反ホリデイ映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』感想文

《推定睡眠時間:45分》

もうひとつの『アメリカン・ビューティー』と言ってもよさげなホロ苦アメリカ学内政治喜劇『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』は別として代表作『アバウト・シュミット』や日本で無駄にリメイクされた『サイドウェイ』などアレクサンダー・ペインという映画監督は基本的にロードムービーを撮る監督で、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』など大好きなのだが、この『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』もみんなはスキーとか家でのんびりとかしてるのに諸般の事情によりホリデイ休暇に行けなかった寄宿学校の人々の交流を描くという点で逆転の発想のロードムービーであり、物語の後半にはささやかな旅にも出る。

なぜ旅に出るのか。といえば、旅には二つあると思うのだが、一つは膠着した日常を活性化するための山口昌男風にいえばトリックスター的な旅、ふつうは旅行と言われる旅で、これはその旅を通して逆に自分には帰るべき場所があることを再確認する機能がある。もう一つの旅は放浪としての旅で、この旅は帰るべき場所を見出せない人が行う、どちらかといえば生存上の必要に駆られて行われることの多い意味を欠いた旅、もしくは意味をどこかで見つけるための旅。俺の見たところアレクサンダー・ペイン映画に登場する旅のおそらくすべてが後者に属していて、その登場人物たちは家や仕事場を自分の居場所とは思えないから旅に出るのだが、これが前者の旅に属する『バーナデット ママは行方不明』のような映画と違ってアメリカのそこらへんの凡庸な中流家庭の人の旅であることが、アレクサンダー・ペインの映画をおもしろいものにしているのではないかと思う。

アメリカのそこらへんの凡庸な中流家庭の人の放浪旅であるから(『ホールドオーバーズ』の舞台は寄宿学校であるからして取り残された生徒たちはそれなりに裕福な家庭の子供なのだが)その風景といったら映えないことこの上ない。つまらないアメリカのつまらない風景を巡るつまらない人々。でその風景や行く先々でのちょっとした出来事に触発されてアレクサンダー・ペインの旅人たちはああしていればこうしていればもっと別の人生もあり得たんじゃないかという「たられば」に思いを馳せる。馳せるだけである。それだけで別に何か行動を起こすとかはアメリカのそこらへんの凡庸な中流家庭の人なのでしないしできない。

今や死語疑惑もあるがこういうものをユーモアとペーソスと言うんだろうな。あんときああしてりゃあ俺だって今頃さ…なんて飲み屋のオッサンの悲哀と情けなさの漂う愚痴は本人にその気はなくてもどこか笑えてしまうもの。そしてぜんぜん深い話ではないことが10割なのに、どこか深みを感じさせて記憶に残る。むかしラブホテルの清掃バイトをやってた時に一緒に部屋を掃除してた同僚のオッサンが何の前触れもなくいきなり「俺、早稲田に行きたかったんだよ…」と話し出した時のことを俺は今でも鮮明に覚えているし、なにもイイ話ではないはずなのに、思い返すだにイイ話だな~と思う。

俺にとってアレクサンダー・ペインの映画はいつもそんな飲み屋のおっさんの愚痴みたいなもんである。『ダウンサイズ』のホラ話感だって飲み屋のオッサンぽいし。だから好きなのだが、この『ホールドオーバーズ』は最後にちょっとだけ、ホントに些細な(でもまぁまぁ勇気を要する)ちょっとした行動と、ささやかではあるがモノホンのイイ話がある。映画の時代設定はニューシネマ胎動期1970年。ベトナム戦争やヒッピームーブメントの勃興でアメリカ人が自分の居場所を見失って探し求めていた時代。あっちこっちで始まったデカめの戦争に派兵こそしないものの資金および兵器供与でしっかりと関与し国内では政治的分断が埋まる気配はまったくない現代のアメリカでももしかするとみんな居場所がわからなくなっているのかもしれないと思えば、今この時代にあえてアレクサンダー・ペインが1970年を放浪の舞台に選んだ理由も見えてくるかもしれない。

放浪、上等じゃないか。なにやらハードボイルド感の漂うやさぐれつつも決然としたラストは、ホリデイというアメリカ人が自分たちの居場所に帰る習慣に背を向ける。その意味でこれはよくできたホリデイ映画であると同時に、アンチ・ホリデイ映画でもある。この苦味がたまらなくアレクサンダー・ペインだ。相変わらず飲み屋のオッサンみたいなイイ映画だったねぇ。

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