペース映画『1%er ワンパーセンター』上映中止問題の全貌に迫る!

なんと本ブログ映画にわかの独占記事である。これはすごいことだ。ユーロスペース映画『1%er ワンパーセンター』上映中止問題の全貌が読めるのは映画にわかだけ! ぜんぜん嬉しくない。なぜならこの問題の詳細がおそらく俺のブログでしか読めないのは有名な映画雑誌が仔細に検討して記事にするとは到底思えないからだ。何事にも歴史はある。映画の上映が抗議によって中止された最近の例として、まぁバカな右翼による『アンブロークン』上映阻止運動にまで遡ってもいいが、その類似性からいって新宿ケイズシネマやヒューマントラストシネマ有楽町ほかで予定されていたキム・ギドク監督作特集上映の中止にプロローグ的に触れておきたい。

キム・ギドクといえば世界三大映画祭で最高賞を受賞するなどゼロ年代にパク・チャヌク、ポン・ジュノ、イ・チャンドンなどと並んで韓国映画のレベルの高さを世界に見せつけた監督であった。しかし2017年以降、その映画の出演役者たちから相次いで暴行や性的暴行の訴えがあり、最大級に高まった名声は一気に最底辺に転落。逃げるように(役者を逆に名誉毀損で訴えた裁判でも負けてた)訪れていたラトビアで新型コロナに罹患して死亡というスキャンダラスな半生を遂げた問題人物であった。

そのキム・ギドクの特集上映チラシが配布され始めると折りからのMeTooムーブメントもありツイッター上では猛烈な抗議が行われた。

これを受けて特集上映は中止。俺はそのときのチラシを資料として今も持っているが、まぁそれを読むとですね、キム・ギドクは刑事訴追は受けていないものの名誉毀損を争った民事訴訟では一審でも二審でも負けてるので事実上役者側の暴力&性暴力の訴えは認められたというわけで、正確には犯罪者ではないが準犯罪者というか、役者側が被害直後に警察行ってたら証拠も揃ってるだろうから刑事訴追されてたろなみたいな感じなわけらしいですが、そんな事は一言も書いてない。俺はキム・ギドクが極悪犯罪者であっても映画は上映してほしかったが、とはいえその事実にチラシで触れてなかったらそりゃ怒られも発生するだろ、と思ったのであった。

なぜこの件がユーロスペース『1%er』上映中止問題のプロローグとして必要だったかと言えば、まずひとつは、抗議のツイートを寄せたツイッターユーザーの中でとくにリツイート数の多かった上のインフルエンサー3人は、児玉美月が映画ライター、ヤン・ヨンヒが映画監督、Kawakami Takuyaという人はなんかよくわかんないが映画雑誌に文章を書いてるか作ってるかしてる人らしい。いわば業界の中の人。中の人の人権意識が高まるのはいいことだ。いいことだが、その副作用が今回のユーロスペース『1%er』上映中止問題ではないかと俺は思う。つまり、キム・ギドク特集上映中止という出来事が業界の中の人によって変に「正しく」なされてしまったがために、今回もまた正しいのだろうという先入観が出来てしまい、そのためにキム・ギドクの件と『1%er』主演・坂口拓の件がいかに異なり、果たして同等に扱ってよいものかどうかという冷静な検討が、業界内でできなくなってしまった。

とくに児玉美月という人はおそらく日本の若手映画ライターの中ではトップクラスに売れている人で、おもに女性監督によるヨーロッパの映画なんかの上映があると、必ずと言って良いほどこの人の推薦コメントが載っているから、今の日本の映画興行には大きな影響力を持つ人である。そして同時に、この人は今の日本で一番影響力がある(というか他が全然ない)と思われる映画雑誌「キネマ旬報」の星取りクロスレビューコーナーの看板レビュアーでもある。児玉美月自身は現在ツイッターを完全告知用としているため今回の『1%er』炎上には1ミリも関わっていないのだが、後述するけれども脚本家の港岳彦や映画カメラマンの早坂伸といった業界人もユーロスペース批判を展開する中で、キネマ旬報がこの問題を俯瞰的に検討できるとは到底思えない。まず、業界関係者から大いに嫌われて今後の経営に支障が出る可能性があるし、児玉美月目当てでキネ旬を買ってるような若い読者からだってめちゃくちゃ嫌われてしまうだろうから。これは致命的である。

