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『悪魔のいけにえ』が後生に与えた影響を探るドキュメンタリーというような説明が東京国際映画祭のサイトには書いてあったということでこれは東京国際映画祭のなんとか部門で上映された映画である。東京国際映画祭と『悪いけ』(のドキュメンタリー)という組み合わせの妙。別に大層な映画祭でもないくせに基本的にジャンル映画はかからないのが東京国際映画祭っていうか日本の多くの自称国際映画祭なので珍しいなと思って俺は興味津々だったのだが東京国際映画祭に来るような層の大半が『悪いけ』を世界人類全員が人生で100回観るべき映画だとは考えていないらしくチケット販売早々に満席続出の他の上映作と違ってこちら『チェイン・リアクションズ』は結局当日になっても客入りは6~7割程度、前にも隣にも人がいなかったので快適に観られてよかった気もするが、まったくおめーら見る目がねーな! とひそかに心の中で毒づくのであった。
さて『チェイン・リアクションズ』というタイトルは言うまでもなくダブルミーニング、『悪いけ』が人々に衝撃を与えその影響下で様々な作品が生まれたという「連鎖反応」の意味もあれば、レザーフェイスの武器といえばはい来ましたチェーンソーなので、『悪いけ』を当時観た人たちの反応、という意味もある。その二つのリアクションを批評家や映画監督など5人の著名人のインタビューから引き出すのがこの映画であった。つまり俺言うところのナビゲーション映画。言い換えればDVDの映像特典とかに入ってそうなやつである。
そりゃ出てくる人がみんな『悪いけ』を褒めてくれるんだから観ていて楽しくはなるが何もこれを映画館で観なくてもな…となるのが正直なところ。『悪いけ』の直接の関係者は出てこないので知らなかった話とかも別に聞けないしね。オーストラリアの映画評論家アレクサンドラ・ヘラー・ニコラスの『悪いけ』美術これが元ネタなんじゃないか説(フランシス・ベーコンとヒエロニムス・ボスの引用とか)はなるほどと膝を打つ内容だったが当の『悪いけ』美術監督とか美術関係者のインタビューはないわけだからそれ以上話が広がらず「こういう見方もできるよね」で終わってしまう。ドキュメンタリー映画としては単純に作り込みが足りないと言うほかない。
でも5人のインタビュー内容は面白かったので映画としてはどうかと思うが少なくとも『悪いけ』ファン、ということは理論的には地球上の全人類のはずだが、ともかくそんな人なら楽しめるに違いない。だいたい人選からしておもしろいではないか。三池崇史とスティーヴン・キングはわかりやすすぎて逆にその名前に惹かれるところはあんまりないが、最後に出てくるのは『イーオン・フラックス』のカリン・クサマである。カリン・クサマがアツく『悪いけ』を語る! なぜカリン・クサマなのかと思うがファンゴリア編集長とかそういう人を持ってくるよりも意外性があってよいだろう。
話の内容でいえば評論としてはアレクサンドラ・ヘラー・ニコラスが一番聞き応えがあったが個人の感想&思い出として一番面白かったのは三池崇史であった。なんでも三池と『悪いけ』の出会いは15歳の頃、それまではブルース・リーのファンだったがだんだんと映画ファンになっていったので大阪の名画座でやってたチャップリンの『街の灯』でも観るかと40分かけて大阪市内に出てきたが満員で入れず、でもせっかく都会に出てきたしなんかやりたいなとブラついていたところ『悪いけ』のポスターが目に入ってしまった。日本版の『悪いけ』ポスターには主演のマリリン・バーンズが大きく写っていたので「エロい映画かも!」と思って(どのへんがなんだよ!)劇場に入るとお出しされたのがテキサスの異常世界。三池崇史15歳はショックを受けたのだった。これまで映画は安全な娯楽でスクリーンの中からこっちを攻撃してくることは決してないと思っていたが…『悪いけ』は観ていて痛い! それ以来、三池崇史はまたなんか衝撃的な付随体験に遭遇するかもと思い『街の灯』を観られなくなってしまったのだという…それチャップリンとばっちり事故すぎるだろ!
というのは半ばサービスジョークなのだろうが、自身も(インディペンデントで予算がない代わりに現場で自由にやれた『悪いけ』時のトビー・フーパーのように)Vシネの枠内で予算はないが自由な暴力映画作りをやってきた三池の『悪いけ』論は他の論者とだいぶポイントが違って興味深い。映画版の『殺し屋1』には「お前の暴力には愛がない」という垣原の台詞が出てきてそれがこの映画では引用されるが、三池は『悪いけ』と『ダーティハリー』を同列に並べて、レザーフェイスやさそり(もしくはハリー)の暴力は愛も目的もなく単なる結果・反応としての理由なき暴力だから怖い、と語るんである。このへん三池暴力映画を読み解く鍵になりそうな発言でもあり、三池の世界観が見えて面白いところである。
他にもスティーヴン・キングがお約束的に『シャイニング』の時のスタンリー・キューブリックを貶すところは笑えるし、オーストラリアの風土と『悪いけ』のテキサスの類似を指摘するアレクサンドラ・ヘラー・ニコラスの発言には大いに頷かされ(なんたって『荒野の千鳥足』とか『ウルフクリーク』とかが出てくる国ですからね)、いずれもアメリカ在住のカリン・クサマとマルチタレントのパットン・オズワルトが『悪いけ』にアメリカン・ファミリーの崩壊というニューハリウッド的なモチーフを見出しているのも、この映画ではそれ以上話を広げないわけだが、『ファイブ・イージー・ピーセス』や『泳ぐひと』など他のニューハリウッド映画とも接続できる論点であれこれと考えさせられ、まぁだから結局、なんだかんだ面白いインタビュー集ではあった。
それにしても、たぶん5人全員が『悪いけ』のレザーフェイスに多少なりとも共感を示していて、パットン・オズワルトなんかあんなの勝手に人んち入ってく若造が悪いだろぐらい言ってるのには笑ってしまう。俺も悪いのは人見知りっ子のレザーフェイスではなく人んちに土足で上がり込んだ若造の方だと思います。そこらへんもやっぱ『悪いけ』の衰えない人気の所以だよな。被害者の方が悪く見えるからやってることは残酷なのに観ていてあまり罪悪感が湧かず妙に楽しい気分にさせられる、みたいな。などと考えれば、しかしやはりおそろしい『悪いけ』である。
※あとほぼ全員が『悪いけ』は粗い画質だからイイと言ってるのも完全同意でした。