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主人公の売れない画家・堂本剛が無の心で何気なく描いてみた〇がなぜか現代美術界隈に目を付けられ世界的大人気になってしまうという奇妙にして愉快なお話だがこの〇は劇中で円相図(悟りや真理、はたまた見る人の心を映すものともされる、要するに決まった意味のない〇だけの絵)と説明され実際に禅における書画の形式としてこういうのがあるらしい。なるほどそうだったのか。テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を映画化した『メッセージ』というSF映画で宇宙人がそれ一つで過去未来現在のすべてを表す文字として〇を描いていたが、あれは円相図をそのまんま取り入れたものだったわけである。原作に出てくる宇宙人文字とはかなり異なるのでなんでこんな改変したんだろうと思っていたのだ。『メッセージ』の宇宙人は禅のお坊さんだったらしい(宇宙人扱いすな)
でこの『まる』という映画もまさに円相図のような映画、堂本剛も舞台挨拶で「評価についてはみなさんに丸投げです」なんて言っていたらしいが、いろんな要素を雑多に含む(劇中の古道具屋の如し)映画なのでどう解釈するかは人それぞれ。現代日本、あるいはそれを飛び越えて現代社会全般の姿をまるっと戯画化した風刺劇というのが基本的な見方だとは思うが、そこに喜劇を見出すか悲劇を見出すか、ファンタジーを見出すかホラーを見出すかは人それぞれ。観た後どんな顔をしていいのかよくわからんくてポカンとしてしまう人もいるんじゃないかと思うが、それでも別にいいですよという懐が広く深い映画であった。
俺個人は時折挿入される破局の予兆のような地震や円のように循環する夕暮れに彩られた結末からこれを一種の終末映画として理解した。終末映画というと暗くて荒廃したイメージがあるが『まる』はそういう終末映画とはちょっとっていうかかなり違う。どうせ世界はいつか終わるんですから、という禅的な諦めの視座に立って、世界の黄昏を無の心で眺める、『渚にて』の終盤のような終末映画なんである。だからここにはコワいところはなく(いやでもちょっとだけあるけどね)、『かもめ食堂』等々のロハス映画で知られる荻上直子の監督作であるから、逆に心穏やかで優しい印象も受ける。
コワいと思うから世界の終わりはコワく感じられるのであって、堂本剛が映画の折々で呟くように人の世は諸行無常生々流転、終わらないものはないのだから、この世界そのものだっていずれ終わってしまうわけで、それは特別なことではなく当たり前のこと、そう思えばコワいことなんてないし悲観することもパニックになることもない。ただ終末をそのまま受け入れたらいいじゃない…と書いていて、いやそこまでの達観は逆にコワいなと思う。
荻上直子の前作『波紋』も無常観に溢れた辛辣な人間ドラマだったが、一見やさしくおだやかなようでいて、むしろその諦めの境地から描写される世界はたいへんにドライでもあるという矛盾をおそらく意図的に抱えているのが『まる』である。ちっともコワくないのにほのかにコワい、笑えないのに笑えてしまう、絶望はないが希望もない。この〇の中に何を見出すかはその人次第という意味で映画自体が円相図のようになっているというわけで、結構デフォルメ過剰なところもあるが、うーんこれは力作、そして怪作。