映画雑誌といえば最近自称・日本で一番売れていた映画雑誌の「映画秘宝」がごく最近復刊を遂げたが、じゃあ映画秘宝はこの問題をあくまでもジャーナリスティックに取り上げることができるだろうかといえば、その可能性はハッキリ言ってゼロだろう。なぜなら、今回のユーロスペース『1%er』上映に関していち早く異議を申し立てたのは映画秘宝創刊者の町山智浩だからだ。

キネ旬も秘宝も検証記事を書けない。まぁ映画芸術ぐらいは検証記事を書いてもおかしくないが、映画芸術なんか読んでる人が日本全国に80人ぐらいしかいないと思われるので(みなさんそもそもこの雑誌知ってますか!)、書いたところで今回の騒動に加わった人は誰も読まない。なら週刊誌のたぐいはどうか? バカ書くわけないだろ、今じゃあかつては下劣な芸能スキャンダル(ベッキーが不倫したとかそういうの)で日銭を稼いでた週刊文春が我こそは正義の味方でございという面して性暴力告発系の記事を連発してるんだから。文春がスクープした榊英雄レイプ事件が無事榊英雄逮捕という形で実を結んだ今、「性暴力に関する抗議」の正当性を検証する記事なんか出すわきゃあない。そんなもん読者はまったく望んでないわけだからな。

そんなわけで長くなったがこの話題については我がブログ映画にわかの独占記事と相成ったわけである。なんというネガティブな理由での独占記事か! まぁ、しかし、ほら俺ってやっぱり正義感が強いからな。こういうことはたとえ嫌われても誰かが必ずやらなきゃいかん。どんな極悪人にも弁護士をつける権利があるのと同じだ。いわば取引先である業界人から嫌われたくないから、そして客から嫌われたくないからとかいう恥ずべき理由でこの異常事態を黙認する日和見主義の映画雑誌なんか無視して、その汚れ役を俺が引き受けてやろうではないか。やはり映画版『ウォッチメン』のロールシャッハに強い感銘を受けた世代の映画ファンだからな俺は!

事の経緯をおさらう

事件はリアルで起きてるんじゃない…ツイッターで起きてるんだ! 俺の中の青島刑事もこう仰ってますし、まずはツイートを並べて事の成り行きを追ってみましょう。

実はこの騒動、昨年より秘かに始まっていた。『1%er』の当初の上映館は新宿武蔵野館。2023年冬の公開予定だったのだが、その少し前になって上映中止が発表された。リンク先の記事は既に削除されてしまっているので現在は読めないが、俺の記憶だと「諸般の事情により」上映中止と書いてあったと思う。まぁ諸般の事情なら仕方ないな…何かは知らんが…と、この時点では俺も含めてほとんど誰も気にしていないのだった。しかし今にして思えば、新宿武蔵野館は坂口拓の主演作『狂武蔵』を少し前に上映してた映画館でもあるので、けっこうよっぽどのことがあったのかもしれない。詳細はしかし、「諸般の事情」のため不明である。

というわけで今年3月1日に新たなる公開日と新たなる上映館が決定。そのひとつとして館名が挙げられていたのがユーロスペースであった。そしてここから事件がはじまる。

…えー、もうこれぐらいでいいでしょうか。とにかくものすごい非難囂々。それも観客じゃなくて業界人ばかり。というか上に挙げたのたぶん全部業界人です。しかも中にはイスラーム映画祭というユーロスペースの恒例行事の主催者の人、いわばユーロスペースの直接の取引先までおる。このものすごい非難を受けてユーロスペースが声明を連投。

声明のスクリーンショット1

まずはスタッフ一同が共同声明。

翌日、支配人名義で正式に上映中止の声明。これにて一件落着…では全然ないからこういう検証記事を無銭で書いてるんだよ俺は!

坂口拓の性加害加担疑惑とは何か?

