ダークヘンテコ修学旅行映画『地獄でも大丈夫』感想文

《推定睡眠時間:60分》

最近日本で公開される韓国映画はそりゃまぁそんなこと言ったらアメリカ映画だって大抵そうなんですけどウェルメイドな娯楽作が多くてどれを観ても面白いという意味では歓迎すべき状況かもしれないがウェルメイドなのでどれを観ても作り手の顔が見えにくいというのは個人的にはあまり嬉しい状況じゃないと思っていて、それというのは俺が韓国映画を本格的に観始めたゼロ年代はやはり非常にアクが強く作り手の顔が見えやすい映画が多かったんで、という経験による多分にノスタルジーの入ったものではあるのだが、映画は娯楽であると同時に芸術でもあるのだから、そこには作り手の個性や顔が刻まれていて欲しい、とは思うんである(ちなみに、皮肉なことなのだがこうしたゼロ年代の作り手の顔の見える映画群を、娯楽性と商業性を両立させたという意味で、韓国では当時ウェルメイド映画と呼んだらしい)

という点でこの『地獄でも大丈夫』はよい韓国映画だったなぁと思う。イム・オジョンという新人監督の商業映画第一作目らしいこの映画はちょっと風変わりなファンタジーのような青春映画であった。主人公は学校でいじめられて自殺しようとしてる女子高生なのだが自殺するといってもしくしく自殺するのではなく部屋で練炭炊きながらロックを大音量でかけてダンスというアグレッシブ自殺、それに気付いた母親は彼女を部屋から引きずり出して日本であればえんえんと泣きながらなんでお母さんに相談してくれなかったのと深い傷心と後悔を示したりなんかするのがベターな気がするがこちらもこちらで「また死のうとしてんのかよ笑 死ぬんなら死んでみろよ笑」とか涙の一滴も見せることなくむしろ自殺を煽るパワフルさ。うむ、さすが韓国ウーマンは芯が強いな! と謎に感銘。

家で自殺できないので主人公は遊園地の廃墟みたいなところにいじめられ仲間(アニメ声の女子)を呼び出して合同自殺を遂げようとするのだが、土壇場で気が変わってやっぱりいじめっ子どもに復讐を決意…すると思われるのだが俺はここらへんで就寝しているので詳しい経緯はよく知らない。小一時間経過し目が覚めるとそこはこれから集団自殺?かなんかをしようとしているような気配のカルト教団の施設内であった。後から知ったことだがそこには教団の影響ですっかり改心した元いじめっ子もいるらしい。はたして主人公二人は無事に元いじめっ子に復讐しつつカルト教団の魔の手から逃れて自殺できるのだろうか? ってか自殺しなくていいんじゃないかな?

自殺とかカルト教団とかダークめな要素が散りばめられているくせに暗い感じはほとんどなく対照的なキャラの女子高生二人組の元気でユーモラスでたのしい冒険譚になっているヘンテコさがなによりこの映画のよいところ。あらゆる面で荒削りなのは商業映画一作目ゆえなのだろうがそのデコボコ感がかえって画面に妙な浮遊感をもたらして、ジャック・リヴェットの『北の橋』みたいな特殊効果ゼロのファンタジー映画とか『ほえる犬は噛まない』など初期ポン・ジュノ映画を思わせたりするんである(相米慎二の『ションベン・ライダー』とかにも少し似ている)。これは作り手の顔が見える映画だ。失敗しているような感じのところ(カルト教団内の内紛のサスペンス演出とか)も含めて、ひとりの若い映画人のこれがやりたいんです! が画面を通して見えてくる気がして、それがたのしい。

修学旅行に行かなかった二人のカルト教団体験は二人にとっての修学旅行。なぁにカルト教団の狂いっぷりに比べたら学校のいじめっ子なんか小物ですわ、そんなバカどものためにこっちが自殺する必要なんかないね! おらこっちはカルト教団の集団自殺騒動をくぐり抜けてきたんだぞコラ! といじめっ子および現実にファイティングポーズを向けるラストは初々しくさわやか。でも勇敢であったり感動的な感じにはならずになんかようわからん経験して疲れたからとりあえずウチ帰るか的なオフビート感が、たぶんこの監督イム・オジョンの作家性。良い映画を観たと思う。 

※こういうタイトルのの韓国映画あったなと思えばパク・チャヌクの『サイボーグでも大丈夫』なわけだが内容面で別に関係は無かった。

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