【ユーネク】『アウト・オブ・ダークネス 見えない影』感想文

《推定ながら見時間:70分》

度肝を抜かれる映画であった。U-NEXTの作品解説を読むとなんとこのホラー映画の舞台は4万5000年前の石器時代、現生人類ホモ・サピエンスと他の覇権を握れなかった残念人類が未だ争っていた時代ということでこれはもうウンコを拭く習慣とか歯を磨く習慣が発明すらされておらずウガーとかアバーとかしか言わない汚らしい野蛮ヒト属が所構わずマンモスみたいのを狩り雄叫びを上げセックスをし儀式のために血を飲んだりするするおそろしい映画になっているに違いないと思い再生ボタンを押さざるを得なかったわけだが、画面に現れたのは全員が全員髪をスタイリッシュに短く切り髭をフォトジェニックにキチンと整え毛皮をファッションショーみたいに着こなすモデルみたいな美形の役者たちである。歯は全員ホワイトニングでピカピカに輝きもちろん欠けている歯など一本もない。

まずその見た目が強烈だが、野原で火を囲むそのホモ・サピエンスの小グループが『13日の金曜日』とかで殺される若者たちがよくやるやつみたいな感じで流暢な古代語でジョークを交えたお話会を始めてしまい女たちは川で洗濯をしながら女として生きることのツラさをフェミニズム的に語り誰一人ウガウガ叫ぶことなどなく理性的に今後の狩猟採集生活について計画を練ったりするときては、もはや悶絶するしかない。こ、こんな…こんなに意識の高い原始人がいるわけがないだろ…!!!

『おかしなおかしな石器人』とか『フリントストーン』みたいなパロディ的なコメディならあえての現代人演出もわかるがこの映画は笑いどころゼロのドシリアスホラーである。テキサスの田舎の与太郎が予算500円で友達と酒を飲みながら撮ったような安いカス映画では決してない。日本では公開が見送られたが映画館で公開される前提のちゃんとお金のかかった映画である。それでこの異次元のノンリアリティはいったいどういうことか。いや、おそらくはだが、逆にお金がかかっている映画だからこそ、いろいろな大人の事情でウンコまみれの臭くて汚い原始人がウガウガ言ってるだけの映画にするわけにはいかなかったのだろう。なぜならそんな映画は誰も観たがらないからだ!

だとしてもこれはヒドすぎる。さすがにこの時代考証も科学考証もガン無視どころでは済まずむしろ考証を積極的に殴りに行くような歴史ものというよりも竹内文書みたいな超古代ファンタジーに近いハイパー歴史修正的演出にはそれなりの演出意図があることが最後の最後で一応わかる作りにはなっているが、それは「実は現代のヒトがやってるVRオープンワールドゲームでした!」とかのガッカリオチではないので、ここまで壮絶なリアリティのなさを正当化するものには完全になっていなかったと俺は思う。

そりゃ確かに紀元前4万5000年のホモ・サピエンスの生活がどんなだったかなんてわかりませんよ。タイムマシンが発明されていない以上はどんな学説も実証できない仮説でしかないので4万5000年前のホモ・サピエンスは荒川区の路上で拾ってきた汚いオッサンなんかよりも10段階ぐらい見た目も知性も洗練されてましたという説を持ってこられても明確な根拠を持って否定できる考古学者や生物学者は一人もいないであろうし、いやむしろDEVOが言うが如く現代人は退化しているのだと考えれば、荒川区の路上でチューハイ飲みながらゴミ箱のヤンマガとか読んでるところを拾ってきたオッサンよりも4万5000年前の石器人の方が進歩していた可能性だってないわけではない、ないわけではない。

ないわけではないかもしれないがそれは常識の範疇で否定していただかないとちょっと泣きそうである。こんなウガウガ感が絶無のオックスフォードとか出たインテリファッションモデルのような人たちが原始人ですと映画に言われてしまうとどちらかといえば9:1ぐらいの比率で荒川区の路上のオッサンに属するこちらとしては立つ瀬が無いではないか。こっちは現代人であるというぐらいしか過去の人に対してのアドバンテージがないのだから4万5000年前の原始人の方がこの映画を観ているお前よりも眉目秀麗頭脳明晰人格優秀完璧無比と言われてしまったらもう勝てないだろ! じゃあ俺たちはなんなのか! 4万5000年前に既に完成形に達していた人類の絶滅途上にある無残な成れの果てでしかないのか…? そんな残酷な…。

あまりのことに平静さを欠いて内容の説明もせずにここまで書いてしまったがこれはいわゆるひとつのNetflix配信ホラーっぽいホラー映画であった。安住の地を求めて原始人モデルの小グループが旅をしていたところ夜闇の中になんらかの気配を察知、その恐怖が徐々にグループを蝕んでいく…というもので魔の「気配」で怖がらせるタイプの雰囲気映画、石器時代だからと目とか牙がたくさんある怪獣が襲ってきたりするわけではない。近い映画でいったらなんだろう、Netflix映画の『バード・ボックス』とか近々前日譚が公開されるらしい『クワイエット・プレイス』とかかなぁ。どちらも俺がケッと思ったホラー映画である。

石器時代のお話なのに楽しいバケモノどころかマンモス的なものもサーベルタイガー的なものも一切出てこないのは本当にどうかと思うし、それになによりこのリアリティ絶無の超古代史観にはつまらないを通り越してムカついてくる。途中人肉食が出てくるがそれを見たこのグループの一人はショックでゲロを吐いたりして感性が完全に現代人、それも家畜を捌いたことなんか一度もない先進国の都会生まれ都会育ち都会暮らしの身も心も都市化された現代英米人の感性なのである(イギリス映画)。日夜野獣と戦ってはその皮を剥いで衣服にしたり骨とか内臓をいじくっては占いなり薬なりなんなりにしていたかもしれない石器時代の原始人の精神がそんなに繊細なわけがないだろう。

先日亡くなったのはロジャー・コーマンだがこれはゴーマンというものである。自分ら先進国の都会人の感性や倫理観は今の時代のスタンダードであるというだけではなく4万5000年前まで遡ってもスタンダードだと思っていやがるのである。この傲慢にはアゼンボーゼン。あまりにも歴史への、いや広い意味での「他者」への関心と敬意を欠いている。エンドロールの最後に現代の都市の喧噪が流れることを考えればこの映画の監督なり脚本家なりプロデューサーなりがこの映画を現代批判の寓話として作っていることは理解するが、その現代というのは要するにニューヨークとかロンドンのことであり、アゼルバイジャンのどこかとかブルキナファソの辺境とかは、この人たちにとって現代ではないのである。もしアゼルバイジャンのどこかとかブルキナファソの辺境もまた現代であり、そこで先進国に比べれば原始人レベルの生活を送っている貧乏人でさえもロンドン在住の金融業者と同じ現代人であるという視点があれば、こんなトンチキな歴史超修正映画を大真面目に作ろうとはしないだろう。

歴史を尊重するとは自分たちではない他者を尊重するということに他ならない。こんな破壊王ローランド・エメリッヒの『紀元前一万年』が歴史ドキュメンタリーに見えてきてしまう厚顔無恥な歴史映画が平然と出てくる現代のイギリス娯楽映画界の終わりっぷりには開いた口が塞がらない。これがはたしてテリー・ギリアムのケッサク汚物まみれ中世譚『ジャバーウォッキー』を生み出した国のやることだろうか? 『アウト・オブ・ダークネス』を作った人は罰としてギリアムが美しき中世幻想を完膚なきまでに破壊すべくリアリティを追求した『ジャバーウォッキー』を103回観て下さい!

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