『1%er』という映画の主演は坂口拓という役者である。ではツイッターの抗議者やユーロスペース側も触れている坂口拓の性加害加担疑惑とはいったいどのようなものだろうか? 騒動の火付け役の町山智浩が丁寧に解説記事のURLをつけてくれていたのでみんなはそんなの読まないでしょうが俺はちゃんと読んでみました。

園子温監督の “性加害” 疑惑報道で坂口拓が「俳優Tは私」と名乗り…肝心の “自宅連れ込み” には触れず「謝罪になってない」との声も

上の記事は坂口拓が自分のYouTubeチャンネルで謝罪動画(現在は非公開になっている)で園子温と結託して園子温に役者の千葉美裸をレイプさせようとしたんじゃないか疑惑に大して坂口拓が中途半端な謝罪動画を出したというもの。その大元の話…坂口拓が園子温と結託してたんじゃないか疑惑の詳細を書いた記事が俺は読みたかったのだが、おそらくその記事を出した週刊女性と週刊文春(ほかにも著名ツイッタラーなど)を相手取って園子温は名誉毀損で民事訴訟を起こして、週刊女性とは和解、週刊文春とは現在係争中のためか、当該記事をネット上で見つけることはできなかった。

ただ千葉美裸の断片的なツイートを見る限りでは概ねこんなようなことらしい。役者の森本のぶが主催する飲み会(その場には坂口拓と『1%er』監督の山口雄大も同席)に千葉美裸が呼ばれ、帰ろうとすると強引に引き留められたので嫌な思いをした。後日坂口拓から謝りたいからランチでもと誘われ言われた場所に行くと園子温の家で、最初は3人で話してたがやがて坂口拓の電話に着信があり坂口拓その場を離脱、二人きりになったら園子温が千葉美裸を触ったり脱がせたりしようとしたので千葉美裸は逃げ出した。で、千葉美裸はその経験から坂口拓が園子温と結託してたんじゃないかと疑っていたというわけである。

坂口拓の行為の犯罪性を考える

まず第一に、この件の真実を客観的に知ることは今となっては誰にも不可能だということを確認する必要があるように思われる。たとえばその日の出来事を記録した動画があるとか音声があるとか。そういうのはないので、千葉美裸の主張を信じるか園子温の主張を信じるか坂口拓の主張(何も主張してないのだが)を信じるかはその人の主観に依存せざるを得ない。

そこにたとえば警察が入れば警察はあれこれ捜査をして実際に何が起こったかということの証拠を探すが、この件に関して千葉美裸は被害届を出していないようなので刑事事件になっておらず、そのため捜査は(おそらく)行われなかった。また、これもそういう情報が見つからなかったことからの推測になってしまうのだが、千葉美裸が園子温を相手取った民事訴訟も行われなかった。そのためこの件に関しては第三者が入っておらず、当事者三者それぞれの支持者も現場に居合わせたわけではないので、さながら黒澤明の『羅生門』状態というか、真相はまさしく『藪の中』(映画版『羅生門』の実質的な原作)なのであった。

しかし、『1%er』上映の抗議者の多くは千葉美裸の主張だけが真実だと頑なに信じているように思われる。それはおそらく千葉美裸が告発から約1年後の2023年2月に自殺を遂げたことも大きく影響している。

園子温監督の“性加害”を告発した元女優・千葉美裸さんが自殺していた(文春オンライン)

性被害を告発後、SNSなどで誹謗中傷が寄せられ、それに悩んでいたのは事実。ただ、もともと彼女には重い持病があり、育児にも悩んでいた。性被害の告発は一つの要因だと思いますが、病気や家庭の悩みも大きかったようです

上記の記事中には匿名関係者談として以上のように書かれているが、千葉美裸の支持者、とくに生前この人と親しかった早坂伸と港岳彦はその死に大いにショックを受けて、これは園子温のせいだと確信したとしてもおかしくはないし(実際はどうか知りません)、だとすればその場に同席していて千葉美裸が共謀を主張していた坂口拓も同罪と考えるのは自然な流れだろう。しかし、その感情は理解できるとしても、依然として千葉美裸・園子温・坂口拓の間で実際何があったか客観的には証明のしようがないということは、改めて書かなければならない。誰が有罪とか無罪とか犯罪者とか潔白とかではなく、誰が有罪か無罪か、犯罪者なのか潔白なのか、誰の話を信じるべきなのか、「客観的に判断できない」というのがただひとつの客観的な事実なのである。たとえ坂口拓が「すいません実は園子温と結託してました」と言ったとしても、そう言うということはその証言が事実である蓋然性は高いが、それを客観的に事実と証明することはできないのだ。

