ハリウッド恐るべし映画『スピーク・ノー・イーブル 異常な家族』ネタバレ感想文

《推定睡眠時間:0分》

建国の歴史が浅いことも関係しているのか黎明期のハリウッド映画は聖書と並んでヨーロッパ映画から多くネタを借用してきており、かのグリフィスもイタリア映画の古典『カビリア』の巨大なセットに衝撃を受けて『イントレランス』を撮ったというし、ディズニー映画も『ピノキオ』『白雪姫』などヨーロッパの児童小説や民話をアメリカキッズ向けに換骨奪胎したものが多い。その傾向は今もあってヨーロッパで売れた低予算映画は即座にハリウッドがリメイク権を巨額で買い取りリメイクというよりもアメリカ人向け英語バージョンみたいなものが作られたりする。フィンチャーの『ドラゴン・タトゥーの女』やガイ・リッチーの『キャッシュトラック』なんかがそうだが、そんなわけで日本では今年5月に劇場公開されたばかりの2022年のデンマーク/オランダ映画『胸騒ぎ』(→『胸騒ぎ』の感想)も早くもハリウッドリメイクされ『スピーク・ノー・イーブル 異常な家族』として生まれ変わったのであった。

それにしても、『胸騒ぎ』がハリウッドリメイクされると知った時にはあぁあのシーンはハリウッド版では無理でしょうねとか思ったものだ。あのシーンもあのシーンもハリウッド版では無理だろう、なにせ単にハリウッドリメイクであるだけでなく製作はホラー界のディズニーと俺だけが呼んでいるブラムハウスである。近年老若男女オール対象の安心安全ホラーを量産するブラムハウスが劇場公開作としては今年トップクラスの胸糞映画であった『胸騒ぎ』をそのままリメイクすることなど100%不可能だ…っていうかなんでそもそもリメイクしようと思ったのか?

ということでいったいどうリメイクされてるんじゃろかと悪役にジェームズ・マカヴォイとかいう人気役者が起用されている時点で期待はほぼなかったものの(『胸騒ぎ』は役者の無名感がよかったので)半ば確認のために観に行ってみたところいやこれすごくない!? まず序盤のカット割りまで含めてオリジナル版を踏襲したそのままっぷりに驚かされたがそれはわりとどうでもよく、終盤の改変っぷりが他のハリウッドリメイク映画とは段違いで、もはや別ゲー。または『かまいたちの夜』の誰も死なないエンド版とでも言おうか…オリジナル版の最悪展開を完全回避した上で悪者を倒せアクションとなりメデタシメデタシあーすっきりしたの結末。どうせリメイクするならこれぐらいやらなきゃ意味が無いと言えばそれもそうかもしれないが、ここまで別物だとあえて胸糞映画の『胸騒ぎ』をリメイクする必要はなかったんじゃないだろうか…。

ともかく終盤はもはや別ゲーなわけだが、なぜそうなったかと考えればまぁ想像は難しくない。悪者を殺して主人公たち被害者を生き残らせるためである。オリジナル版の面白さの核はうだつの上がらない主人公が悪者家族に抵抗できそうなのに抵抗しないもどかしさにあり、そこには「まぁ人生こんなもんだよね」的なホロ苦いユーモアも少量含まれていたが、ハリウッドとハリウッド映画の観客がそんな残酷なリアリティを許してくれるわけがなかった。オリジナル版で死ぬ人はこのリメイク版では全員生き残る。主人公夫婦と娘(もちろん舌を切られることなんかない)はもとより異常家族の息子もキッチリ生き残るし、ついでに異常家族の共謀者は難民と紹介される異国人からレストランの白人オーナーに変わった。子供が死ぬとか暴力を加えられるなどハリウッド映画では許されず、キャンセル運動に発展しかねないため難民を犯罪者として描くのも御法度である。

