メシ食うな映画『クラブゼロ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

このあいだ観た『HOW TO BLOW UP』は地球環境を守るためにそして格差社会を変えるために立ち上がった人々が石油パイプラインを爆破する映画だったがこちらの『クラブゼロ』は地球環境を守ると同時に社会によって抑圧された人間の生来のパワーを解放するために座禅を組んで完全絶食する映画でいずれもZ世代と呼ばれたり呼ばれなかったりする現在のティーンエイジャーぐらいがその活動の主な担い手となるのだが実際どうなのであろうか、欧米のZ世代なるものはこんなにやることなすこと極端なのであろうか、それともこれはあくまでも映画向けの誇張表現であって実際はこんな極端な若者は滅多にいませんよだははということなのだろうか。

できれば後者であって欲しいのだが『クラブゼロ』において絶食カルトにハマる生徒たちのプロファイルがわりあい侃々諤々の議論を呼んだルポルタージュ『トランスジェンダーになりたい少女たち』に登場する十代後半になって突然自分がトランスジェンダーであることに目覚めた(と著者は言う)人々と重なるのはちょっと気になるところである。それというのは①裕福で②白人で③親の政治思想はリベラルで④学力は高いことが多く⑤学校のクラブ活動の中でそれに目覚める、とだいたいそんな感じで、俺の観た回には監督のQ&Aがあったので時間があればこのキャラクター像は(欧米でセンセーショナルな話題となった)『トランスジェンダーになりたい少女たち』の影響を受けたものですか、それとも監督が見聞したオーストリア社会の現在が反映されているのですか、とか聞いてみたかったのだが、Q&A開始時点で上映前の舞台挨拶により予定時間20分押しとかいうかなりの激押しっぷりだったので、その後に観るつもりで『ルックバック』のチケットを取っちゃった俺は残念ながらQ&Aには参加できなかったのであった(ちなみにそのせいで『ルックバック』も最初から観られなかった)

なにはともあれ『エターナルズ』のようなハリウッド超大作にもリバイバル的なニューエイジ・カルチャーの影響が明白なのが現代の欧米社会なので、ニューエイジ思想が教育の場にも浸透していたとしてもおかしくはないし、その場合「自分革命」を柱とするのがニューエイジ思想であるから、意識改革から身体改造まで様々なレベルの自分革命の実践が実際にあったとしても、さほどおかしなことでもないのかもしれない。環境問題とか差別問題とか格差問題とかさまざまなでかい問題にインターネットで常接されて陰に陽に「お前の生き方や考え方は間違ってる!」と自分革命するようプレッシャーを与えられているのが今のワカモンというところは少なからずあるであろうから、そこに自分革命を遂げた人と見えるニューエイジ思想のグルが現れれば結構簡単にコロッと行ってしまったりもするんだろう。考えてみればなかなか不憫な世代である。

といささか話が先走ったが『クラブゼロ』は栄養学の特別授業みたいのに参加した高校の生徒たちがだんだんおかしくなっていって親も右往左往というオーストリア産のブラックコメディ。この栄養学の特別授業というのはそのためだけに呼ばれた自分の顔をラベルにした絶食茶を売ってるミア・ワシコウスカが講師をやっていて、最初この人は「意識的な食事」を生徒たちに教えるのだが、これは要するになんも考えずバクバク食べるのをやめてこんなに食っていいのかなとか思考しながら食べることであるからとくに問題はなかった、というかこれは医学的にも推奨されるであろう良い食事法であった。ゆっくりよく噛んで食べれば比較的少量の食事でも満腹中枢が満足してくれるのでカロリーの過剰摂取が防げるというわけである。

だがミア先生の授業は次第に常軌を逸していく。はい、みなさん意識的な食事ができるようになりましたね。どうですか、気分もいいでしょう(はい!)。では次のステップです。実は人間は食事を取らないと死ぬというのは嘘でそうみなさんが思っているのは食品産業を潤わせるための社会的洗脳であり人間はプラーナを体内に取り込むことで食事をせずに生きることがおおおおおおおい! そんなわけがないだろうがあああああああ! あのオウムでさえなんだかんだ食わないと死ぬとわかっていたので栄養素の乏しいオウム食とはいえちゃんと食事を取っていたわけだから、それさえ不要と説くミア先生はかなりの重症カルトであった。

ミア先生の部屋がかなりざっくりした東洋趣味に彩られたいかにもなニューエイジャー部屋であるあたり笑いを誘うがなにもこれはニューエイジのアレな人を嗤うだけの映画ではない。このどうかしている先生を呼んだのは学校側ではなく保護者会のリーダー的な裕福リベラル白人親であり、一見してとてもよい親に見えるこの人は実は自分の子供とまともにコミュニケーションが取れておらず、ぶっちゃけあんまり興味もないんじゃない? ということが物語が進むうちに露呈していくのであった。学校側も同じようなもので、はいはい保護者会が決めたんならなんでも要望飲みますよ~ウチは民主的な私立校ですからね~と物分かりの良い態度を取っているが、それは裏を返せば自分たちが預かる子供たちにどのような教育を施すかという責任を半ば放棄しているということでもある。親からも学校からも面倒臭い腫れ物扱いされて心のどこかで疎外感を感じている生徒たちが、目的は絶食カルト思想の普及にあるとしても、自分たちに熱心にものを教えてくれる先生と出会えば、そちらに傾倒していくのも当然だろう(余談ながらこうした点はオウム追求ジャーナリストの第一人者・江川紹子も指摘していたことであった)

『クラブゼロ』の監督ジェシカ・ハウスナーはミヒャエル・ハネケに師事した人らしいが、単にアレな人を面白がるだけではなくアレな人を通して現代欧米社会の機能不全を嗤う全方位哄笑型の作劇はハネケよりも『逆転のトライアングル』などのリューベン・オストルンドと似ている。オストルンド映画に比べれば劇的な展開や奇抜な設定はないが、代わりにインチキくさい音楽や美術などですっとぼけた味わいを醸し出している点が『クラブゼロ』の面白いところで、絶食カルトという題材からしてその顛末はもう悲劇的なものでしかあり得ないのだが、それもどこか寓話的でユーモラス、ずしりと重い感じではなく苦笑いでエンドロールを迎えられるあたりがユニークで良い。

教訓。ご飯はしっかり食べ、社会問題は適度に受け止めつつスルーし、あんまり先生と呼ばれる人の言うことを真に受けすぎないようにしよう。テキトーかつ健康に生きる、あんがいそれが性急な自分革命よりも社会問題解決の役に立ったりするのです(そうじゃないといろんな世のため人のためになるボランティア活動とか研究だってできないからな)

※ミア先生はとても生徒思いなのだが、生徒の中でいちばん絶食に積極的な意識の高いガリ勉女子だけはわりと無視しており、なんかそのへんリアルであった。ニューエイジのグル、熱心な弟子ほど冷遇しがち(自分が偉く見えなくなるから)

※※ニューエイジニューエイジゆーてるがニューエイジってなんなのという人はよろしければ前に書いた現代映画を理解するためのニューエイジ覚え書きをどうぞ。

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