あくまでも俺個人の何の根拠もない想像として言えば、まぁたぶん坂口拓は「この人とか園さん好きそうだな~」なんて思って千葉美裸を園子温に引き合わせたんじゃないだろうか。ただ、園子温がレイプするとまでは思っておらず、あくまでも口説くだけだと思っていたので協力した、とか。そうだとすれば坂口拓が町山智浩の書いている「置き去り疑惑」の詳細を話したがらないのも理解できる。園子温の口説きの手伝いをしなかったと言ってしまえば嘘になるが、手伝いをしたと本当のことを言えば「でもレイプするとまでは思わなかった」などと主張したところで誰も耳を傾ける者はいないので、役者生命は(今の業界の空気では)完全に終わるだろう。以上は繰り返しになるが、すべて完全に俺のイマジネ~ションが生み出した想像である。

さて、俺の想像はいいとして、もしも千葉美裸の主張が全面的に正しく、坂口拓が園子温のレイプに(そうなることを知って)協力したのだとすれば、これは強制性交罪などの幇助にあたり、立件されれば犯罪である。では坂口拓があくまでも園子温が口説くだけだと思って協力した場合はというと、これは道義的にはともかく刑事罰に問うのは難しいんじゃないだろうか。それでは本当にただ千葉美裸と園子温を引き合わせるためだけに3人での家飲みをセッティングしていて、電話で席を外したのも嘘ではなく本当に電話のために席を外していたらどうかといえば、これは犯罪性がないのはもちろん、道義的にも問題がないだろう。

いずれにしても、少なくとも現時点で坂口拓が性犯罪の幇助を行ったと断言できる材料はないので、坂口拓の罪の重さ(あるいは罪の無さ)をどう見積もろうと、それは個人の主観的な想像を超えるものにはなり得ない。

「疑惑」で映画の上映を中止することの問題を考える

これにはいくつもの問題があるので、それぞれ切り分けて考えてみよう。

人権侵害

人権といわれても漠然としてよくわからないので、法務省のサイトを検索してみたら、このような人権侵害事例が出てきた。

[相談内容]全国的に報道された刑事事件に関連して、当該事件とは無関係の被害者が当該事件の被疑者の関係者であるとする虚偽の情報とともに、被害者の氏名や画像がインターネット上のブログ、SNS、動画投稿サイトに掲載され、個人の名誉・信用等を毀損し、又はプライバシーが侵害されている。

[措置内容] 要請
法務局で調査した結果、当該書き込みは被害者のプライバシーを侵害し、又は名誉・信用等を毀損するものと認められたため、法務局から当該サイト管理者等に対し削除要請を行ったところ、すべての画像及び書き込みが削除されるに至った。

措置内容の方はどうでもよいが(よいのか?)、ともあれ国が「全国的に報道された刑事事件に関連して、当該事件とは無関係の被害者が当該事件の被疑者の関係者であるとする虚偽の情報」の流布を人権侵害と認定しているのだから、それによる主演映画の上映中止の訴えなど立派に人権侵害だろう。もちろん抗議者は「虚偽の情報ではない」と反論すると思うが、客観的に坂口拓の犯罪を立証することが不可能であることは先程書いた通りなので、もやもやは残るとしても人権擁護の意思が少しでもあるならこのもやもやは受け入れてもらうしかない。

人権を擁護することはたいへん大事である。なぜなら、千葉美裸が園子温から受けたと主張する性行為の強要もまた犯罪であると同時に人権侵害だからである。あの人の人権は守るがこの人の人権は守らなくていいとかそんなものは人権擁護ではないというか人権の概念を理解していない。

人権とは,すべての人間が,人間の尊厳に基づいて持っている固有の権利である。人権は,社会を構成するすべての人々が個人としての生存と自由を確保し,社会において幸福な生活を営むために,欠かすことのできない権利であるが,それは人間固有の尊厳に由来する。
法務省-人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について(答申)

以上が人権の概念であり、人権はその普遍性・無差別性によって担保されている概念なのである。だからもしその普遍性を無視してあの人は悪人ぽいから人権擁護しなくていいやとか考えるのなら、その考えによってその人は人権の概念そのものを放棄・破壊しているのである。