そして悪人は死ぬ。オリジナル版では完全に悪が栄えていたわけだが、悪が栄えるなどハリウッド映画であっていいわけがない。悪はその犠牲者たちによって完膚なきまでに叩き潰されなければならないのだ。というわけでリメイク版の終盤は異常家族ハウスを舞台にした逆ホーム・インベージョン的なアクションであり、オリジナル版では何の抵抗も示すことが出来なかった被害者家族は、こちらリメイク版では銃を手に取り雄々しく戦い悪を成敗する。しかし悪といっても本当に純粋悪なのだろうか。いや、違う。少なくとも女の人は違うはずだ。オリジナル版ではとくに背景が描かれなかった(そしてそこが怖くてよかった)異常夫婦の妻の方はこのリメイク版では異常夫のジェームズ・マカヴォイに少女の時分攫われた最初の被害者であり、生き延びるために嫌々異常マカヴォイの共犯となったのであった。かわいそうな異常妻。最終的に主人公たちに殺されるが、女の人が理由もなくただ犯罪者になるということもまた、ハリウッド映画では許されない(自主)検閲事項の一つなのである。

要するに、主人公である一家の夫(夫婦仲に問題を抱えている)は「正しく」妻子と連帯し、「正しく」悪に対して抵抗し、子供は「正しく」保護され、女の人は「正しく」犯罪者ではなく被害者として描かれ、難民の異国人は「正しく」犯罪に関与しておらず、そして最後に「正しく」悪は滅び、「正しく」主人公サイドは全員生還するのである。バカなのであろうか。いや、バカではない。もちろんバカではなく、ハリウッド映画で何をやるべきで何をやってはいけないか、作り手の側は完全に把握しているからこそのこの改変もしくは改良もしくは劇的改悪であり、これはとても賢い人が作った『胸騒ぎ』のハリウッドリメイクなのである。ただその賢さを使う方向があまりにもバカげているというだけの話だ。

もしも『胸騒ぎ』をハリウッド基準でポリティカル・コレクトネスにしたら、というコントのような映画だが、それにしても呆れさせられるのはこうしたハリウッド的な「正しさ」が、逆に差別的な思考に基づいていることである。オリジナル版ではすべての登場人物がただ単に個人であり、決してその人種や性別や性的指向などで「この人は〇〇だから××だ」と判断されることはなかったし、っていうかハリウッド以外の普通の映画ではそれが当たり前なのだが、ハリウッド映画においては人種や性別や性的指向といった属性からキャラクターが作られるため、登場人物が様々な属性の折り重なった複雑で独特な個人だという当たり前の見解は破棄されてしまう。

結果、人種や性別や性的指向がこうなら悪人、こうなら善人、とこのように観客は印象づけられるわけで、ポリティカル・コレクトネスというよりも実際はキャンセルリスクを避けるための判断なのだろうと思うが、そうしたハリウッド的な「正しさ」の追求は、差別思考の撤廃という現実の正しさとまるで逆方向を向いているんである。主人公が銃を手に取って異常家族と戦って殺すという描写にしてもそう。これじゃああんた「やっぱり自衛のためには銃が必要だな! 銃規制反対! 犯罪者なんかみんな電気椅子送りにしてしまえ!」みたいな粗野なアメリカ人を後押ししてしまうじゃないの。なんて野蛮なんだハリウッドは、アメリカは。いったいハリウッド映画の、あるいはアメリカの「正しさ」とはなんなのだろうか?

いやまったくすごい映画だ。一本のホラー・アクション映画として決して退屈なわけではなく、むしろ面白い部類ではないかと思うが、『胸騒ぎ』のリメイク作として考えると、絶句の出来映えであった。

※たぶんこっちの「正しい」バージョンの方が世間にはウケるのだろうということに絶望。

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匿名さん
匿名さん
2024年12月25日 10:22 AM

1本の映画としては面白いんですけど、「胸騒ぎのリメイク映画」としては余りにも酷いですよね。
ただ、「スピーク・ノー・イーブル」を見て、面白かったからリメイク元を見てみよう!って「胸騒ぎ」を見る純粋な人がどれほどの絶望に叩きつけられるかと思うと、ちょっとワクワクします。