ゆるゆる終末映画『たとえ嵐が来ないとしても』感想文

《推定睡眠時間:30分》

台風ハイエンが街を襲った影響で、宗教狂信者、自暴自棄者、犯罪者、逃げ惑う動物たちが街に野放しになった。ミゲルは無気力な⻘年であったが、恋人アンドレアと母ノーマという 2 人の女性を探し出すために廃墟を歩き回る。二人を見つけるとミゲルは、この街は危険だから去ろうと説得をする。嵐の到来という新たな噂が浮上し、脱出のための時間が徐々になくなっていく中、彼は愛する二人を説得するために留まるか、自分ひとりで町を出るかの決断を迫られる。
https://filmarks.com/movies/117630

フィルマークスのあらすじにはこのように書かれているわけだが宗教狂信者! 自暴自棄者! 犯罪者! 逃げ惑う動物たち! そいつらが街に野放しになった! こんな『パージ』みたいな書き出しの映画は絶対に観たい感じなので観に行ったらいきなりボサノヴァ調のリラックスムードなシンセ曲が流れ始めて面食らってしまった。しかし状況は明らかに尋常ではなくソファー以外の全てが倒壊した家屋の残骸で若い男が寝ておりその周辺もすっかり瓦礫の山。こんな状況でよく寝ていられるなという気もするがおそらく例の台風の到来というやつで全部ぐっちゃぐちゃになって気力を失い疲れ果ててソファーにぶっ倒れているんだろうな…とか思っていたら若い男が目を覚まし無表情のまま「えっ」という動きをする。いやお前気付いてなかったのかよ! こんな壊滅的な嵐の中でよくお前グースカ寝てたなそこで!

というわけでここまで来ればスキルだなというほど異常に鈍感なこの若い男、こいつが主人公となって他の人たちは次の台風が来る前に避難しようと慌てて荷造りをしたり食糧を奪い合ったりなんかしてる中、その物理的にも秩序的にも壊滅した街を恋人か女友達と一緒にぬぼーっとやる気なく歩き回っていろんな人に出会うというか観察するというかなのがこの『たとえ嵐が来ないとしても』。おい全然「宗教狂信者、自暴自棄者、犯罪者、逃げ惑う動物たちが街に野放しになった」感じの映画じゃねぇぞ! いやたしかにそういう人たち(と動物)も出てくるからウソではないけれども! 

しかしこのオフビートな終末感が面白かった。物語が進むにつれて事態はどんどん悪化していくように見えるのだが音楽は相変わらずラウンジ・ミュージック系のシンセサウンドで緊張感ゼロ。主人公の無表情と危機感なしも終始変わらずで持ってたチャリを子供強盗団に奪われるとか恋人か女友達が終末宗教団体(?)にメシアとして担ぎ出されるとかわりと散々な目に遭うのだが「そういうものかなぁ」みたいな感じで何一つ抵抗せず全部スルーしてしまう。ある意味シュールコントとも言えるし星新一のディストピアものや終末ものに近い空気があったかもしれない。『生活維持省』とかね。

いったいどうやって撮ったのか不思議な瓦礫の街の風景は圧巻で、そこを行き交う無法の徒や葬列、奇蹟を求める集団等々はまるで前衛演劇、例の劇判と相まって実に超現実的な雰囲気を醸し出し、気分的には災害版の『甘い生活』。救難船へ殺到する人々を尻目にメシアと化した主人公の恋人か女友達がライブを始めて信者たちがペンライトで応援するラストとか何を見せられているのだろうと思うが、こういう形で終末を描くのって斬新でイイ。『グリーンランド』という終末映画でも俺がめっちゃイイなと思ったのは逃げる所のない貧乏人たちが地球破壊隕石が空から振ってくるのを眺めながら酒飲んでイエーイって盛り上がってるところなのだが、持たざる人間にとって終末とは案外切羽詰まって感じられないものなのかもしれないと思えば、『たとえ嵐が来ないとしても』の妙に弛緩した終末は、超現実的と見えて逆に庶民のリアルなのかもしれない。

『たとえ嵐が来ないとしても』のタイトルは壊滅的な災害がいかに人心までも破壊するかを示したもの。みんな自分が生きるので手一杯で他人を気に掛けてる余裕なんかないし、物資や情報は錯綜してなにがなんだかわからない混乱状態。実は「次の台風は温帯低気圧に変わりましたので逃げないでも大丈夫です」みたいな政府のアナウンスが避難所や被災地域には流れるのだが、その前には「次の台風が来ます。全住民は自宅を放棄して避難所に向かってください」のアナウンスが流れたこともあり、住民たちはもう何を信じていいかわからず、被災者支援を行う軍隊も命令がコロコロ変わってわけわかんなくなってるのか途中で職務放棄して帰ったりしてしまう。たとえ(次の)嵐が来ないとしても、一度壊れてしまったものはそう簡単には直ったりしないのだ。

でも、災害の痛みを真正面から見つめて受け入れようとすれば、きっとその痛みは乗り越えることができるし、壊れたものも直すことができる。人々が見捨てた傷ついた犬を主人公の恋人か女友達だけはしっかり見据えて撫でたりしてやったことで彼女が救世主として扱われ、傷病者用のシェルターに入った夫に会うために主人公の母親がある決断を下したりする展開なんかには、そんなメッセージが含まれているんじゃないだろうか。目をそらさずに現実を直視すること。ゆるゆるなようでいて、そう考えればなかなか芯の太い映画であった。

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