※この点に関心がある人は悪名高い女子高生コンクリート詰め殺人事件の実行犯の一人とネット上で噂されやがて執拗な中傷を受けることとなった元祖炎上被害者スマイリーキクチによる『突然、僕は殺人犯にされた』をぜひともご覧下さい。

表現の萎縮

坂口拓の犯罪行為加担疑惑は再三述べた理由によってどこまで行っても「疑惑」の域を出ない。園子温が記事の真偽を巡って係争中という今の状態ならなおさらである(そして園子温の訴えが退けられた=週刊文春の記事が事実と認定された場合でも、それは坂口拓の行為加担を立証するものではない)。そのような「疑惑」に基づいてある映画の上映を中止するというのならば、たとえば『オッペンハイマー』は原爆を賛美する映画だという「疑惑」に基づいて上映を中止することも正当化されてしまう。これがどれほどバカげたことなのかは多少なりとも(まぁこの薄っぺらいブログを読んでるくらいは)映画に興味がある人なら理解できるだろうと思う。

冒頭でもちょっとだけ触れたことだが今から10年前にはアンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』が反日映画だとしてネット右翼の非難が殺到し、本来シネコンで上映されるクラスの映画なのだが結局は都内のミニシアター・イメージフォーラムでひっそり小規模公開されるに留まるという今のキャンセルカルチャーの先駆けのような事例もあった。俺はこの事件をちゃんと覚えているので風説に基づく上映中止など言語道断と思ったのに、みんな忘れてしまったんだろうか? 忘れてしまったんだと思う。なぜなら、このときに『アンブロークン』を反日映画として叩く記事を出したのは産経新聞ともうひとつ、週刊文春だからである。すいません大事なところなので太字にしました。

公開前に大炎上した『不屈の男 アンブロークン』は本当に反日映画なのか?(フィルマガ)

文春、産経の「反日」攻撃でアンジーの映画が公開見送りに! ネトウヨが作る検閲社会(リテラ)

「ネトウヨが作る検閲社会」の文字が今となってはめちゃくちゃ皮肉である。ま、煽ってるのは同じ週刊文春なんですけどネ!

法の軽視と自警主義の助長

ユーロスペースの支配人声明文によれば、警察の捜査結果(坂口拓の犯罪は立証できない)よりも詳細不明の関係者へのヒアリング結果を重く取り、上映中止の判断に至ったのだという。この点に関しては後述の配給側の問題もあるように思えるが、それはひとまず措くとして、こうした声明が「正しいこと」としてネットに広く流通してしまうのは、法の軽視および自警主義の助長にも繋がり、それこそ性暴力被害者救済の立場に立てばむしろ被害者の状況を悪化させる、非常によろしくないことだと思われる。

その理由はひとつに、犯罪の立証されていない人物を犯罪者と同等視してしまえば、これは人権侵害であるだけでなく裁判によって有罪・無罪・罪状を決定するという法制度を無効化し、法律の力を弱めることになるからであり、もうひとつには、結局警察なんて頼りにならないからと性暴力被害者を警察から遠ざけてしまうからである。性暴力というか、あらゆる犯罪被害がそうだが、まずはとにかく警察に行って被害届を出すというのがどんな場合でも被害者自身のために行うべき最優先事項である。とくに性暴力の場合は精液などが被害直後であれば証拠として採取出来る可能性があるので、なにがなんでもとにかくいち早く警察に行くべき。いやマジで。

法の警視と自警主義の蔓延は決して犯罪被害者のためにはならない。これは警察とか検察とか裁判官を信用しろという話ではなく、別に信用しなくてもそんなの全然いいから、それはともかくとして自分たちだけで問題を解決できると思うなという話であり、そして法律というのは、成文化されていようがなかろうが、人権と同じくみんながそれが存在すると信じるときにだけ効力を発揮するひとつの約束事であり、ひとたび「そんなのないよ?」と本当のことを言ってしまえば、もうみんな法律なんかバカらしくなって守らなくなるということである。そんな無法の世の中を望むならそうすべきだが、望まないならそうすべきではない。

「二次加害」の誤用・濫用

『1%er』の抗議者の中にもそう書いている人がいる「二次加害」という言葉。ユーロスペースの上映中止理由も「二次加害」の防止ということになっているし、冒頭に挙げたキム・ギドク特集上映中止事件でも、その旗振り役であった児玉美月はそれを中止すべき理由としている。では「二次加害」とはいったいどのようなものであろうか。

実は、「二次加害」というのは最近になって作られたと思われる日本オリジナル(おそらく)の造語であり、その辞書的な定義はない。今の日本のネット空間や新聞・雑誌などは当たり前のように「二次加害」と書くのでそういう用語がなんか知らんが犯罪被害者学とかの分野で使われているんだろうとなんとなく思っている人が大多数ではないかと思われるが、「二次加害」という学術用語は存在せず辞書にも載っていないので、これは少なくとも今の段階では俗語のたぐいであることを最初に知っていただきたい。その根拠は、だって探しても実際にないからである。ないものは探しようがないのだ。

「二次加害」は本来「二次的被害」といい、これは英語でSecondary victimisationという。こちらの方は専門家の間で何十年か前から使われだした正式な(?)用語だが、その文脈はおそらく今一般に流布する「二次加害」とは趣を異にするものだろう。ネットで二次的被害と検索してもその辞書的な定義を典拠と共に示すものは実に少ない。そんな中、警視庁のサイトにある意見:「二次的被害」の用語変更の可否についてというPDFファイルの中にこの言葉のちゃんとした定義があったので、その部分を引用しよう。

犯罪等によってゆがめられた正義と秩序を回復するための捜査・公判等の過程で、犯罪被害者等は負担を負い、時には配慮に欠けた対応による新たな精神的被害(二次的被害)を受け〔中略〕さらには、周囲の好奇の目、誤解に基づく中傷、無理解な対応や過剰な報道等により、その名誉や生活の平穏が害されたり、孤立感に苦しむことも少なくなく、支援を行う各機関の担当者からさえ心無い言動を受けることもある。

では英語のSecondary victimisationではどうか。英語はわかんないので(恥)ウィキペディアのSecondary victimisationページをGoogleに翻訳してもらった。

二次的被害(またはpost crime victimisationまたはdouble victimisation) とは、最初の被害の報告後に刑事司法当局からさらに被害者を非難することを指します。

つまり「二次的被害」とは、性暴力被害者が警察などの公的機関に相談する際、担当者に話を信じてもらえなかったり雑な感じで聞き流されるみたいな不適切な対応を受けること、を指す言葉なのである。現在の日本ではそこに上の引用部にある「さらには、周囲の好奇の目、誤解に基づく中傷、無理解な対応や過剰な報道等により、その名誉や生活の平穏が害されたり、孤立感に苦しむこと」も含めて「二次的被害」と呼んでいるようで、それは警視庁の二次的被害防止パンフレットを見ると確認ができる。要するに、性暴力被害者にはやさしく接してあげてくださいということである。

まず第一に、基本的に「二次的被害」とは性暴力被害者の対応を行う公的機関の担当者の心得であり、確かに担当警官が半笑いで被害者に被害のディテールを聞いたりしたらそれは被害者の側はムカつくと思うので、そんなことはすべきではないのだが、そうだとしてもそこに「加害」があるかと言えば微妙なところであり、であるからこそかどうかは知らないが、少なくともこの用語は「加害者」を糾弾するものではなく、あくまでも無理解によって生じる「被害」を可視化するための概念である。したがって第二に、これを理由に、更には「被害」を「加害」と呼び変えて、お前の行為は二次加害だなどといってそうした公的機関に属さない民間人を糾弾するというのは、この「二次的被害」という用語の想定するところではない。そしてもっとも重要な第三は、「二次的被害」の意味をどれほど拡大解釈しても、「映画を上映することが性暴力被害者の二次的被害になる」という理屈を通すのはきわめて困難な、いやおめーそれは言いがかりだろ! としか言いようがないということである。

俺はこれは言葉の暴走だと思う。誰もがその言葉の正確な意味を知らないままになんとなくぼんやりとそれを「正しそうだから」「優しそうだから」という適当な感覚で乱用・濫用しているうちに、言葉の正確な意味は失われ、誰か何かを非難するための武器となってしまう。学生運動の連中の言う「総括!」とこれは同じではないだろうか。最初はそこに性暴力被害者の負担を軽減するという理念も意味もあったものが、無責任で無節操な世間によって理念も意味も剥ぎ取られてしまった。それどころか言葉自体もいったい誰がそんなことをしたのか知らないがその使用者にとって都合良く「二次加害」と書き換えられた。もう一度言うが「二次加害」は国際的には存在しない概念であり、おそらく日本に固有の俗語である。

以上踏まえた上で常識的な観点から(と思いたいが…)改めてこう言っておく必要がある。映画を上映することは「二次加害ではない」。

ユーロスペース側の対応の問題

実はほんの昨日ぐらいまではユーロスペースの対応に幻滅しふざけんじゃねぇと思っていたのだが、この記事を書くためにツイッターでの炎上規模を調べたところ、まぁはっきり言ってこれはしょうがない、ユーロスペースの上映中止判断は悪くないよ、と今は逆に同情的になった。なにせ先程並べたようにとにかく猛烈な非難が、それも業界関係者から寄せられたのである。大手シネコンならともかくユーロスペースみたいな毎日食ってくのがやっとみたいな小規模資本のミニシアターがこんな大規模なネガティブキャンペーンに耐えられるわけがない。その中にイスラム映画祭主催者みたいなお得意様もいるなら尚のことである、とはさっきも書いたかごめんねほらもうおじいちゃんだから記憶がさ…。ともかく、ユーロスペースはこの件に関して言えば、被害者といっていいと思う。

配給・坂口拓側の問題

これはなかなか判断が難しいところで、ユーロスペースの声明文を読めば警察の捜査によって坂口拓の潔白が証明されたと配給から説明を受けたため上映に踏み切った(そして中止した)とあるが、先に書いたとおり千葉美裸の件は事件化されていないので、これはおかしな説明である。もしかすると千葉美裸は被害届を出したのかもしれない。そして捜査は行われ、その結果立件は難しいということで園子温も坂口拓も不起訴になったのかもしれない。そうであれば坂口拓の潔白が「証明」されたものではないにせよ、少なくとも犯罪者として扱うことはできないわけだから、警察によって云々の説明も理解できる。あるいはもしかすると警察によって云々の説明は嘘なのかもしれない。その場合は確かに配給に非があるが、そもそもの話として坂口拓自身が現在実質的にネットの風評による人権侵害状態にあるのだから加害者どころか逆に被害者といえるわけで、企業としての不誠実は問題だとしても、そうした理不尽な状況を作った週刊誌報道やツイッターのインフルエンサーに、その根本的な責任はあるだろう。

結局誰が悪いのか?

いったいなんでこんなことになってしまったのだろう。きっとみんな自分が良いことをしているつもりで何かをしているはずなんである。ツイッター上での抗議も、それを受けての上映中止も、その前の上映決定も、あるいは『1%er』という映画を作ることも、それを配給することも。ユーロスペース『1%er』上映中止問題については「そもそも大元の映画監督(報道以前から作品自体が心底嫌いでした)が和解という名の有耶無耶な結果を得たのが問題で、責めるならこの人をまず責めるべき」という的外れで呆れた見解を持つキネ旬寄稿ライターもいるが、いったい誰が悪いのかという話をやはりしたくなるのが人間というものだろう。リベラルが悪いとか、園子温が悪いとか、サブカルが悪いとか(残念な生き物だなぁ)

しかし俺がこの問題を掘り下げながら考えていたのはオウム真理教のことであった。俺は脚本公募に応募する脚本を書くために半年ぐらいオウムの本ばかり読んでいたことがあるのだが(※その脚本は新人シナリオコンクールの三次とかで無事落ちました)、その時に本を通して垣間見たオウム真理教の内情と今回の炎上騒動は重なるところがある。それはオウム真理教の誰一人として自分が悪いことをしているとは思っていなくて、みんな自分が良いことをしているのだと思っていたし、そしてオウム真理教という組織全体がいったいどんな悪を成しているのか把握していた人は、おそらくグル麻原を含めて誰一人いなかったということであった。

そりゃ悪事の総責任は麻原にあるだろうけど、あの人オウム全体を俯瞰して統率できるほど頭よくないですよ。だから元を正せば自分が早川とか村井とかに真島の死体を焼却させたのが悪いとはいえ、麻原自身もオウムという身の丈に合わない巨大組織の中で自分を見失って組織に流されたという面はあると思うんですよね。だからオウムはあれほど暴走したと言えるわけで。麻原が組織をちゃんと統率できてたら普通に考えてサリン撒くみたいな自滅的な行為には出ないですから。あいつ保身の塊ですからねマジで。小物なんですよ小物。

…いや、麻原のことはどうでもいいのだが、オウムという組織の中で生じた「みんな自分は良いことをやっていると思っていて、でもその良いことが積もりに積もり集まりに集まったときにトータルでどんな悪いことをもたらすか、把握できていた人は誰もいない」という状況が、どうしてあれからウン十年後の2024年になって再び現れてしまったかといえば、俺はツイッターのせいだと思ってる。ツイッターが可能にした人と人との過剰接続と、それによる個人への情報流入量の爆発的増大が、ツイッターユーザーに正常な判断力や批判力を失わせている。

詳しくは私がnoteに書きました「ぼくのかんがえるさいきょうのツイッターとBlueskyの違い論(SNSにソーシャルディスタンスを!)」をお読みくださいとここで唐突に自画自賛的宣伝になってしまったので頑張ってこの一万字以上の記事を読んできたみなさんは怒りのあまりスマホを壁にぶん投げているかもしれませんが、まぁ、あれだ、ツイッターが悪い! こういうことになったのはツイッターが悪いと考えれば、少なくとも誰かを名指しでワルモノ扱いするよりも全然平和で建設的じゃないだろうか! 俺はツイッターでさんざん町山さんのせいだとグチグチ文句言いましたけど!(ま、そのへんは有名税ってことで)。だからもうみんなね、ツイッターやめよ? ツイッターやめてみんなでBlueskyやろ? ほら、その方法もnoteの「おい磯野!Bluesky始めようぜ!」っていう記事に書いたから…。

ツイッターちゅうのはね、今やみんなの怒りの感情や悲しみの感情を吸い取って、それを炎上という形でエネルギー変換することによって生きながらえてるシステムなんだわ。浅田彰はこないだ文庫化された『構造と力』の中で資本主義に対する反感さえも「くそー! 俺だって金持ちになってやる!」みたいな資本主義を回すエネルギーとして吸い取ってしまう怪物的なシステムとして、クラインの壺の図像で資本主義を説明したけれども、これと同じことが今のツイッターでは起こっとる。そんなのイヤだと思うよね。でもツイッターの上でいくらツイッターの批判をしたとしても、それはツイートという形でツイッターのコンテンツ=エネルギーを補給する行為になってしまうから、ツイッターの上でツイッターを否定することさえも不可能なんだわ。だからみんなBlueskyやろうぜって言ってんのよ俺は。ツイッターにいると人間は炎上する。その炎上でツイッターは回り続ける。回り続けるから炎上がまた発生する。もう充分。結構。飽きたよお前そればっかでもういいよ。帰れ!

ということでみなさん、この記事の結論といたしましては、ツイッターやめろです。そしてBlueskyで正常なSNSライフを取り戻そう! あ、『1%er』は別にあの、どっかで上映してもしなくてもどっちでもいいです…。

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名無し
名無し
2024年3月6日 8:11 AM

分かりやすくとても面白かったです。素晴らしい記事でした。

匿名さん
匿名さん
2024年3月6日 7:33 PM

物事の善悪をはいかいいえの2択で決めたがったり、自分の指示する説が正であると思い込む人がTwitterでは増えている気がします
色々な人が呑まれていくのを見ていると、自分の考える正義で悪と闘うのはさぞ快楽物質が分泌されるのだろうなと
個人が不愉快だからという理由でコンテンツを排除できる流れができてしまえば、映画秘宝創刊者のコンテンツなんて一発退場だと思うんですが俯瞰的な視点は正義中毒には敵わないんでしょうね

匿名さん
匿名さん
Reply to  匿名さん
2024年3月6日 7:39 PM

あと、この記事は綺麗に纏められていて読み応えがありました!
クズ映画も映画なんだよってのを広めてた編集者がこんな形で作品を排斥する側に回るのは心底残念です

JameGumb
JameGumb
2024年3月11日 12:01 PM

様々な状況や情報が分かりやすく纏められていてとても読みやすかったです。
お疲れ様でした。
「二次加害」という言葉の濫用についての下りは、気概と正義感を感じさせる大変良い文章でした。これからも頑張って下さい。